ナフレアへ向かう夜
「もーーっ!ひどいです!私のこと、完全に忘れてましたよね? 魔素の調査、一番最初に帰ってきてたんですよー! エミリ様のこと待ってたのに!」
森の獣道を、エミリ、エネル、ピリカの三人がナフレア町へ向かって歩いていた。
木漏れ日が降り注ぐ中、鳥の囀りだけが響く静かな森に、ピリカの高い声がよく通る。
エミリは苦笑しながら後ろを振り返った。
魔王城に戻ったあと、慌ただしく執務室へ直行したせいで、ピリカのことなどすっかり頭から抜け落ちていたのだ。
「ピリカさん、ごめんなさい。ちょっといろいろありすぎて……。でも、確かにナフレアに行くならあなたを誘わなきゃでしたね」
「そうですよー!だってー、だってー……ね?」
ピリカは顔をりんごのように真っ赤にして、もじもじとしながらエミリとエネルを交互に見上げる。
エネルは何のことか理解できていないのか、片方の眉をわずかに上げただけで、無言のまま歩調を早めた。
「エネル様!? 無視ですか!? ひどいですー!あ、待ってくださーい!」
エミリはくすっと笑いながら、少し前を歩くエネルに声をかけた。
「エネル、ピリカさんは領主のデラルド伯爵が好きだって言ってたでしょう? だから、ナフレアに行くなら誘わないと――ね?」
足を止めたエネルは、じろりとピリカを一瞥し、深いため息をついた。
「……おい。俺たちは遊びに行くんじゃないぞ。……まあいい。うるさいから、お前はナフレアにずっといろ。今日からナフレア駐在魔族だ」
「えっ!? そ、それって実質、同棲ですよね!? 上司命令で同棲ですよね!? エミリ様ぁ!」
ピリカの声はさらに数トーン上がり、森の中に幸せそうな響きを残した。
エミリはそんな様子に小さく笑いながら、心の中でそっと呟いた。
(……よし、これはもう絶対、なんとかしてあげましょう)
――ピリカとデラルド伯爵の仲を取り持つことを、エミリは密かに誓ったのだった。
森を抜ける頃には、あたりはすっかり薄暗くなっていた。
西の空にはかすかに朱が残り、遠く、ナフレアの町の灯りがちらちらと瞬いている。
「ふぅ……もう少しですね」
エミリは肩から荷を下ろし、近くの倒木に腰を下ろした。
ピリカが手際よく火を起こし、焚き火の橙が三人の影をゆらゆらと揺らす。
エネルは黙って周囲を見回していたが、ふと火に照らされたエミリの横顔を見て口を開いた。
「……エミリ、顔がこわばってるぞ」
「そう見えます?」
エミリは苦笑しながら、手のひらを火にかざした。
「領主館には魔術師も軟禁したままですし……今回の魔素の件、どこまで話すべきか正直迷ってます」
「まあ、エルヴィンたちは信頼できるが、どこで誰が聞いてるかわからねぇからな」
エネルは木の枝を折りながらぼそりと呟く。
「でも、みんなきっと待ってますよー!」
ピリカは串に刺した干し肉をくるくる回しながら、元気いっぱいに言った。
「それに、デラルド様も!ね、エミリ様!」
「はいはい」
エミリは小さく笑って、夜風に髪をなびかせる。
火の粉がふわりと舞い上がり、夜空の星に溶けていった。
「……明日、ナフレアに着いたらすぐに動きましょう。
まずは領主館周辺の騎士たちが持つ魔道具の魔石を回収して、魔王城へ送ってください」
エミリの声は静かだったが、焚き火の音に混じって確かな決意が滲んでいた。
「了解」
エネルが短く答える。
焚き火がぱちりと弾け、三人の影が夜の闇に溶けていく。
――夜は静かに更けていった。
そして夜明けとともに、ナフレアの町が再び彼らを迎えることになる。




