始まりの日の終わり
「えーと、何か話してみてください。はい、どうぞ」
怯えて誰も近づこうとしない村人たちに代わって、エミリが代表として“青年B”に声をかけることになった。緊張と戸惑いが入り混じった空気のなか、青年の口が開く。
「……あ、言葉がわかる…俺の言ってること、伝わってるか?」
「おお、成功ですね!村長さん、さすがです。尊敬度がググッと上がりました。魔法が使えない者にとって、こういうのは憧れますよ」
エミリには、どういう理屈で“言語が通じた”のか皆目見当もつかない。翻訳魔法だとか、神の加護だとか、そういう話は一旦棚上げにするしかなかった。
だいたい彼女は子どもの頃から、「宇宙の外には何があるのか」とか、「死んだ後にはどこに行くのか」とか、そういうどうにもならないことを考えては脳のキャパをオーバーさせていた。そして二十九歳になった今もなお、答えは出ていない。
(考えるだけ無駄か…宇宙の外も、魔法も)
などと、思考がまた脱線し始めたときだった。
「……だ、大丈夫か?」
「あ、すみません。思考が宇宙の彼方まで行ってました」
「う、うちゅう?なんだそれは?翻訳がうまくいってないのか?」
「いや、わしにもわからん言葉じゃな……エミリ様は時折、神のお言葉をお使いになられるからのう」
「おきになさらす。では話を戻しましょう」
軽く一礼して、エミリは表情を引き締めた。
「言葉が通じるようになったことですし、まずは自己紹介いたします。私は森沢エミリ。つい数時間前にこの世界へ移転してきました。あなたと同じ分類かはわかりませんが、一応、人間です」
びっくりするくらい村の雰囲気に馴染んで貫禄もでてきているが、エミリはまだ来て数時間なのだ。
「エミリ殿、先ほどは助けていただいて感謝する。俺の名はエルヴィン。怪我をしていたのはアレイス・フィオレルという」
「……エルさんとお呼びしても?」
エミリの脳は、すでにカタカナ致死量を超えていた。つまり、もうこれ以上名前が覚えられないということだ。
聞いたそばから苗字はどこかへ飛んでいくし、正直いま村長の名前すらおぼろげである。エミリの処理能力は完全に限界を迎えていた。
留学中も「ソフィー」だか「ソフィア」だか、「ダニエル」だか「ダニエレ」だか、名前はいつも賭けだった。苗字なんて、最初から聞かなかったことにしていた。
「好きなように呼んでくれて構わない。……それにしても、我が国でも異世界から人を召喚して“魔王討伐”を計画しているが、まさか魔族側でも同じことをやっていたとはな」
「よくある展開ですね。……でも、私の場合は誰に召喚されたんでしょう?たしか“神託で現れる”ってだけでしたよね?村長さんが召喚したわけじゃないですよね?」
「そうじゃのう。神託によれば“光とともに現れる者を迎え入れよ”と魔王様から伝えられただけじゃ。そしたら、本当に光とともにエミリ様が来られたんじゃ」
納得したような、してないような。だが、ここまで生き延びたのは事実なので、いったん保留にする。
「それで、エルさんたちはなぜ森に?怪我までして」
エミリの問いに、エルヴィンはふと顔を伏せた。
「……俺とアレイスは、追っ手から逃げていた。アレイスが攻撃を受けて、一か八かでこの“魔の森”に入ったんだ。ここは魔族領だ。普通の人間は、恐れて入ろうとしない」
理由はまだ語られない。けれど、彼らは何かを背負っている。
それだけは、エミリにもわかった。
「……まあ、人生いろいろありますよね?今日はもう十分に疲れたでしょう。ゆっくり休んでください」
一拍置いて、続けようとしたところで詰まった。
「また明日……その、もうお一人の……えーと…………お連れの方と、色々教えてください」
誤魔化したつもりだが、自分でもごまかしきれていないことはわかっていた。
それでも、青年はまっすぐに言葉を返してくれた。
「ありがとう…デラン殿も村に受け入れてくれて感謝する。魔族のことを思い違いしていたのかもしれない、俺たち人間とそうかわらないのに…」
その言葉に、エミリは小さく笑った。
理解し合うには、まだ時間がかかるかもしれない。けれど、始まりとしては悪くない。
こうして――エミリの異世界移転一日目の幕は静かに下りた。