閑話
恋の駆け引きピカピカの一年生、ピリカ。
今、彼女は人生最大の勝負どころにいた。
いつも誰かが周りにいるので、なかなか二人きりになることが難しいデラルドとついに二人きりになれたのだ。
千載一遇のチャンス、ここで動かずしていつ動く。
少ない知識を振り絞り、恋の教本(エミリ様監修)を頭の中でめくる。
「ピリカ嬢、魔石はこの部屋に保管している。かなりの量だが……二人で運び出せるだろうか?」
「……」
(えっとえっと……エミリ様が言ってた。『ハプニングが起きると、それを恋のドキドキと勘違いしやすい』って!)
「ピリカ嬢?」
「……」
(そうだ! 『魔族キュン♡共同生活シーズン2』で、エルディア様が使ったあの手がある!)
全く話を聞いていないピリカに、デラルドは首を傾げながら、古びた鍵を差し込み重い扉を開けた。
中には木箱が山のように積まれている。
魔石の輝きがわずかに漏れて、部屋の中を淡く照らしていた。
ピリカはデラルドを先に部屋の中へ入れると、すぐに扉を閉め、こっそり自分の手に強化魔法をかける。
そして──
「……あれぇ? デラルド様ぁー! ドアの取っ手が取れちゃいましたぁー! どうしましょうー! 出られませーん!(棒)」
部屋の中に、乾いた沈黙が落ちた。
ピリカはそっとデラルドの顔をうかがう。
(“閉じ込められた二人”イベント発生よ!!)
「なるほど。老朽化だな。」
デラルドはしばらく扉の取っ手を見つめ、それから静かにうなずく。
「修繕は後日、報告書に記載しておこう……そのうち誰かが通りかかれば、外から開けられるだろう」
そして淡々と、結論を告げた。
「助けが来るまで、待つしかないな」
ピリカはそっと取っ手を手に握りしめたまま、デラルドの背中を見つめる。
(……よし、完璧な二人きり。ハプニング成功! あとは“ドキドキ”が始まるだけ!)
彼女はそっと魔石の箱の角を見つめた。
(……つまづいて倒れこむ、抱きとめイベント……これだ!)
「魔石の箱を——」
デラルドが振り返った瞬間、ピリカは勢いよく足を箱の角にぶつける。
「きゃあっ!」
……しかし。
デラルドとの距離があり、抱き止められるどころか鈍い音が部屋に響いた。
「ピリカ嬢!大丈夫か?!けがは?」
「大丈夫ですぅ……」
ピリカは顔を真っ赤にしながら、頭の中ではエミリ様の教本がペラペラとめくられていた。
(落ち着けピリカ! 『失敗しても焦らない、笑ってごまかせば印象アップ』って書いてあった!)
デラルドは一歩、静かに近づいてきた。
しゃがみこむその動作も、いつも通り落ち着いていて、それが逆に心臓に悪い。
「無理に立たなくていい。……足、痛めたか?」
「い、いえっ! だ、だいじょうぶです!」
(だいじょうぶじゃない、心臓が限界ですぅぅぅ!!)
ピリカが必死に笑おうとしたその瞬間、
デラルドが手を差し出した。
「……ほら」
低く落ち着いた声。
いつも冷静な彼の、少しだけ優しい響き。
ピリカは一瞬、言葉を失った。
目の前のその手は大きくて、指先までしっかりしていて男らしく硬そうな、けれど不思議と温かそうだった。
(え、これって……初・手つなぎ!? 恋の発展ステップ!!)
頭の中でエミリ様の恋愛教本が花びらのように舞い散る。
「……ピリカ嬢?」
「あっ、は、はいっ!!」
思わず手を伸ばす。
指先が触れた瞬間、感触が走った。
デラルドの手のひらは、見た目よりも柔らかくて、その温度が手を伝って胸の奥まで広がっていく。
(きゃー!!て、手がふれてる——!)
ゆっくりと立ち上がる間、
デラルドはしっかりとその手を支えていた。
「立てるか?」
「は、はい。……ありがとうございます……きゃ!」
彼が手を離す刹那、ピリカは体勢を崩しデラルドの胸元に崩れ落ちた。
ピリカは思わず息をのむ。
色々企んではいたが、いざここまで接近してしまうとどうして良いかわからない。
デラルド胸元に触れるピリカの耳に少し早いデラルドの鼓動がきこえ、その心地よいリズムに、天に召されそうな感覚をおぼえる。
そしてこれはチャンスだとばかりに、デラルドの匂いを胸いっぱいに吸い込んだ。
(はぁ……やばい…………)
デラルドは少し驚いた様子で彼女を見下ろす。
「……怪我はないな?」
「は、はい……大丈夫です……」
短く答えたピリカは、胸の奥がまだドキドキしているのを感じながら、ゆっくりと自分の体勢を立て直した。
思わず小さく息をつくと、デラルドも静かにうなずいた。
(……ふぅ……今なら、少しだけ会話しても……)
ピリカが心の中で次の作戦を考えかけたそのとき——
ドカン!!
突然、扉が大きな音を立てて揺れる。
木の板が割れる音、金属の軋む音、
そして——
「お前らなにをやってるんだ?遅いぞ」
視界いっぱいに、エネルの顔と腕が飛び込んできた。一振りの力で扉は粉々に砕け、二人きりの“いい感じ”空間は一瞬にして消滅。
ピリカは思わずデラルドから目をそらし、口をパクパクさせた。デラルドも目を丸くして、無言で粉々になった扉を見つめる。
「扉が……」
「エネル様……!!」
部屋の甘い空気も、ドキドキも全部吹き飛んだ。
エネルは淡々と、壊れた扉を一瞥して言った。
「……閉じこもって何やってたんだ。まあいい、お前らさっさと魔石を運べ」
ピリカは胸を押さえ、心の中で絶叫する。
(……せっかくのチャンスだったのにぃぃぃ!!)
デラルドは無言で扉の破片を見つめ、しばらくの間その場に立ち尽くした。
やがて静かに呼吸を整え、手を動かし始める。
壊れた扉の破片を片付け、魔石運びの準備に戻る姿は、いつもの冷静な彼そのものだった。
その背中は頼もしいけれど、心の奥底で悔しい気持ちがピリカを刺激する。
(これで諦めるわけにはいかないんだから……次こそは、絶対に仕留める!)
ピリカは胸の高鳴りを押さえつつ、小さく拳を握った。甘い空気は一瞬で消えたけれど、心の中には新たな決意が燃えていた。
――次のチャンスに賭ける。ピリカはそう心に決めたのだった。




