ナフレアの声
ナフレア町の門をくぐった瞬間だった。
『ぎゃああ――魔族だッ!!』
『逃げろー!!』
通りにいた人々が雪崩を打つように散り、家々の戸や窓が次々と閉じられていく。
ピリカとエネル、ふたりの「角」と「銀髪」は、町人の目にはあまりに異質だったのだろう。
エミリは肩をすくめてつぶやいた。
「……やっぱり魔族を見るとそうなりますよね。エネルさん、人間語の理解魔法、お願いできますか?」
「……俺はお前の便利屋じゃねえよ」
と毒づきつつも、エネルはぱちんと指を鳴らし、淡い光を空へと散らした。
「みんな、落ち着いてくれ!」
ユリオが声を張る。
「この人たちは敵じゃない!」
その一声に、騒然とした通りの空気がほんの少し和らいだ。
そのとき、一人の女性が駆け寄ってきた。髪は乱れ、目には涙を浮かべている。
「ユリオ……戻ってきたのは、あなただけなの…? ルドルフは? あの人はもしかして森で….」
ユリオは優しい笑みを浮かべ、落ち着いた声で答えた。
「カミラさん。ルドルフさんは無事です。今は魔族の村で休んでます。今日は、そのことを伝えに来ました」
カミラは唇を震わせ、ユリオの腕を強く握りしめた。
通りの陰からは、怯えと戸惑い、そしてわずかな希望の混ざった視線が向けられている。
エミリが一歩前に出た。町のざわめきが収まるのを見計らい、ゆっくりと周囲を見渡す。
「魔族に対して誤解があるのはわかっています。でも、まずはちゃんと話せる場を作らせてください。不安になるのも無理はありませんが、私たちは敵じゃありません」
ユリオがうなずき、続けた。
「町長に会いに行きましょう。彼は領主に代わって町をまとめています。」
*****
町の中央広場から少し奥に入った建物。
古びた木の看板には「町務室」の文字が刻まれていた。
「エミリさん、ここが町長の家兼、会議所です」
ノックに応じて現れたのは、白髪まじりの壮年の男だった。痩せた体に鋭い目つき。五十代半ばだろうか。静かな威圧感があった。
「……ユリオ。無事だったか…で、その後ろの連中は……魔族か?」
町長――カルランは、あからさまな警戒の色を隠さずに彼らを見据えた。
エミリは深く頭を下げ、真剣なまなざしを向ける。
「町長さん、まずはお話を聞かせてください。この町の皆さんが何をされ、何を耐えてきたのか……知りたいんです。そして、それを変えるための“提案”をさせてほしい」
しばし沈黙の後、カルランはわずかに肩を落とし、小さくため息をついた。
「……魔族と手を組んで何を始めるつもりかは知らんが、わしらに魔族と諍いを起こす余力は残ってない…、町の者を集めよう。今日の夕刻、広場に来い。耳を貸す者くらいはいるだろう」
ユリオが深く頭を下げる。
「ありがとうございます、町長!」
その夕方。
広場の中央に設けられた簡易の台の上、エミリが立っていた。
ざわめきと視線が彼女と魔族たちに集中する。しかし、カルランとユリオの姿が群衆の不安を抑える力になっていた。
エミリはゆっくり息を吸い、一瞬目を伏せてから、前を見据えて語り始める。
「私は異国から来た者です。けれど、この町で起きていることが、他人事には思えませんでした。
強制労働、罰則、監視……それを“国の方針”だからと受け入れるのは、本当に正しいのでしょうか?」
少し言葉を切って、会場を見渡す。
「どの国でも、まともな雇用主なら守るべき義務があります。
『労働者に安全な環境を提供し、正当な対価と休息を与えること』――これは当然の権利であり、上に立つ者の責任です。
それを怠れば、ただの搾取です。雇用ではなく、支配にすぎません。あなたたちの人権は、どこにあるのでしょうか?」
彼女の声は静かだが、芯のある強さを帯びていた。
「声を上げられなかった理由もわかっています。家族や友人を人質にされていたから……。でも、もう大丈夫です。
魔族力自慢大会、その準優勝――つまり魔族ナンバーツーのそこそこ偉い方が、私たちを守ってくれます。
だからこそ今、声を上げてほしいのです。“まっとうな仕組み”を、一緒に取り戻すために。」
「……俺を巻き込むな……てか、“魔王選出トーナメント”を“力自慢大会”って呼ぶな……」
とエネルが低く呟くが、エミリは華麗にスルーした。
「あなたたちの声を聞かせてほしい。
ご家族のこと、町で起きたこと、これからどうしたいのか――。誰の声も、置き去りにはしたくないんです」
一瞬の静寂。
その中で、ひとりの町人がおずおずと手を挙げた。
やがて、それを皮切りに誰かがすすり泣きながら口を開く。
言葉は少しずつ重なり合い、やがて、ナフレアの人々は長い沈黙を破って“語る”という選択を始めた。
*****
町の門近く、アーチの陰で様子を見ていた衛兵のひとりが、慌てて走り去る。
向かう先は、ナフレア近くの領主のところだろう――。
それを見届けたエネルが鼻を鳴らす。
「動きが早いな。領主側、出てくるぞ」
エミリはユリオとミレイに目配せし、小さくうなずいた。
「いいタイミングです。ストライキやデモって、相手側に報告義務があるんです。これで正々堂々、交渉できます。
ピリカさんかエネルさん、今は念のため、町の外から余計な人が入ってこないようにしてもらえます?」
「私、やりまーす!」
とピリカが元気よく手を挙げた。
こうして、ナフレアの静寂は――
次第に、変化の胎動をはらんだざわめきへと変わり始めていた。




