再生
久しぶりに夢を見た。
僕がまだ小学校に上がる前、家族みんなでマンションに住んでいたころの夢だ。
薄暗い部屋で、まだ小さい僕はベッドで寝ている。
そこに、女性が何度もやってきて、僕の氷枕を変えてくれたり、お粥を食べさせてくれていた。顔は朧気だけど、雰囲気で母なのは分かった。
ああ、思い出した。これは過去の記憶だ。
その時、僕は体調を崩していたんだ。
あまり覚えてないけど、確かその頃は体が弱くて、よく高熱や蕁麻疹を出していた気がする。
たまに、僕よりも少し大きな男の子が心配そうにのぞき込んだり、彼の好きなお菓子を僕に分けようとしてくれたりしていた。あれは…兄だ。
だけど、母があまり近寄らせていなかった。たぶん、兄にうつらないように配慮してたんだろう。
その日、父が珍しく慌てた様子で帰ってきていた。
スーツ姿のまま、病院に行くためにすぐに僕を抱きかかえてマンションを出たっけ。
あの時は雨が降っていたから、僕が濡れないように、父がコートで包むように僕を抱きかかえていてくれた。
その時の父の大きな身体にしがみついた安心感と、揺れる息遣いを覚えている。
車の後部座席に乗せられると、今度は母がぎゅっと抱きしめてくれていた。
夜の道路を、父が運転する車で走った。
母の腕の中から車の窓に目を向けると、雨に濡れたオレンジ色の街灯が流れていった。信号機の光すら幻想的だった。
そのまま病院に行って点滴を打ってもらって、すぐにけろりと治ったんだったかな。
帰り道、父に何か食べたいものがないか聞かれて、アイスを食べたいって言った。
そしたらコンビニで何個もアイスを買ってきてくれた。
車の中で母がスプーンですくってくれた、優しいバニラの味が胸に残っている。
マンションに戻ると、また父に抱っこされて部屋のベッドまで運ばれた。
その日、同じ部屋に父と母、そして寂しくなったのか、兄も来て、結局全員一緒で寝た記憶がある。
……あの部屋、今は物置になってるっけ。
ーーー
目を覚ますと、日はすっかり昇っていた。
僕はベッドの中で、夢のこと、というよりも過去の記憶に思いを馳せていた。
あの頃は父も母も家にいる時間が多かった。
僕が小学校に上がったぐらいから、仕事でほとんどいなかったんだ。
今思えば……父も母も、すれ違う時間が大きすぎただけで、僕を大事にしてくれていたのだろうか。
僕は、忘れていただけなのだろうか。
不意に、胸の奥が締め付けられるような苦しさに襲われた。
だけど、僕は小さく頭を振った。
……もう、過ぎたことだ。
親はもう亡くなった。いまさら、確かめられない。
きっとハルカに看病されたから、過去の記憶が掘り返されただけだろう。
ーーー
体を起こして氷枕を触ると、完全に溶けてぬるくなっていた。
熱は…かなり下がっている。頭痛もマシになっている。
体はまだだるいけど、昨晩に比べたらだいぶ楽になっていた。
もそもそとベッドから這い出てリビングに行ったけど、誰もいなかった。
今日は訓練がない休養日だ。
きっと、ハルカとスコットさん夫妻は街に買い物にでも行っているのだろう。
不意に訪れたひとりの時間。いつもなら、一番気楽で、僕が望んでいたタイミングだった。
なのに、なんだか今日は彼らの気配がないのが物足りなく感じた。
リビングのテーブルの椅子に腰かけて、テレビをつけた。
流れる音声が、少しだけ賑やかさを足してくれた。
ふと、テーブルの上に目を向けると、メモ用紙が置かれていた。
そこには、日本語で書置きがあった。
「お粥作ったから、よかったら食べてね ハルカ」
……。
また、胸の奥がギュッとつかまれるような感覚に襲われた。
僕はこの感覚に目を背けるように、キッチンへと向かった。
調理器具の上に小さな鍋があり、中にはしっかりと火を通されたお粥が入っていた。しかもちょっと多い……。
温め直して半分ぐらいを器に移し、リビングに持って行った。
湯気が上がったお粥を、息を吹きかけながらそっと口へと運ぶ。
塩味が効いて、僕の記憶で食べたお粥よりも、ちょっとだけしょっぱく感じた。
でも、飲み込むと体の奥がじんわりと温まっていく。
もうひと口、ふた口。そこで、僕の手が止まった。
思わず、目頭を押さえた。
……このしょっぱさが、あまりにも優しく沁みたから。
キッチンに立ち、僕のためにお粥を作るハルカの姿が思い浮かんだ。
味付けの度合いがわからなくて、薄いよりかは、味がしたほうがいいと思ったのだろうか。
こういうのは、薄く作って後で塩を足すものなのに…。
涙をぬぐいながら、おかわりをして全部食べた。
誰もいなくてよかった。
ーーー
洗い物を終えたころ、玄関のドアがガチャリと開く音が聞こえた。
「ただいまー!」
ショッピングバッグを手にしたハルカが帰ってきた。
「おかえり」
「あ、カナタ。体調どう?」
「うん、楽になったよ」
僕とやり取りをしながら、ハルカは冷蔵庫に直行して
ショッピングバッグから取り出したお菓子やジュースを詰め込んでいた。
冷蔵庫を閉じたハルカは、僕が洗ったお粥の鍋を見つけた。
「あ、お粥食べてくれたんだ。ちょっと味付け濃くなかった……?」
「いや、そんなことはなかった。ありがとう」
僕がそういうと、ハルカは「ほんとに?」と疑り深い目で、じっと僕の目を見てきた。
気まずくなって目をそらしながら「ほんとだよ」と答えると、ハルカは笑みを浮かべて、
「じゃあ、そういうことにしとく」
と言っていた。
ハルカとの会話が、少しも窮屈じゃなくなっていた。




