プラカードと自由の女神
プラカードにはそれぞれ力強い言葉が並んでいた。
『俺たちは奴隷じゃない』
『魔石より命が大事』
『魔族は本当に悪ですか?』
『魔石より真っ黒な職場です!』
『魔石より墓石の準備が先かもな』
『王命?知らんがな!』
『寝たい!』
『命より魔石を選ぶ領主と国の正気が心配です』
それを見渡したエミリは、深く満足げに頷いた。
「……皆さん、素晴らしいです!これはもう、時代を動かすパワーワードですよ!」
「いや、本当にこれでいいのか……?」
エネルが困惑した表情でつぶやく。
「私、ぷらかーど作るのすっごく楽しかったですー!魔族でもやりましょうよー!こういうの、文化として広めたいですー!」
ピリカは両手で大きな札を誇らしげに掲げた。
「じゃ、準備できた方からこれを持って、まずはトランベルとカリエラの町を回ります!」
エミリが手を叩くと、皆がわっと動き出す。
「え? すぐに領主の屋敷に行かないのか?」
エネルが不思議そうに眉をひそめた。
「ダメですダメです、いきなり突撃なんて素人のやることです」
エミリは指を立ててふりふりと振る。
「まずは行進で注目を集めて、各地の住民を巻き込むんです。話題性と参加者の増加が、成功の鍵ですよ!」
「……なるほど。嫌なほど段取りが良いな」
エネルが呆れ混じりにぼやいた。
「体力勝負ですからね! 途中で脱落しないように水分補給も忘れずに!」
エミリたちのデモ行進は、次の町「トランベル」に到着した。
プラカードを掲げ、声を張り上げながら歩くその姿に、町の人々は最初こそ警戒して家の影からじっと様子をうかがっていた。
「『王命?知らんがな!』って……なに言ってるの、あれ……?」
「魔石より墓石って……不吉だなぁ……」
「でも……なんか、ちょっと……わかる気もする」
町の一角にいた老婆が呟いた。
「うちの孫も、魔石を取りに行ってから帰ってこなくなってね……。誰も本当のことを言ってくれないのよ」
静かに立ち止まって聞いていた青年が、一歩前に出た。
「……俺、ちょっとだけ一緒に歩いてみる」
その姿を見て、近くにいた少女が興味津々に駆け寄った。
「ねえ、プラカードってどうやって作るの? これって誰でも持っていいの?」
エミリはすかさずにっこりと笑って言った。
「もちろん! 一番言いたいことを、でっかく書くんです。恥ずかしがらずに、ね!」
少女はうんうんと頷くと、小さな板に『魔族より私の国が怖い』と、震える手で書き込んだ。
その様子に町の空気が一気に変わる。
「……あの子、いいこと言うね」
「ちょっと、紙と墨、持ってきて!」
「おい俺の分も作ってくれよ! 字はヘタだけど、気持ちならある!」
こうして、最初は傍観していた人々が、一人、また一人と列に加わっていった。
中には楽器を持ち出してリズムを取り始める若者や、食料を配る老婆の姿まで現れた。
「これ、もうちょっとで祭りになるんじゃないのか……」
エネルが呆れ顔でつぶやく。
「盛り上がるのはいいことですよ! その方が楽しいですしね」
エミリは胸を張って応える。
トランベルの町を抜ける頃には、デモの隊列は倍以上の人数になっていた。
そしてそのうねりは、次の町「カリエラ」へと進んでいく。
「次はカリエラですよー! 皆さん、のど乾いてませんか? 声出しすぎ注意ですよー!」
エミリが手を振ると、後ろのトランベル組が「はーい!」と元気に応える。
行列の長さはすでに数十人に達していた。小さなプラカードの海が、町の通りをゆらゆらと揺れている。
だが――カリエラの町に入った瞬間、空気がピタリと止まった。
「……やめてくれ。それを振り回すのは」
静かに声をかけてきたのは、町の自警団らしき男だった。
「これ以上問題を起こされたら困るんだ。俺たちは、おとなしくしてりゃ見逃してもらえてる。逆らえば、次は子どもや老婆に手が及ぶ」
その言葉に、行進の先頭にいたユリオが表情を曇らせる。
「僕たちも、最初はそう思ってた。でも……黙ってたら、何も変わらなかったんだよ」
「理屈はわかる。だけど、カリエラは違うんだ。うちは、まだ魔石を採らなくても水も配給もある。だから、刺激するな。頼む」
その場の空気が冷え込む。
だが、エミリは一歩前に出て、穏やかに、けれどはっきりと声を上げた。
「……気持ちは、すごくわかります。でもそれ、“順番待ちの死刑宣告”と同じじゃないですか?」
男が、ハッとしたように顔を上げる。
「水がある、食料がある、今は被害が少ない……。そう言ってるうちに、じわじわと自分たちの番が近づいてくる。じゃあ、待っていれば何かが変わるんですか?」
ざわ……と人々が騒めく。
「先に立ち上がった人たちに乗っかるだけでいいんです。声を合わせるって、勇気が要るけど、いっぺんに叫べば怖くない!」
エミリは、腰に下げていた小さな木板を取り出し、その場でサラサラと書き始めた。
『沈黙は、服従と同じです』
そして、自警団の男にそれを手渡す。
「これ、あなたが持ってくれたら、皆さん賛同してくれますよ」
男が恐る恐るプラカードを掲げると、町のあちこちからどよめきが上がった。
数分後、エミリの周りには新たに十数人が加わっていた。
町の空気が、明らかに動いた。
エネルが小声で言う。
「やるな、お前……。俺にはああいうの無理だわ」
「私は海外のデモ文化で鍛えられましたからね! 平和的抗議、バッチリ経験済みです」
小さな勝利を手に入れたエミリたちは、次なる目的地――領主の屋敷へと進み出す。
町の人々の思いを背負いながら。
エミリは行進の先頭に立ち、プラカードを高く掲げた。まっすぐ前を見据えたその瞳には、迷いも恐れもなかった。
その光景はまるで、フランスの画家ドラクロアが描いた『民衆を導く自由の女神』のようだった。
あの七月革命を描いた一枚の絵。煙と混乱の中、裸足で旗を掲げ、群衆を先導する一人の女性――
もし、この異世界にドラクロアのような画家が存在するのなら、きっと彼は、今この瞬間のエミリを描き残すだろう。
叫び、訴え、プラカードを掲げるその姿に、怒りと希望と未来のすべてが詰まっていた。
これはただの抗議ではない。
これは、時代を動かす“始まり”だった。
そしてその光景を、眺めていた銀髪の男――エネル。
皮肉屋で理屈屋で、他人に深入りしない魔族。
そんな彼が、エミリの背中を見つめながら、ふっと口元をゆるめ、誰に聞かせるでもなく小さく呟く。
「……おもしれーやつ」
こすりにこすられた、使い古しのセリフ。今や“俺様系男子”の定番。
アニメでも小説でも、気になる相手への最初の認知は、たいていこのひと言から始まる。
興味のなさそうな顔で、それでもどこか楽しげに、目の前の存在を認めた証。
そんな一言が、風に溶けて消えていった。




