千年前
「さて、これでいいな。おい、エミリ、準備できたぞ」
エネルはゼル族とアラン族の住処のちょうど真ん中に、魔法でテントらしきものを張り終えるとエミリに声をかけた。
「……まさかとは思いますけど、今夜ここで寝るとか言いませんよね?」
「それ以外に何がある?仲裁を担っている以上、どちらかの村に世話になるわけにはいかないだろうが」
エネルは張り終えたテントに彼女を招き入れた。
外から見れば狭い布張りの小屋。だが、中に足を踏み入れた瞬間、エミリは息をのんだ。
……広い。
石造りの壁に本棚、窓まである。まるで一つの部屋そのもの。
「……え、これって……」
声を震わせるエミリに、エネルは平然と答える。
「俺の部屋と繋げてある」
その言葉に、エミリの思考が一瞬で停止した。
無意識に視線を泳がせ、そして――目に入ってしまう。
部屋の奥にある、ベッド。
しかもひとつだけ。
「…………」
エミリは完全に固まった。
目を見開き、唇を開きかけて、何も言えず。
頭の中で「いやいやいやいや」と警報が鳴っているのに、声にならない。
エネルはそんな彼女を気にも留めず、当然のように椅子を引き寄せ腰を下ろした。
「安心しろ。お前の寝床は別に用意してある」
その一言に、ベッドが一つしかないことを勝手に想像して動揺していた自分が馬鹿らしくなり、エミリは頬を赤くしながらも無言で椅子に腰を下ろした。
エネルはそれを横目で確認すると、指を軽く一振り。瞬く間に二人の前に湯気を立てるカップが現れた。
香ばしい香りがふわりと漂う。
「……千年前、ゼル族とアラン族が分かれた理由を話してやろう」
エネルはゆっくりと語り始めた。
「ゼル族の大多数は神を“理と秩序の象徴”として信じ、自然との調和を第一に考えた。聖地に棲む魔獣も森も川も、すべて神の秩序の一部で何か危機が起こっても、なるべく手を加えず敬うべきだと思っていた」
エミリはこくりと頷き、手元のメモに走り書きする。
「だが、一部の者たちは考え方が違った。危機に手を出さないのは”神への冒涜”だと考えた。だから、自分たちが神の代わりになって守るのが当然だと信じた。聖地においても、魔獣や自然に介入して守るのが正しいと主張したんだ」
「なるほど……同じ神を信じていても、行動方針はまるで逆になるんですね」
エミリは眉を寄せ、深く考え込む。
「そうだ」エネルは頷く。
「どちらも“神を信じる”という一点では同じだった。だが日々の儀式や聖地の扱い方、暮らし方にまで違いが表れていった。そしてついには、互いを受け入れられなくなり、一部が村を出て独自の集落を築いた。それがアラン族の始まりだ」
エミリはカップを両手で包みながら、小さく息を吐いた。
「表面では“神の違い”って言われても…神は全く関係なくて、価値観の違いが大きいんですね。これは、解決するのが難しそうです…」
エネルは少し視線を落とし、静かに口を開いた。
「俺の両親は、互いに違う部族、ゼルとアランに属していて、部族の掟で結ばれることは許されず、駆け落ちしたんだ」
「え……!?」
「だが両親は早くに亡くなってな。俺は行き倒れ同然で倒れていたところを、父の知り合いだったアラン族の族長に助けられた」
エミリは息をのみ、言葉が出てこなかった。
「だから俺は、ゼル族の価値観もアラン族の価値観も理解できる。両方の視点を知る者として、今回の仲裁に関わることができるわけだ」
「……なるほど。だからこそ、あなたなら両部族に公平な目で向き合えるのですね」
エネルは静かに頷き、カップから立ち上る湯気を見つめた。




