始まりの日
「ここ……どこ?」
つい先ほどまで、人間領カリア王国の城の中——
大魔石の前にいたはずなのに、今エミリは、どこまでも真っ白な空間に立っていた。
壁も、天井も、床もない。ただ白い。
「移転魔法……でも使った?」
そう呟きながら右手を見つめ、首を傾げる。
大魔石がどうなったのかは分からないが、不思議と“うまくいった”という感覚だけはあった。
出口を探そうと視線を巡らせた、その時だった。
きらきらと、空中に金色の粒子が浮かび上がる。
見覚えのある、あの光。
「あ……」
金色の粉が宙に集まり、ゆっくりと人の形を作り始める。
「もしかして……お告げをくれた、神的な存在?」
大魔石を前に立ち尽くしていた時、確かに聞こえた声。その時と同じ、金の煌めきに、エミリは思わず安堵する。
やがて人影は、はっきりとした輪郭を持ち、
その姿を見た瞬間、エミリは言葉を失った。
似ている、どころではない。
それは、どう見てもエミリ自身だった。
『やっと来たわね』
「……私?」
小説や漫画でよくある展開だ、とエミリは思う。
意識を失った主人公が異空間で神と会い、その神は姿を持たないから、自分と似た姿で現れる——そんなやつ。
一人で納得しかけた、その思考を読んだかのように、相手は微笑んだ。
『違うわよ? 神っていうのは合ってるけど――正真正銘、森沢エミリよ。未来のね』
「……未来の、私?」
未来の自分が、ここにいる。
それはつまり――。
「じゃあ、私は死んでない?」
未来の自分は、あっさりと首を振った。
『いいえ。死んだわよ』
「……え?」
『体も、もうないわ』
一瞬、思考が止まる。
体がない?
焼かれた? ……まあ、衛生的には火葬が一般的だし――と、現実逃避じみた考えが浮かぶ。
だが未来のエミリは、すぐに続けた。
『そういう意味じゃないわ。焼かれたとか、埋められたとかじゃなくて――《《世界の一部になった》》の』
「……なにそれ」
理解が追いつかない。
体がないのに、頭が痛くなりそうな感覚だけはある。
そんなエミリをよそに、未来のエミリは朗らかに笑った。
『今ね、空間を捻じ曲げてここに来てるの。あんまり長く持たないから、手っ取り早く説明するわ』
そう言って、未来のエミリはエミリの頭に手を置いた。
(魔法……?)
そう思った瞬間、視界が反転する。
――映像。
カリア王国の玉座の間。
光と共に現れる、戸惑った表情のエミリ。
ナフレアの町。
大量の亡骸を前に、膝をついて泣いている自分。
人間の王アルマスとの激しい口論。
そして、城を出ていく後ろ姿。
「……」
同じ顔なのに、まるで違う人生。
「これは……あなたの?」
『そう。それが、私が歩んだ人生』
未来のエミリは静かに言った。
『最終的には魔族領に行ったけど、人間側の誤解と恐怖のせいで……たくさん死んだわ』
胸が、ずしりと重くなる。
今の自分の世界は、まだそこまで血に染まっていない。
『で、神になってから色々試してみたの。そしたらね、過去に干渉できるって分かって』
「……なるほど?」
『ほら、異世界転移なんて起きる世界だし? 何でもありかと思って』
嫌な予感がする。
『だからまず、異世界転移の魔術をちょっと邪魔してみたのよ』
「……まさか」
『先に魔族側に行くようにしたの。そっちの方が、効率いいでしょ?』
「さすが私……」
『でしょ?』
「……もしかして、魔王と神託でやり取りしてたのも?」
『私』
ということはあれが、魔王が全く仕事をしなかったのはこいつの――いや、自分自身のせいかと、エミリは肩を落とした。
「もしかして……ゼル族とアラン族に神託出したのも?」
『私よ』
即答だった。
「……」
そのせいで、揉め事が拡大した。
火に油を注いだ張本人が目の前にいる。
エミリは、半目で未来の自分を見る。
「お前か……」
『え、ちょっと待って? 怒らないでよ』
未来のエミリは慌てて手を振る。
『だって過去が私の時と違ってるんだもん。神託出すタイミング、ほんと難しいのよ?』
「……」
『字数制限もあるし』
「字数制限」
『うん。上手いこと伝えないといけないの。削るの大変なのよ?』
神託に字数制限。
知りたくなかった事実だ。
まるで、青い鳥でお馴染みのSNSである。
『……まあ、そういうわけで』
未来のエミリは、少し真面目な顔になる。
『あなたも、これから神としてこの世界を見守って。信仰がなければ消えるかもしれないけど』
「……無茶言わないで、前任の方は?引き継ぎとかないの?」
『異世界転移を見逃したとして、神の格を落とされたみたいで、もういないのよ。だから代わりに選ばれたってやつね』
神なんて、やったことがない。
しかも永遠に続くかもしれない時を、一人で?
『大丈夫よ、拝まれるのは慣れてるでしょ?』
エミリは思い出す。
魔族の町で拝まれ、恋愛救世主と呼ばれ、半ば信仰の対象になっていた日々を。
『信仰の土台はできてるし、消えはしないわよ』
「……でも、一人でどうしろと」
永遠に続く時間。
責任。
孤独。
『一人?』
未来のエミリが、ふっと笑った。
『そろそろかしら』
淡い光が、もう一つ形を結ぶ。
「……エネル?」
そこに現れたのは、見慣れた魔族の姿だった。
「ここは……どこだ?」
辺りを見回し、エミリを見つけると、安堵したように口元を緩める。
彼も、ここに来たということは——、
「無事か」
その一言に、胸が詰まる。
『彼はね、神の眷属みたいなものよ』
未来のエミリは軽く言った。
『じゃ、私は行くわねー!』
そう言い残し、光の粒となって消えていく。
「……なんかよく分からんが」
エネルが呟く。
「俺たち、死んだってことか?」
「ええ、たぶん」
「神がエミリで……俺が眷属?」
「そうみたい」
「……ずっと一緒か?」
「私が消えなければ、ね」
その言葉に、エネルは今まで見たことのない笑顔を向けた。
「本望だ」
白い世界に、二人の存在だけが残った。
——ここから、新しい“世界”が始まりを迎えた。




