遠い月明かり
ハルカはごく自然に僕の横に並んで、同じように壁にもたれかかっていた。
静かな時間が、乱される気がした。
まるでそっと聞いていたラジオに、誰かが同じ周波数をぶつけてくるような感覚だった。
彼女のほうを向くと何か話しかけられそうな気がして、僕はずっと上を見上げていた。
それでも、いつ話しかけられるのかと思って、気が気じゃなかった。
ところが、彼女は僕の予想とは違って静かに上を見上げていた。
着込みが足りないのか、少し寒そうに肩をすくめながら。
寒いのなら、ベッドに戻って寝ていればいいのに。
それから、僕と彼女はただひたすらに宙を仰ぎ見た。
風が吹くたびに白い息は空に舞い、満天の星が瞬く。
こんな光景、日本ではなかなか見られなかった。
一瞬、月の前を薄い雲が流れた。
すぐに雲は退いて、月明かりがさあっと降りてきた。
施設の周りが優しく照らされてゆく。
つい、僕は彼女のほうに目を向けてしまった。
僕よりも頭一つ分小さい背。
その横顔は、月明かりに照らされていて、穏やかだった。
僕の視線に気づいたのか、ハルカもこっちを向いてきた。
「君はさ」
しまった。やっぱり話しかけてきた。
「……優しいよね。スコットさんの看病してたろ」
だけど、出てきた言葉は予想と違っていた。
いつもはもっと明るく話しかけてきて、他人の中に容赦なく踏み込んでくるイメージなのに。
夜の空気は、彼女すらもクールダウンさせるのだろうか。
「……誰だって、あれぐらいはするだろう」
彼女の言葉に裏が無いことぐらいは僕だってわかる。
それでも、僕の言葉も、嘘偽りのない思いだ。
僕がすることなんて、ほかの人はもっと器用にできる。
僕は、"僕以外ならこうするだろう"ということを、もっと不器用にやっているだけだ。
「そうかな。動かない人は動かないもんだよ。でも、君は動いたじゃないか」
「たまたま僕が気付いたからだよ。君だって、僕より先に気づいたら動いたろ?」
「もちろん。身内や家族がああなったら、私もそうするさ。もちろん、君にもね」
「……っ」
家族。
その言葉を聞いた瞬間、胸がちくりとした。
そして、言葉に詰まってしまった。
「……違うよ。僕たちは家族じゃない。スコットさんは僕たちの親じゃない。君だって、僕の兄妹じゃない」
やっと口から出た僕の言葉は、明確に棘を含んでいた。
こんなこと、ハルカに言いたいわけじゃないのに。
いつもの僕なら、黙って口をつぐんだはずだ。
「……それは、そうだね。わたしたちは形式上は家族じゃないから……だけど、」
みるみるうちに、ハルカの顔から笑顔が消えていった。
彼女の心がざわついていくのが、僕にもわかってしまった。
「もういい。僕は部屋に戻る。おやすみ」
自分で乱した場の空気に耐えられず、僕は逃げるように会話を打ち切った。
「……ごめん、おやすみ」
彼女は、小さくそう言った。
足早に戻る僕が最後に見た彼女の顔。
それは怒っているわけでも、不機嫌そうでもなく、少し寂しさを含んでいるような表情だった。




