赦されざる力
カリア王国王宮——
王アルマスはすべてが寝静まった深夜、静まり返った王宮の回廊を護衛も付けずひとり歩いていた。
昼は侍女や文官の声で賑わうその場所も、今は王の靴音だけが響く。
石畳の上を歩くたび、足音がやけに冷たく反響した。
やがて、奥まった一室の前で立ち止まる。
王は血のように赤い魔石が嵌められた右手を扉にかざし、低く呟いた。
「——開け」
鈍い音とともに、重厚な扉がゆっくりと開く。まるで、王の訪れを待っていたかのように。
中は広いが、装飾らしいものはほとんどない。
壁際に一枚、金の縁取りの肖像画が掛かっている。
そこには、柔らかな笑みを浮かべる女性の姿があった。
アルマスは一瞬、その絵に視線を落とす。
目の奥に、かすかな痛みが走る。
「……お前なら、どうしただろうな。」
その呟きは誰にも届かず、闇の中に溶けた。
彼の視線は部屋の中央、少年の背丈ほどもある赤黒い魔石へと移る。
その魔石は、深淵のような光を脈打たせながら、低く唸るように震えていた。
歴代の王が“神の遺産”と呼び、決して手を触れなかったもの。魔族すら消し去る力を持つと伝えられながらも、恐れと理性がそれを封じ続けてきた。
アルマスは迷いなく歩み寄り、魔石へ手を伸ばす。
触れた瞬間、冷気が指先を這い上がり、血の気を奪う。
魔石から手を離し、懐から一通の手紙を取り出す。
何度も握り潰された跡があり、インクはにじみ、文字も掠れている。
それは、かつて王の息子であった者からのものだった。
『父上、どうか恐怖で国を縛らないでください。
人と魔族が手を取り合えば、きっと争いのない国が作れます。
どうか、この新しい地を見届けてほしいのです。』
アルマスの目に、怒りと悲しみが同時に宿る。
「……見届けろ、だと。」
苦く笑う。
指先が震え、手紙を強く握り潰す。
「騎士と駆け落ちし、王家の名を捨てた男が……今度は魔族と手を組み、領地を奪って独立だと?」
声は低く、抑えた怒りがにじむ。
「国を裏切った者が平和を語るな。人と魔族が共に歩む?それは滅びの道だ」
魔石が、まるで意思を持つかのように脈動を強める。赤黒い光が壁を這い、部屋の隅々まで影を伸ばした。
アルマスは視線を上げ、光を真正面から浴びる。
その瞳に映る赤黒い輝きは、魔石の光と同期するかのように脈打ち、もはや人としての色を失いつつあった。
「理解など、夢物語だ。民は怯え、国は裂けた。
——ならば、私は恐怖で統べよう。
この国が再び揺らがぬように。」
魔石の鼓動が一際強くなる。
空気が震え、王の周囲に赤い紋様が浮かび上がる。
そして、アルマスは静かに呟いた。
「……見ていろ、愚かな息子よ。お前が選んだ理想が、どれほど脆いかを思い知らせてやる。」
その声は、闇に吸い込まれるように王宮の奥まで届き、永く残る不吉な余韻を落とした。




