願い
次の日、エネルの魔法でゼル族とアラン族の村の境に広場が整えられた。
木々を編んだ祭壇と、石を積み上げた台座が並び、両部族の特色が一つの場に溶け合うように配置されている。
「……これが“祭り”か」
アラン族の族長、グラズが腕を組み、不満げに吐き捨てる。
「派手さが足りんな。神は力を示す者を好まれる」
「神は静寂を愛される。騒ぎ立てては祈りが届かぬ」
ゼル族の族長、プーラもまた険しい顔で応じた。
――始まる前から、火花が散っていた。
エミリは二人の間に立ち、ぱん、と手を叩いた。
「はいはい!両方のやり方を大事にしましょうよ。祈りも舞も、全部“神さまへの気持ち”なんですから!」
広場には両部族の人々が集まり、祭りは静かに幕を開けた。
先陣を切ったのはゼル族。
森に響き渡るのは澄んだ歌声。
川のせせらぎと風の音が重なり、世界そのものが祈りに耳を傾けているかのようだった。
続いてアラン族。
太鼓を打ち鳴らし、力強く地を踏み鳴らす。
雄叫びのような声が夜空を突き抜け、火を焚いた炎が舞いに応えるように揺らめいた。
しかし互いに視線を交わすたび、険悪さは増していく。
「うるさいだけだ」
「静かすぎて眠くなる」
囁きが飛び交い、空気がぴりぴりと張りつめていった。
「どちらも素敵なのに、意地を張りすぎてるんですよね……」
エミリは思わずため息を漏らした。
そのときだった。
子どもたちが小さな声でゼル族の祈り歌を真似しながら、アラン族の太鼓に合わせて楽しげに跳ね回り始めたのだ。
「ほら、どんどん!」
「お歌もいっしょー!」
歌と太鼓。
本来なら交わらないはずの旋律と鼓動が、ぎこちなく、けれど不思議と心地よく重なっていく。
エミリは目を丸くして呟いた。
「……素敵」
「……あぁ。悪くないな」
エネルも、不意に口を開いていた。
両部族の大人たちは驚いたように顔を見合わせた。
だが、その目にはまだ警戒と意地が宿り、誰も先に声を上げようとはしない。
「我らのやり方が正しい」――その思いに縛られて、動けずにいた。
けれど、子どもたちは違った。
歌に合わせて跳ね回り、太鼓のリズムに手を叩き、笑顔で輪を広げていく。
互いの違いなど気にする様子もなく、ただ楽しいという気持ちのままに。
やがて若者たちが、その輪に加わった。
大人よりも縛りが薄い彼らは、面白がるように声を合わせ、自然に体を揺らす。
子どもたちの無邪気さと若者たちの軽やかさが混じり合い、広場に新しい調和が生まれつつあった。
子どもたちの歌と太鼓が夜空へ響き渡る。
笑い声と手拍子が重なり、広場は熱気に包まれていった。
その時、
突如として冷たい風が吹き抜け、広場の熱気を切り裂いた。
耳をつんざくような鳴き声が、夜空から響き渡る。
「……鳴き声?」
誰かの呟きと同時に、空から甲高い声が降ってきた。
夜空を切り裂いて舞い降りたのは、巨大な鳥型の魔獣。
黄金色に輝く羽根が月光をはじき、羽ばたくたびに暴風が巻き起こる。
「な、なんでこんなところに……!」
「きっと、歌と太鼓に誘われたんだ!」
魔獣は敵意を持っているわけではない。
ただ楽しげな音に惹かれ、好奇心のまま広場へ近づいてきたのだ。
しかし、その巨大な翼が巻き起こす突風は容赦なく――
ごうっ、と暴風が広場を駆け抜け、編んだ木々の祭壇と積み上げた台座が大きく揺れ、崩れかけた。
「やめろっ!」
ゼル族の族長が叫び、瞬時に数人の若者が前に出る。
彼らの詠唱とともに、透明な壁のような防御魔法が広場全体を包み、祭壇と台座を必死に支えた。
「守ることは任せろ!」
ゼル族が声を張り上げる。
「ならば、追い払うのは俺たちの役目だ!」
アラン族の戦士たちが答えるように飛び出した。
槍を構え、太鼓のリズムを踏むように地を蹴り、魔獣を威嚇する。
炎や風の魔法を巧みに操り、傷を与えぬよう、しかし確実に遠ざけるよう動き回った。
暴れる鳥の魔獣は、二つの力に挟まれ、やがて怯んだように翼をはためかせ、夜空へと飛び去っていく。
暴風が広場を駆け抜けたその瞬間――。
「……あれは……!」
誰かが指差した。
崩れかけた祭壇から、古びた紙片が何枚も宙に舞い上がっていた。
それは、長年にわたり人目を忍んで書き残され、隠されてきた手紙や願いの数々。
――「アランの友ともう一度語らいたい」
――「ゼルの娘と森で踊りたい」
――「どうか、この壁がなくなりますように」
風に乗って翻る紙片は、月明かりを受けてきらめきながら、広場に集まった両部族の上へ降り注いでいく。
大人たちは目を見開き、言葉を失った。
子どもたちは手を伸ばし、紙片を掴むと無邪気に読み上げる。
「ねえ!これ、仲良くしたかったって!」
「ほら、こっちもだ!“また一緒に歌いたい”って!」
静まり返る広場。
ゼル族もアラン族も、その紙に綴られた想いの前では、ただ意地を張り合うことがいかに空しいことかを突きつけられていた。
エミリは胸に手を当て、ぐっと前に出る。
「……見えましたよね? これが、みなさんの先祖や仲間が本当に残した“祈り”です。
どちらが正しいとか間違ってるとかじゃなくて――“分かり合いたい”って、ずっと願ってきたんです」
風に舞った祈りの紙は、最後の一枚まで両部族の手の中に降り落ちていた。
まるで、神が両者を導くように。




