はじまりの村から町へ
焚き火の明かりがゆらゆらと広場を照らし、魔族の村に避難してきた人間たちは、簡素な食事を囲んで静かに過ごしていた。
表情にはまだ緊張と疲れが残っている。
そんな中、エミリがゆっくりと歩み出て、彼らに向き合う。
「ここで少し、ゆっくり休んでください。無理に働かなくても、誰も責めたりしません。ここは、そういう場所です」
静かな言葉に、人々の視線がエミリに集まる。
「それから――皆さんの町に、私たちが行こうと思っています。ちゃんと知っておきたいし、町の方のお話も聞いてきます。もちろん、危険なことをするつもりはありません。でも、状況を変えるには、一歩外に出る覚悟も必要です」
少しの沈黙のあと、焚き火のそばから、一人の青年が立ち上がった。
痩せた体に、目の下のクマ。けれど、まっすぐな瞳が揺れていない。
「……僕も行きます」
人々がざわつく中、エミリは彼の瞳を見つめ返し、穏やかに頷いた。
「ありがとう。一緒に行きましょう」
*****
少し離れた場所では、アレイスとエルヴィンが村の外れを見回っていた。
静かな空気の中、アレイスがぽつりとこぼす。
「……行けるものなら、私も同行したいですが……目立ちすぎますね」
隣のエルヴィンが苦笑しながら頷く。
「俺たちは王国から見れば“逃亡者”だ。下手に姿を見せれば、今度は町の人間が危険に晒される」
そんな二人のもとに、エミリがふらりと現れる。腕を組んで二人を見上げるように言った。
「お二人はしばらくタルーア村でお留守番お願いします。逃げた王子様とその恋人が堂々と人間の町を歩くなんて、ちょっとドラマチックすぎるでしょう?」
アレイスがわずかに微笑みながら、真面目な声で返す。
「……村に残る人間たちのことは、私たちに任せてください」
それを聞いていたエルヴィンがふと、彼女の顔を覗き込むようにして言った。
「……なんか、楽しそうな顔してないか?」
エミリは一瞬きょとんとしてから、悪戯っぽく笑った。
「えっ、バレましたか? やっと“はじまりの村”から出られるとなると、ちょっとワクワクしてしまって」
******
朝の光が差し込む頃、エミリたちはタルーア村を出発した。同行するのは、前夜名乗り出た青年一人と、チーム・エミリからはピリカ、エネル。
森を抜け、草原を進む途中で、エミリは隣を歩く青年に声をかけた。
「そういえば、まだ名前を聞いてませんでしたね。なんて呼べばいいですか?」
青年は少し照れたように、けれどはっきりと答えた。
「ユリオって言います。ユリオ・フェイル。」
「ユリオさん、よろしくお願いします。……あの、無理しないでくださいね?」
「……いえ。僕、もう黙ってられなくて。皆の分まで、ちゃんと伝えたいんです」
ユリオは、歩きながらぽつりぽつりと語りはじめた。
「僕たちの町はナフレア町って場所です。この領地には三つの町があって、ナフレアはその中でいちばん領主の屋敷に近いんです」
「ナフレア町……領地の中心ってこと?」
「はい。他の二つ――トランベルとカリエラは少し離れていて、監視も緩い。でもナフレアは……領主の目が光ってる。逆らえば、生きていけませんでした」
エミリが真剣に耳を傾けると、ユリオは少し言葉を詰まらせ、それでも絞り出すように続けた。
「魔石の採取命令が来たのは、先月です。“国からの要請だ”って。最初は大人の男だけが森に連れて行かれました。魔石を拾えって。拒否したら、代わりに村の女や子どもが“罰”を受ける。……最初に吊るされたのは、まだ十歳の子供でした」
誰かの喉が、かすかに鳴った。
「それでも逃げられなかった。村全体が見張られてて、誰かが逃げれば、別の誰かが罰せられる。だから……全員で、地獄みたいな生活を続けるしかなかったんです。魔石が採れないと、食料も水も減らされて」
彼の手が震えているのを見て、エミリたちは静かに歩を合わせる。
「それで、トランベルやカリエラからも男たちが無理やり連れてこられて……。倒れたら、次。代わりはいくらでもいるって……ただの道具みたいに扱われてた…。
村の子どもや女たちまで“働かないなら価値がない”って言われて……荷運びや片付け、果ては命がけの現場にまで放り込まれた。言い方こそ違うけど、やってることは……奴隷と同じです」
風が吹き抜け、木の葉がかすかに鳴った。
「……ある日、親友の弟が、一緒に森に入ったまま戻ってこなかった。探しに行ったら……魔物にやられてて。体、半分も残ってなかった」
エミリは言葉を挟まず、黙ってユリオの言葉を受け止める。
「その時、はじめて思ったんです。あいつが悪いわけじゃない。町の誰かが悪いわけでもない。なのに、なんでこんな目に遭わなきゃならないんだって。僕たちばっかり、なんでって……」
拳を握る音が聞こえるほどに、ユリオの手が震えていた。
「……見殺しにしたわけじゃないのに。見捨てたつもりなんてないのに。それでも……ずっと、自分を責めてたんです」
「領主って……どんな人なんですか?」
エミリの問いに、ユリオは苦い顔を浮かべた。
「デラルド・アレンクス伯爵です。昔は“堅実な領主”って評判だったんですよ。でも数年前、王都に呼ばれて……それから、すべてが変わった」
道の先を見つめながら、彼は静かに語る。
「帰ってきてから、“王命だ”“国の方針だ”って言って、命令を疑うことすら禁じられた。異を唱えた人間は、ある日突然いなくなる。もう、誰も逆らえなかった」
風が草を揺らし、短い沈黙が落ちる。
エミリは彼の横顔を見つめ、深く息をついた。
「……ありがとう。話してくれて。でも、もう一人で背負わないでください。私たちが一緒に考えます。どうすれば、この状況を変えられるのかを」
ユリオは、目を伏せていた顔を上げ、小さく頷いた。
その瞳の奥には、ほんのわずかだが――確かに、希望の色が灯っていた。
こうしてエミリたちは、ナフレア町を目指して歩みを進める。
その先には、領主と、もうひとつの“真実”が待っていた。




