イントロ:慈悲
高校2年、17歳の夏休み。
泥優は上空にいた。雲の上は圧巻の景色で、こんな状況でなければ食い入るように外を眺めていただろう。
「hands up!! hands up!!(手を挙げろ!!)」
男4人に女が1人。
黒い目出し帽や、グローブと袖の隙間から覗く肌は黒かったり、白かったり、アジア人のような目元の人もいる。
多国籍テロ集団といったところか。
ゴツい防弾チョッキで身を固めたそいつらは、忙しなく銃口を旅客に向けて叫んでいる。
ほんの3分くらいだった。
1人の男が声を上げ、それに呼応するように影が動き出したかと思えば、瞬く間に空機は制圧されたのだ。
前の方から腹に響くような銃声がした時は、さすがに悲鳴が上がったり混乱が走ったが、今は多少の啜り泣きは聞こえるものの、図書館も顔負けの静かさだ。
下手すれば殺されると、平気で殺しをする連中だと全員が理解したのだ。
現に、銃声がしたことから考えても機長の命はもうないのだろう。飛行機が落ちてないところ見るに、グループの1人が操縦席に座っている可能性が高い。
「スグ兄・・・」
隣で座っていた妹から細い声が漏れる。スグルの袖を摘んでいる指が小刻みに震えている。
顔は動かさず向けられたその視線は、口なんかよりもよっぽど多くのことを語る。「ねえ私たちどうなるの!?」「大丈夫だよね!?」「絶対助かるよね!?」と、今にも叫び出しそうだ。
今年中学に入ったばかりの妹なのだ。ここで終わる人生なんて短すぎるだろう。
「俺だってそうだ!」とスグルは心中で声を張る。世の中100歳以上生きてるやつもいるのに、俺はまだ17年しか人生を送れてないんだぞ。
交際経験もなければ、夜のお戯れだって経験してない。ピカピカの童貞なのだ。
死んでたまるものか、と決意を新たにする。
妹の手を握り、視線を返す。落ち着かせるようにゆっくり頷くと、薄く張った透明な膜を隠すように、妹は瞳を閉じた。
とにかく、やり過ごす。今の乗客に許されることは、粛々と神に祈ることだけなのだ。
そんな静寂を破ったのはとある女の子のキンとした泣き声だった。
筋骨隆々の男が見回りのために徘徊していたところ、前にいたその女の子と目が合ってしまったのだ。
ここまで我慢した分を取り戻すかのように、女の子の涙は止まらなかった。
「Hey you!! Shut up!!(おい貴様!!黙れ!!!)」
激昂したテロリストの男は、あろうことか女の子に銃を向けた。
これに母親が顔面蒼白になりながら、庇うようにして女の子を宥める。
「大丈夫よサキっ!!いい子だからっ、泣き止んで!大丈夫だからっ」
「Hurry up!! Stop crying!!(早くしろ!!そいつを泣きやませろ!!)」
母親はしきりに女の子の肩をさすり、安心させようとしているが効果は今ひとつのようだ。
ワナワナ震える男の顔は、きっと真っ赤になっていただろう。とうとう女の子に「I'll kill you!?(殺すぞ!?)」と銃を向け直し、撃鉄を乱暴に起こした。
その行動にスグルは思わずカッとした。体内を回る血が燃えるみたいに熱くて、全身の毛が逆立つのを感じる。
そうして気づけば立ち上がっていた。
「おいお前!!ふざけんなよっ!!」
「ちょ、お兄・・・!!??」
抑えられなかった怒号が飛んだ瞬間、航空機内にいたテロリスト全員の銃口がスグルに向く。
当然、女の子の前にいた男のハンドガンもだ。
テロリストたちが持っている銃は実にバラエティに富んでいる。
拳銃をはじめ、ライフルやショットガン、一際でかい男の肩には小型のマシンガンのような代物まである。
全く、手荷物検査は何をしていたのだろうか。こんなんでは小学生にやらせた方がマシなのではないか。
「Hey!! Sit down!! hurry!!(貴様!!座れ!早く!!)」
「うるせえ!!小さい子怖がらせて殺すだと!?何考えてんだよ!!」
スグルは一種の錯乱状態にあった。
人一倍正義感が強いとか、勇気があるとか、そういったタイプではないのだ。
一度手を出したら止まらないドラッグのように、スグルもまた一度立ち上がった後は止まらなかった。
この異常な空間にトリップしていたのだ。
「Do you wanna die!?(死にたいの!?)」
「Kneel!! Kneel down!!(膝まづけ!!)」
「Behave and hands up!!(大人しく手を挙げろ!!)」
「*********」
「###??$$?”?%”」
「〜!#)$!=’%0%!」
「いいから、その子から早く離れろよ!!」
テロリストたちもまた反乱分子を排除するべく躍起になる。
口々に声を荒げるが、もともと英語が得意な方でない。本場の英語が何を言ってるか聞き取ることも出来ず場の混沌は深まるばかりだ。
女の子の前に立っていたテロリストの男が、ヒートアップして息苦しくなったのか目出し帽を脱ぎ捨てる。
堀の深い顔に短くボサボサな金髪。目を血走らせながら何かを叫ぶ。
スグルも叫ぶ。周りのテロリストどもも叫ぶ。
そんな中、はっきり聞き取れた「die!!」という声。
あの男が構えていた大経口のリボルバー。その銃口のなんと暗いことか。
吸い込まれるような黒さに目を奪われ、そうかと思えば白くチカっと輝いた。
反動でのけ反り肩を痛める男に、ズガンっと重い重い音が乗客の鼓膜を殴る。
その凶暴な音の情報を脳が処理する前に、泥スグルの頭は吹き飛んでいた。
妹の喉を裂くような悲鳴は、スグルの耳には届きようがなかった。
〜〜〜
果たして自分は、目を開けているのだろうか?
暗闇に包まれたスグルはキョロキョロと首を振ってみる。
振ってみたつもりだったが、景色は暗いまま。他に何もないため、自分は首を動かせているのかさえ疑問に思えてきた。
「誰かいますかーっ?」と口に出そうとして、スグルは喋れないことに気づいた。
口を縛られている感覚はない。そもそも口の感覚がないからだ。
上下もわからない真っ暗な空間で、スグルは海中のワカメのように揺蕩っていることしかできなかった。
そんな中でも冷静な自分に気味悪さを感じた。
(死ぬ前とはえらい違いだな・・)と心の中で冷笑を浮かべてみる。
柄にもなく正義感を振りかざして、呆気なく死んだのだ。冷笑の一つでもしてなきゃやってられない。
この間抜けさがニュースで世間に知られると思うと、・・・まあどうでもいいか。死んでるし。
確信はないが、きっと銃に撃たれたのだろう。グロいことになってたら、周りのお客さんに申し訳ないな・・。
しばらく何もない時間が続いたが、それはスグルにとって悪くなかった。
死の受容や、家族への心苦しさ、おまけに夏休みの溜まりに溜まっていた課題への向き合い方などなど。
課題を提出できないことを真摯に受け止め「っシャおら、ラッキーっ」と区切りをつけたところだ。
そんなおり、ふと遠くで光っているものに気づいた。
スグルが認識するや否や、光は急速に拡大していった。おそらく近づいてきたのだろう。
あまりの勢いに後退りして目を閉じたい気分だったが、感覚がないのでそれも許されない。
絶叫マシンも涙目で逃げ出す拷問体験だった。
しかし近寄ってきた光はそれ以上何をするでもなかった。
ただただ目の前をぼんやり光っていて、なんだか拍子抜けだ。
だからと言って待つ以外のことはスグルには出来ないわけで。じっとして、その光の動向を窺っていた。
すると、スグルに異変が起きた。眠いのだ。ものすごく。
4限目にプールがあった後、弁当を掻き込み、迎えた5限目の国語。即死コンボである。
あれで寝らずに授業を受けているのは先生に「寝たら殺す」と脅されてるか、そうでなければ変態なんだろう。
当然スグルはどちらにも該当しないので、すぐに意識を手放した。
直前、女性の綺麗な声が妙にはっきりと頭の中に響く。
《よい、二度目の人生を》
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〜Side 女神〜
「ずいぶんと酷い死に方をしたのねぇ」と女神は目を伏せ嘆く。
輪廻から飛び出した魂を見に来て見れば、なんとまあ無惨なことか。女神は自分のことのように胸を痛めていた。
通常ならばこのまま元の輪廻に戻すところであるが、この個体を見て思いとどまる。
彼の勇気ある行動に報いて、少しくらいサービスしてあげましょう。
向こうのバランスも悪くなってたし、ちょうどいいわ。
女神は作り物のように美しい笑みを口元に浮かべその個体に近づく。
女神が送った個体たちは向こうの世界で『転生者』と呼ばれ、存分に生を謳歌している。
無論、女神がそうなるように仕組んでいるのだ。
この個体にも同じような施しを与えようと、目の前に現れる。
ほとんどの人間は神がいきなり目の前に現れると腰を抜かす。それだけで済めばいいが、失禁なんかされてはこちらも不快だ。嬉しさからくるものだとわかっていても、限度がある。
そんな訳で精神安定の御業を使っておいたのだが、この個体にはどうやら不要だったようだ。
目が見えていない。それどころか、脳がやられているせいで、おそらくどこの感覚もないだろう。
この個体は女神の同情を引くには十分すぎる有様だったのだ。
女神の姿が見えないのは不都合が生じるが、この際もはやどうでもいい。
一刻も早く今の状態から救ってあげなければ。
使命感に駆られた女神は慣れた手つきでスキルを与える。
[マキシマム【身体強化】【言語理解】を確認、及び付与を実行。成功しました]
透明で無機質なこの声は部下のものだ。報告に軽く耳を傾けながら、女神は続ける。
[レジェンダリ【顎】レジット【状態異常耐性】を確認、及び付与を実行。成功です]
小さく頷きながら次に与えるスキルについて思案する。
正直、転生先の世界で暮らしていくには十分な強さだ。これだけでも上位30%の実力には入るだろう。
しかしそんなものではまたすぐに死んでしまうかもしれない。それは余りに不憫というもの。
そのため転生者たちには一握りしか存在しないような強さを与える。
まあバランスを取るために敢えて欠陥を混ぜるのだが、それでもとんでもない強さだ。
例に漏れず、この個体にも神の如くスキルを授ける。
[ゴッデス【破壊の主】を確認、及び付与を実行。成功しました。これにてスキルの付与を終了いたします。お疲れ様でした]
その言葉に応えることもなく女神は個体に手をかざす。死因についての一切を忘れさせるためだ。
覚えていたって辛いだけだろうし、忘れることが救いになると信じて。
そうして作業を終えた女神は一息つくと、この個体を送り出す。
晴れて成人した我が子を慈しむような瞳で、再び旅立つ手向けに言葉を恵む。
《よい、二度目の人生を》
転生が無事に終了する。
いつの間にか女性が側に寄っていた。カチッとした服装にメガネがより一層の固さを演出している。
その女性が差し出した資料を女神は無言で受け取り、目を落とす。
そのまま二人は足早にその場を去っていった。
「続けて転生させるのも、体力がいるわね・・」とため息混じりに軽い愚痴をこぼしながら。




