第一話 道端の竜
ぽかぽかしたそよ風に顔を撫でられ、泥スグルの意識は覚醒した。
自身の上体を起こして「ここはどこだ?」と当然の疑問を持ったところで異変に気づく。
(・・目が、開かない・・)
瞼が異常に重たいのだ。セメントでガチガチに固められてるみたいに動かない。
歯を食いしばり手で無理やり開こうとしたが無駄だった。
それでも「ぐぎぎぎ・・・!!!」と情けない声を漏らしつつ悪戦苦闘すること15分。
ようやく目の周りの筋肉が動かせるようになり、視界を明るくすることに成功した。が、そこでまたもスグルは困惑することになる。
「あれ・・・?霞んでるな」
最初は開けたばかりで生理現象的なものかと考えていたが、ゴシゴシと擦ってみても一向に良くなる様子はない。
「はぁ・・」とため息を溢し目を落とすと、あることに気づく。
「・・・近くの物ははっきり見える・・」
ちょうど手の届く範囲内だろうか。その距離にある草や土、自分の体などは鮮明に映っている。
しかしその範囲から外になると、まるでモザイクでもかかっているかのような解像度の悪さだ。
(ともかく、目は開いたし、ずっとここに座っててもしょうがない。どっかに行ってみるか・・・)
適当に歩みを進めながら、泥スグルは青いということしかわからない空を見上げた。
「死んだんだよな、俺・・・。」
自分に言い聞かせるように呟いてみたが、やはり納得はできない。
なんせ自分は今、生きているからだ。夢を見ているのかとも考えたが、死んでたらそんなもの見れないだろう。
パシンっと頬を叩いてみる。・・・・痛いし、夢じゃなさそうだ。
なぜ死んだかは覚えてないが、死んだ実感だけはある。そんな、とても気持ちの良い状態とは言えない感覚にスグルは陥っていた。
女性に声を掛けられた、あの不思議な空間。死んだ実感はあるのに生きているというこの矛盾した状況。
そんな、スグルがある一つの馬鹿馬鹿しい結論に辿り着こうとしていた時、前方に黒い影が見えた。
「なんだろ、あれ?岩?」
遠くのものを鮮明に見ることが出来ない関係で、スグルにはただ『黒い』ということしかわからなかった。
くっきり見える距離まで寄れば何かわかるだろうと、駆け足で近づく。
興味が湧いて少しでも早く見たいと思ったからかもしれない。踏み出す一歩目に異様な力が入った。
そうしてボンッと爆ぜる地面と、前方に投げ出され宙を舞う体。
自分の足から生み出された信じられないスピードに驚愕しながら「ぬわぁぁぁああああ!!」と大声を張り上げ例の黒い物体に迫る。
みるみる内に接近する物体に、着地はどうしようかなと考えられる余裕が出てきた頃。その岩のようなものが動き出した。
「いっ!?」と仰天している間もギギィィと音を立てそいつのトランスフォームは続く。丸い印象だったその物体は、今や縦に高く聳えている。その中間より下くらいの位置にも左右対称に黒い何かがニョキっと生えていた。
(生き物だったの!?なんの!?てかこのままだとぶつかる!!?)
思考はぐちゃぐちゃで停滞していたが、時間は止まってくれない。
とうとうスグルはそいつを視界に収める。「あっ・・・!!」とその生き物に見覚えがあったが、その先を口にすることは出来なかった。
ぶつかったからだ。
ビターンっと硬い装甲で覆われた胸の中に、スグルは大の字で張り付いていた。
自分の置かれた現状に冷や汗が噴き出る。頭の回転なんかとっくに停止している。
ヤバいと思いつつも、その生き物の胸にしがみ付くこと以外何も思いつかなかった。
黒い生物が自身の胸に視線を落とすと、スグルと目が合う。
きっとこいつもいきなりのことで何が起きたか理解できてないのだろう、とスグルは感じた。
目が合ったそいつの情報が嫌でもスグルに認識させ、心臓をけたたましく鳴らす。
剥き出しの牙に本能から震え、妖しく光る鋭い眼光に身が竦む。
テレビやゲームの画面でたくさん見てきた最強の生物、ドラゴンだ。
こうゆう時は敵意がないことを示さねば。スグルは誠意杯の作り笑いをドラゴンに見せつけた。
一方ドラゴンはというと、こちらも状況を把握し始めたらしい。
自分の体に人間が張り付いている。
この世界で人間とドラゴンの関係がどんなものか知らないスグルだったがすぐに思い知る。
ドラゴンは瞳孔をカッ開き大鎌のような口から「グヲォォォォオオオオッッ!!!」と咆哮を放った。
(めっっっっちゃ仲悪いじゃん!!!!)
全身にドラゴンハウルを浴びて涙目になりながら手を離す。
すると空中に無防備に取り残されたスグル目掛けてドラゴンの牙が襲来する。
ああ噛みちぎられて死ぬのか、結局また死ぬのか、と訳が分からなくなり笑いが込み上げていたスグルだったが、次の瞬間正気に戻る。
「よもやここまで追ってくるとはっ!!!死ね人間!!!」
ドラゴンがはっきりと喋ったのだ。その事実がグルグルと頭の中を急速に回転させる。
(話せるなら、こっちの言い分もわかってもらえる!?なら和解することもできる!!?)
スグルがなんとか生き残る道を模索している瞬間も、ドラゴンの牙は迫る。
自身のタイムリミットはすぐそこまで、もしくはもう間に合わないのかもしれない。
関係ないと言わんばかりに、半ばパニック状態でスグルは絶叫した。
「待ってっ!!!話せばわかるってぇぇえええ!!!」
かつて暗殺された人の遺言のようなことを言って、スグルは両手を突き出す。
ドラゴンの口はスグルの全身を余裕で覆えるほど大きいため、この仕草をしたところで意味はない。
ただ咄嗟にできた行動がこれだっただけだ。
それが偶然だったのか必然だったのかはわからない。しかしこれがスグルの命を救うことになった。
「んごぉっっっ!!!」
まるで喉の奥を棒か何かでド突かれたような声を出し、ドラゴンは跳ね返されたのだ。
体ごとズシンと重い音を立て倒れるドラゴンと、ドスっと尻餅をつくスグル。
「何、え、・・・どうした・・・?」
なぜまだ自分が生きているのか不思議すぎて目を丸くする。
突然跳ね返ったドラゴンに目をやると「ゴホッゴホッ」と咳き込んでいた。
「妾が人ごときにやられるなど、万が一にもあってはならんのにぃ。ましてやこんな小童に・・。無念じゃぁ・・・・・」
目に涙を浮かべてそうな声色でそう呻くドラゴンはあまりに気の毒だ。先ほどの鬼気迫る迫力からは考えられない。同一人物・・改め同一ドラゴンだろうか?
「な、なあ、よくわかんないんだけど、ごめんよ?俺に敵意はなくて・・」
そう言いながらスグルはドラゴンの顔に寄る。視界に入るのは当然恐ろしいが、だからって見えないところで「僕は安全です」なんて言っても信じてもらえないだろう。
さっきまでは気づかなかったが、黒いドラゴンの体は傷だらけだった。
丈夫そうな装甲に身を包み、その装甲から削り出したような鋭い爪。立派なボディなのだが、その感動が薄れてしまうくらいにはボロボロなのだ。
「んん・・・、お主よく見ると変わった格好しとるの」
「えっと、そうかな・・?」
服の首元を引っ張り目を落とす。
着ているのは紺色のシャツにグレーのズボン、死ぬ前と同じものだ。ありきたりなごく普通の服だと思ってたけど・・。
ドラゴンは倒れたまま会話を続ける。
「もしやお主、オネマリッタの兵士ではない?」
「いや俺はその、オネなんとかの兵士じゃないよ。てかこの辺、兵士とか出んの?」
「兵士なんか世界中どこにでもおるじゃろ。全く鬱陶しくて根絶やしにしてやりたいわ」
「ねだっ・・・」
「ドラゴン怖っ」と口にこそ出さなかったが顔が引き攣る。
しかし相手を刺激しないためにも極めて冷静さを取り繕いながら、スグルは聞いた。念の為敬語で。
「あの、本当にドラゴンさん、なんですよね・・・?」
「貴様に2つくっ付いとるその眼は飾りか?どこを切り取ってもドラゴンじゃろが」
「ですよね。・・確認なんですけど、魔法とかって使えたりします・・・?」
「舐めるでない。今は消耗しとるがその気になればここら一帯焼き払うことなど造作もないわ」
目の前には架空の生物であるはずのドラゴン。魔法も使える。間違いなさそうだ。死んだはずの俺は生き返った、それも異世界に。
《よい二度目の人生を》と美しかったはずの声が形を変え、荒々しく頭の中を打ちつける。
(とんでもないとこに、来ちまった・・・)
空は相変わらず青かった。
〜〜〜
「ふむ。話から推測するに、どうやらナズは転生者であるようじゃな」
身を屈めている装甲竜〈ノクター〉の言葉に首を縦に振る。「妾はノクターじゃ。名前で呼ぶことを許してやるぞ人間」と、ついさっき丁寧なご挨拶を頂いたので、こちらも名を名乗ったのだ。
ちなみに『ナズ』というのは前世から呼ばれていたあだ名で、これをノクターが発音しやすいという理由で使っている。
二人は先ほどの場所から動かずに話していた。なんでもノクターは傷ついた体を癒すために、森の深い場所までわざわざ潜り眠っていたらしい。
「それをお主がいきなり奇声を上げて突っ込んできて、攻撃までするとは。まだ喉の奥がヒリヒリするぞ・・」
恨めしそうな顔をしてノクターが言っているが、顔が怖すぎて冗談になってない。ブルって漏らしてしまうかもしれないので今後はお控え願う。
そもそもナズに攻撃した自覚などないのだ。それをノクターに伝えると、
「なんじゃ、無自覚でスキルを使っておったのか。妾に噛みちぎられんでラッキーじゃったのう」
とケタケタ笑っていた。笑い事じゃないにも程がある。
それならと、ノクターはスキルの使い方をナズに説明しだした。
「そもそもナズは今もスキルを発動させておるじゃろ」
「まじか。無自覚でいけるもんなんだ」
「危険じゃがな。赤子がナイフを振り回しとるようなものじゃ。スキルの使用自体は簡単。ただ念じればよい。切るときも同様じゃ」
「へー・・・」
答えながらナズは発動停止と頭の中で唱えてみた。すると体にどっと倦怠感がのしかかった。
それだけでなく、この世界に来てからずっと変だった視界も元に戻った。どうやらあの異変もスキルのせいだったようだ。
「どう、まだ発動してる?」
「いや、止まったみたいじゃな」
「どうやってそれ判断してんのさ?」
「漏れ出る魔力かの。まあ肌感でわかるのよ妾くらいになるとな。そうじゃナズ、お主回復系のスキルは持っておらんのか?」
期待の眼差しを尻目にナズはスキルの確認を試みる。これもこの世界の住人ならばフィーリングで出来るらしい。「呼吸するよりも簡単じゃからやってみい」とノクターに急かされる。
レジット【状態異常耐性】、マキシマム【身体強化】【言語理解】、レジェンダリ【顎】ゴッデス【破壊ノ主】
順番に口に出してみたナズだったが、治癒できそうなスキルはなかった。
「ごめん、これで全部だ。回復はできそうにないや」
「仕方ないの。それよりもナズ、あの女神に相当サービスしてもらっとるの。レジェンダリにゴッデスのスキルまで、欲張りセットじゃな」
「女神・・?スキルって女神様がくれるものなの?」
「転生者の場合はそうじゃと聞いたがの。女神が目の前に現れて与えるとかなんとか」
「会ってない・・けどな・・・」
嫌われてたのかなと、ナズは思案するがすぐにやめる。考えたってわかんないことは考えない方がいいのだ。
「女神様、あざーすっ!」と心の中で感謝しておくことにした。
「妾は賢いゆえ人語も操るが、別世界のナズに通じているのもスキルのお陰じゃろな」
女神様グッジョブすぎでしょ。英語だってろくに出来ないのに、今から全くの他言語を習得しろなんて面倒くさすぎるからな。
「ねえノクター。俺にこの世界のことをもっと教え・・」
ナズが言い切る前にノクターはボンッと煙に包まれ、そこから小さなデフォルメされたノクターが飛んできた。
ちょうどピ◯チュウとかがいれば、このくらいのサイズなのだろうか。
「な、にしてるの!?てかそんな可愛い感じに変身できたの!?」
「まあの。・・チッ、全くねちっこい奴らじゃ。ナズ、時間がない。妾を追っていた兵士が近づいてきとる。傷ついた体を癒すためにもお主の体の中で眠らせてもらうぞ。」
「え、えぇ〜、じゃあ残された俺はどうすんのさ」
「そんなもん、上手くやればよかろう。妾の加護をくれてやるゆえ死にはせんから安心するのじゃ」
「加護?」
「そじゃ、人間ごときがする攻撃なら傷一つ付かん《装甲の加護》よ。特別じゃぞ?」
「ん、まあまあそれなら、いいのか?とりあえず、わかったよ!」
投げやりに両手を開いてみせ、受け入れるポーズをとったナズ。
そんなナズにフラフラと近寄るノクターは、見た目よりも限界ギリギリなのかもしれない。
「これはこれは、魔力量も豊富で良いベッドじゃな。よく眠れそうじゃ。起こすなよナズ・・・」
「ベッドインってことか?」
「しばくぞ」と覇気のない声で応えたノクターが、体にスッと入ってくる。「おやすみ」と呟いてみたが、返事はなかった。
そうこうしているうちに、ナズの耳にもカチャカチャと金属が擦れる音が聞こえてきた。
立ち上がり敵意がないことを示すためにも笑顔を貼り付ける。ドラゴン相手には効果がなかったが、相手が人間なら大丈夫だろう。
しばらくして、「あっちに人影が見えます!」「何!?逃すな!!すぐに捕まえろ!!」と物騒な声が聞こえ人の行列が接近してくる。
兵士たちは白い鎧に兜まで身にまとっていた。鎧の胸部には大きく模様が刻まれている。おそらく国の紋章だろう。鳥の頭に、馬の体、翼まで生えている。グリフォンだ。
その列の中から偉そうなヒゲをたくわえた兵士が出てきた。この隊の長であるようだが、太々しい態度は強さの現れなのか。
「貴様、何者だ!!」
「えっと自分、ナズと言いまして・・。決して怪しいものじゃございませんよ?」
「怪しいやつは口を揃えてそう言う!おかしな格好、どこの国のものだ!」
「日本・・・ってもわかんねえか・・。あの自分、転生者なんです!」
「転生者だと!?・・・寝言は牢屋で吐いてもらう。あいつを捕らえよ!!」
「ちょいちょいちょい」と足が引き下がるが、いつの間にか囲まれて逃げ場がなくなっていた。
まさかドラゴンより人間の方が話が通じないとは。世も末だとナズは胸の内でぼやいた。
「抵抗するなら斬れ。腕の一本や二本無くなったところで構いやせん」
(腕は二本しかないんですけど!?タコだと思われてんのかな俺)
そんなツッコミお構いなしにジリジリと距離を詰めてくる兵士たち。ナズはスキルを教えてくれたノクターに深く頭を下げる気分で【身体強化】を発動した。
前世では喧嘩すらしたことないのに、どうやって己の身を守ればいいのか。自暴自棄になりたい欲求をなんとか抑え目の前の兵士を睨む。
すると後ろから「はあっ!」と鋭い声が耳に入る。振り返ると兵士の一人が剣を振りかぶっていた。
「あぶばっ(危な)!!」
びっくりしすぎてまともに呂律が回らなかったが、ナズはこれを寸でのところでかわした。
しかし避ける先を予知していたかのように兵士が二人、剣を突き立ててくる。ナズは「ひいっ」と情けない声が喉から鳴るも、回避に成功。
それでも相手は訓練された兵士だ。詰将棋のように追い詰められたナズは、次に繰り出された眼前の剣に逃れらないことを感じ取る。
反射的に腕でガードしてみたものの【身体強化】に体を硬くする効果はない。あくまで身体能力や動体視力を上げるだけだ。
斬られたら痛いだろうかと考えが至る間もなく、刃はナズの腕に達し・・・・パキンっと音をたて、剣の上下は離れることになった。
「なっっ!!??」と驚愕する兵士。
それ以上に動揺して声も出ないナズだったが、すぐにノクターの言葉を思い出した。
(加護すげえええ!!!ノクター様ありがとおおお!!!)
内心で大歓喜である。
そんな中、目の前で起こったことを理解できない兵士たちが声を張る。
「どういうことだ!!?」
「魔力の通った剣だぞ!!【防護結界】でも容易く刃が通るはずだろっ!?」
「まさか本当に・・・!?」
兵士は口々に意見を述べるが、やがて隊長と思わしきヒゲの男が手を上げると、ピタッと静かになった。
「まさかお前、本当に転生者か・・?」
ナズはコクコクと首を動かす。(さっきから言ってるじゃん、このヒゲチャビンがっ!!)といった意味が頷きに含まれていたが決して声には出さなかった。
ヒゲ男は少し思案した様子だったが意を決したようにナズを見て言い放つ。
「お前が本当に転生者なのか、王城に行き調べることにする。本物ならば悪いようには扱わん。大人しく従ってもらうぞ」
ナズも抵抗する気は毛ほどもなかったため、あれよあれよと事は運んだ。
そうしてナズは今、お城の中、王と謁見するための部屋の前にまで来ていた。




