全てが水の泡
「……えーっと、これって……どう見ても、包囲されてません?何か問題発生ですかね?」
エミリが目をぱちぱちと瞬きながら、領主館の周囲をぐるりと取り囲む騎士団を見渡す。
「さあな。だが、察するに……王国にバレたってことだろ。第二王子の独立宣言ってやつが」
エネルが答えたその声には、僅かな呆れと面倒臭さが滲んでいる。
「ちっ、めんどくせぇ」
その一言とともに、彼は片手を軽く振る。
次の瞬間、結界の外にいた数十名の騎士たちが、風の衝撃に巻き上げられて吹き飛んだ。砂埃が舞い、騎士たちの悲鳴があちこちから響く。
「え、ちょっと!? エネル、いきなり!? もうちょっと様子見るとか——」
「うるせぇ、敵意むき出しで待ち構えられて、黙って見てろってのか」
「まあ、確かに……向こうが先に剣構えてたしね。むしろこっちが正当防衛か……うーん、うーん……ま、いいか」
呑気にエミリが首を傾げながら、ふと結界の端に目をやる。
「あ、でも館には入れてないんですね。よかったー、魔王の結界ちゃんと仕事してるんだ。やればできるじゃん、あいつ」
そう言って、エネルと並んで歩き出す——が。
「待て」
不意に、冷ややかな声が風を切った。
彼らの前に現れたのは、漆黒の法衣をまとった金髪の男。
その存在だけで、周囲の空気が一段、重くなる。
エネルは立ち止まり、しかめ面のままその男を睨む。
そして無言で、エミリの周囲に風の結界を張り巡らせた。
男は静かに、だが目に狂気を孕んだような瞳でエミリを見つめる。
「貴様が……“神託の者”か」
「あー……そうかも、しれない? で、ご用件は?」
エミリは眉を寄せ、戸惑った表情を浮かべる。
その軽い反応に、男の表情が怒気で歪んだ。
「何を呑気に……!その黒髪、異世界から来た証!
召喚したのはこの私だ!貴様は人間側に立つべき存在だというのに、なぜ魔族に肩入れする!? なぜ裏切る!!」
「えぇ……」
エミリは心底うんざりしたように眉根を寄せた。
「いやいや、召喚された経緯は関係ありません。仮に人間側に最初に現れていたとしても、結局は似たような選択をしていたと思いますよ。」
「契約だ!義務だ!貴様は王国の希望となる神託の——」
「ごめんなさい、それ私の意思じゃないんで」
ばっさり切り捨てるエミリの言葉に、金髪の男が顔を引きつらせる。
エネルがぼそっと呟いた。
「こいつ……怒ってるな」
「——エネル、この人、とりあえず魔術使えなくしてもらえます? 話し合いは必要そうですし、中に連れて行きましょう!」
まるでコンビニでお茶でも選ぶような口調で、エミリがすっと手を挙げる。
「……ったく、ほんっとめんどくせぇ」
エネルは深いため息をひとつ吐くと、
顔をしかめながら無造作に指を鳴らした。
瞬間、男の腰に提げられた魔石がかすかに鈍い音を立てて震え、そこから放たれていた魔力の流れがぷつりと途絶える。
「……なっ……!」
男の表情が歪み、奥歯をきしませる音が静かに響く。
エネルはそんな様子に目もくれず、吐き捨てるように言った。
「魔石に頼りすぎだ」
「はい、それじゃあ捕まえますよー。抵抗しても無駄ですからね? あとでちゃんとお話しましょうね?」
エミリは軽やかに、けれど容赦なく男の袖を掴み、館の中へと歩き出した。
その背後で、エネルは小さくぼやく。
「……俺たち、様子を見に来ただけのはずだったんだけどな」
こうして、エミリとエネルは、
何も知らぬまま騎士団を吹き飛ばし、召喚主を激怒させ、混乱の火に油を注いだ。
平和的に独立を成し遂げたい——そんなエルヴィンの願いは、この時点で、見事に水の泡となったのである。
館の中では、まさにいま、“平和的だったはずの独立”の関係者たちが、状況の急転に頭を抱えることとなる——。




