第十六話 豊臣の世にて
天正十九年── 一五九一年。
関東の夏は、豊臣の天下の気配を孕みながら、
どこか落ち着かぬ風を吹かせていた。
北条は滅びた。
だが──
氏規は生き残った。
秀吉の命により、
氏規は河内狭山に一万石を与えられ、
大名として復帰した。
しかし、その名はもう「北条」ではなかった。
狭山の館は、
かつての小田原の壮麗さとは比べものにならなかった。
だが、氏規は不満を口にしなかった。
「……生きているだけで、十分だ」
庭に立ち、
風に揺れる木々を見つめながら、
氏規は静かに呟いた。
北条の名は失われた。
兄たちは皆、死んだ。
だが──
三人の誓いだけは、まだ胸の奥に残っていた。
ある日、氏規のもとに一通の書状が届いた。
差出人は、駿府を失い、
今は静かに暮らす今川氏真。
『氏規
そなたが生き残ったと聞き、
私は涙を流しました。
北条の名は消えても、
そなたが生きていることが、
何よりの救いです。
──氏真』
氏規は、そっと目を閉じた。
「氏真様……
あなたもまた、生き残った者なのだ」
二人の間には、
もはや国も家もなかった。
だが、
誓いだけは残っていた。
その頃、家康は関東に移封され、
江戸を整え始めていた。
家臣が言った。
「殿。北条氏規殿は、狭山にて静かに暮らしているとのこと」
家康は、遠くを見るように目を細めた。
「……そうか。
氏規は、よく生き残った」
その声には、
かつての竹千代の柔らかさが残っていた。
家康は、静かに続けた。
「氏真様も、氏規も……
皆、生き残った。
ならば、私も生きねばならぬ」
三人の誓いは、
もはや声に出されることはなかった。
だが、
それぞれの胸の奥で、
確かに息づいていた。
氏規は狭山で静かに暮らし、
氏真は駿府の片隅で和歌を詠み、
家康は江戸で天下を見据えていた。
三人の距離は、
かつてないほど遠く離れていた。
だが──
その心の奥底には、
少年の頃に交わした誓いが、
静かに、しかし確かに残っていた。
──生き残ること。
それが、我らの誓い。
その誓いが、
三人を繋ぎ止めていた。




