カナタ
「ついに、一般人が月に行けるようになりました」
平日の少し遅い時間に起きた僕は、テレビから流れる感情がこもっていない音声を聞いていた。
窓の外からは、人の営みの音が遠く響いていた。
僕は耳を塞ぐように、少し開いていた窓を閉じた。
テレビから流れる音声を聞きながら、僕は過去の出来事を思い出していた。
ーーー
僕はいつも死にたかった。
「ひとりの人間が生まれる確率は奇跡だ」とか言われるけど、そういうのは関係なかった。
資産家の親が不慮の事故で亡くなったとき、僕と兄、親族に莫大な遺産を残してくれた。
だけど、僕以外のみんなは、そんな資産を当てにしていなかった。それぞれに成功していたからだ。
僕もまあ、いい大学に行って、いい経歴は持っているほうだ。
でもそれは、僕の能力が高いからじゃない。大体のことは、お金で何とかなってしまうのだ。
すべて親が敷いてくれたレールを歩いた結果だ。
つらい時も楽しい時も頑張った時もあった。だけど、心が大きく動いたことはなかった。
僕はきっと「はみだしもの」なのだろう。
20代前半にして、普通に生活するだけなら人生を何十周もできるであろう資産を得た僕は、数年勤めた会社を辞めた。
誰からも連絡は来なかった。
それから世界中を回った。
旅行会社が出している、「行ってみたい場所ランキング!」というものがあって、それに行けば少しは楽しいことがあるかと思ったから。
行き先を決めたら、あとは旅行会社の勧められるがままのプランに申し込んでいた。
それはほとんどが団体ツアーだった。
人と行動するのが嫌だったけど、ひとりで行くほど気力があるわけでもない僕は、そのまま参加することが多かった。
どうせ一期一会だ。流れに身を任せていれば、迷うこともない。
そう割り切ると、少しだけ気楽だった。
僕以外の誰もが、笑顔と活気にあふれた元気な人たちだった。
グランドキャニオンで夕陽を見た
フィンランドの果てでオーロラを見た
南極でコウテイペンギンの群れを見た
天空の都市といわれるところを見た
どれも、素敵だな、とは思った。
でも、周囲で涙を流して、その光景を目に焼き付けようとしている人ほどの気持ちには、ついになれなかった。
僕はずっとひとりきりだった。
ツアーといっても、場所によっては何日も一緒に過ごすことになる。
旅行先のテンションで、笑顔で話しかけてくれる人たちもいた。
僕も頑張ってそれに応じた。一緒に騒ぐこともあった。
彼らはこころよく僕を迎えて、認識してくれていた。
とてもありがたかった。
だけど、周りの人が楽しそうであればあるほど、孤独感が募った。
僕はずっと心の中で「ひとりになりたい」と願っていた。
ごめんね、せっかくあなたたちが誘ってくれたのに。
僕はあなたたちに返せないんだ。ごめん。
ーーー
そして今。
ぼんやりとテレビを眺めていたら、気づけば空は黄昏ていた。
薄暗くなったリビングで、自動点灯のライトが僕を照らす。
きっと、僕が今ここで死んでも、この部屋はライトの点灯と消灯をずっと繰り返すのだろう。
以前は親の名義で、書類上は一緒に住んでいた。
でも、仕事で多忙だった両親は、どちらも帰ってくることは少なかった。
僕も仕事で忙しかった。
だから、顔を合わせる機会がほとんどなくて、葬式に出てもまるで遠い親族が亡くなったとしか思えなかった。
兄は、仕事でとっくにこの部屋を出て行った。
僕がこの部屋に残ることを、反対も賛成もしなかった。
ただ、「何かあればいつでも連絡しろ」とだけ言ってくれた。
ふと、外を見た。
高層のマンションから見える街の景色は、今日も煌めいていた。
空には、月がぽっかりと浮いていた。
街の光に照らされ、星はほとんど見えない。だから、月がたったひとりでいるように見えてしまった。
それが親近感を抱かせたのかもしれない。
月に行きたい。
唐突に、そう思った。




