研究者の仮説
「エミリさまーー!!やっと戻ってきた!!」
「僕たち、見捨てられたのかと思いましたよ!!!」
「聞いてくださいよ、最近しょうもない嘆願書ばっかり持ち込むやつが増えてきて、あとそれから――」
エミリとエネルが調査と部族の諍いを収め、渓谷から魔王城へ帰還すると同時に、執務室勤務の魔族たちが雪崩のように押しかけてきた。
待ち構えていたかのように群がり、愚痴と報告をわめき散らす。
「……帰ってきて早々に何なんですか皆さん。で、あいつは?魔王は何をしているんですか?」
問いかけると、魔族たちは顔を見合わせて妙に気まずそうにし、やがて一人が答える。
「えっと……魔王様は今、“お友達”との交流にお忙しいので……」
「……お友達?あの魔王に崇拝者はいるでしょうけど、“友達”なんていたんですか?」
辛辣なエミリの言葉に、魔族たちは特に否定もせず、そそくさと彼女を執務室の方へ誘導する。
――その途中。
談話室の扉が開いており、中から聞き覚えのある声が飛び出してきた。
「見て見てー!こうやって全部の指から別々の魔法を出せるんだよ!」
「えっ!?す、すごい!!」
「で、こうすると全部混ざって……よくわからないけど、なんかすごいのが出る!」
「すごーい!わからないけどすごーい!!」
エミリは頑丈そうな扉の陰からそっと覗き込み、思わず額を押さえた。
そこには、楽しそうに実演している魔王ゼアと、言語能力が急降下したトランベル町の魔素研究者――トリスタンの姿があった。
「……ゴホン」
わざとらしく咳払いすると、二人が同時にこちらを振り返る。
「おかえりー。待ちくたびれたよ?」
ゼアは呑気にくつろいだまま手を振った。
エミリは口元を笑みに保ちながらも、こめかみに青筋を浮かべて問いただす。
「ゼア。……仕事はどうしたんですか?私がいない間、ちゃんとやってましたよね?」
「ん?仕事なんてあったかな?誰も何も言ってなかったよ? あ!でもね、みんなから届いた数値はちゃんとトリスタンに渡したよ!」
「そう……ありがとう」
エミリは、魔王を甘やかす周囲の魔族たちを思い出し、怒りを飲み込むように深呼吸した。
「で、各地から送られてきた数値は揃ったんですか? トリスタンさん、進捗は?」
問われたトリスタンは、徹夜明けを隠しもしない髪の乱れのまま、興奮を抑えきれない表情で答えた。
「全部並べて地図に落とし込んだら、すごく面白いことが見えてきたんですよ! 僕なりに仮説を立ててみたので、後でぜひ説明させてください!」
執務室に移ると、トリスタンは待ちきれないとばかりに大きな羊皮紙を机いっぱいに広げた。
乱れた髪に寝不足の影、それでも瞳はぎらぎらと輝き、指先で地図の一点を叩く。
「ここなんです! 一番魔素の数値が低いのは、人間領に最も近い国境沿いの一帯なんですよ」
「……国境?」
エミリが眉をひそめる。
「はい。境界線に近づくと急激に値が下がり、そこから離れるにつれて少しずつ通常の数値に戻っていく。まるで人間領に近づくほど“魔素が吸い取られている”ように見えるんです」
エネルが小さく舌打ちした。
「……やっぱり人間どもが何か仕掛けてるってことか」
「それがですね、仕掛けというより……僕の仮説なんですけど」
トリスタンは羊皮紙を叩きながら、わずかに興奮を抑えた口調に切り替える。
「原因は“魔石”じゃないかと」
「魔石……」
エネルの声が低く響く。
「魔石はね、本来なら魔素の貯蓄庫なんです」
トリスタンは早口で説明を重ねる。
「魔族や魔獣が死ぬと魔素が放たれ、それが大地に染み込み、巡り巡ってまた魔族の魔力へと還る。その循環の副産物が魔石。でも人間が掘り出して魔術の燃料に使ってしまえば、本来の流れに関係のない存在が魔素を無理やり消費することになる。
だから人間領に近いほど魔素が薄くなってるんじゃないかと」
エミリは言葉を失い、唇をかみしめた。
人間の“生き延びるための行為”が、結果として魔族の根幹を揺るがしている。
「……つまり、人間は魔法を持たない代わりに、魔石を使うことで魔族から力を奪ってるってことか」
エネルの声には苦さが滲む。
「奪うつもりじゃなくても、結果的にはそうなってるのよね」
エミリは静かに頷いた。
「ふぅん。なるほどねぇ」
ゼアは相変わらず飄々と笑みを浮かべ、頬杖をついた。
「じゃあ人間が魔石を使えば使うほど、魔族はじわじわ弱くなる……ってわけか」
トリスタンが顔をこわばらせる。
「これはあくまでも僕の推測です。でも……もし人間に知られたら厄介ですよ。魔石を何としてでも獲りに来るでしょうから」
ゼアは呆然とするエミリを横目に、肩をすくめた。
「……でも面白いねー。魔法を持たないはずの人間が、魔石を通して間接的に“魔族を縛る力”を手にしてる。偶然か、それとも必然か」
「偶然にしては……都合が悪すぎる」
エミリは深く息を吐き、図を睨みつけた。




