胸キュン
それから数日後。
村長デランの号令のもと、近隣の村から若者たちがぞろぞろと集められた。
舞台裏では、エネルが落ち着かない様子で袖を行ったり来たりしている。
「……本当に、やるのか? 俺たちが?」
「自信ないんですか? あんなに練習したのに」
エミリがにっこり笑うと、エネルはむすっと顔をしかめる。
「いや、そういう問題じゃない。俺は一応、この国のナンバー2であってな……その……なんというか……威厳とか体裁とか……」
何かをごにょごにょ言い始めたが、エミリはお得意の話半分スルースキル(現在Lv.80)を発動。
「ピリカさん、ナレーションお願いしますね。」
「な、なれーしょん?」
「気にしなくていいです。教えた通りにやってください」
「は、はい!」
そう言い残し、エミリは迷いなく舞台へと飛び出した。
魔族の若者たちが集まる広場に設置された、手作りの簡易舞台。その上に立ったエミリは、朗らかに挨拶を始める。
「みなさん、こんにちは。お忙しい中、お集まりいただきありがとうございます! 私、神託の勇者こと、森沢エミリと申します!」
「おお〜!」
「あの“異世界から来た”って噂の……!」
ざわめく観客に、エミリは手を振って応える。
「今回は、みなさんの間で『夢の恋人』という文化が流行っていると聞きまして。それも素敵ですが、私の世界や人族の“現実の恋愛”ってものも、ちょっと覗いてみませんか?知識は、多ければ多いほど損はありません。どうぞ気楽に見ていってください!それでは始めたいと思います。」
そう言うやいなや、ピリカが仕込んだ魔法が発動し、舞台の上にしとしとと雨が降り始めた。
「きゃっ、雨が……! もー、今日の天気予報は晴れって言ってたのに! 傘、持ってきてないよぉ〜!」
髪を濡らしながら、エミリは舞台の片隅、屋根のある場所へ駆け込む。
「雨が止むまで、ここで雨宿りするしかないか……」
ここで、ナレーション係・ピリカが恐る恐る声を出す。
「ええっと……エミリが雨宿りをしていると、えー……同じくらす? の……エネルが、やってきました」
「あー、ひどいあめだなー。えーびしょ濡れだぜー。あ、ここで雨宿りしようーっと」
次に舞台へ現れたエネルは見事な大根芝居で、やる気なくセリフをぼそぼそ呟く。
観客席が微妙にざわつく中、エネルがエミリの隣に立つ。ふたりの目が合う。
エミリが、少しだけ目を見開いた。
舞台の上。しとしと降る人工の雨。屋根の下で、ふたりの距離は近い。
「え? エネル……?」
エミリが驚いたように声をかける。
エネルは一瞬きょとんとして、すぐに台本通り、少し気まずそうに顔をそらした。
「……ああ。お前もここで雨宿りかー」
「うん。びしょ濡れになっちゃって……」
エミリは前髪を耳にかけ、ちらりとエネルを見上げた。
わざとらしさのない、ごく自然な視線。観客たちの集中が舞台へと吸い込まれていく。
「……天気予報、晴れだったもんね。急に雨なんて、ついてないね?」
「ああ、そうだな」
「ふふ、エネルって、いつも抜け目ないから、てっきり折りたたみ傘持ってるのかと思った」
「……たまには、忘れる日もある」
エミリは小さく笑い、懐から白い布を取り出した。
「はい、これ。さっきピリカさんが貸してくれたタオル。もう一枚あったから」
彼女はそっと、エネルの顔についた水滴を拭う。
観客席から「きゅーん!」と複数の悲鳴が漏れる。特に男性の魔族が敏感に反応していた。
エネルは少し固まり、視線を落としたまま、小さく呟く。
「……ありがと」
「……」
沈黙。ふたりのあいだに、やわらかい空気が流れる。
エミリはふと、顔を上げた。
「……こういうの、なんかいいね」
「こういうの?」
「雨の音とか……話さなくても、なんとなく、いいなって」
その言葉に、観客の間にも静かな感情が広がっていく。誰かがそっと息をする音がした。
「……俺もだな」
エネルがぽつりと言った、そのとき。
舞台の雨が止み、ピリカの魔法で空が晴れた。光がふたりを包み込む。
「……晴れたね」
「……ああ」
エミリは微笑み、そっと手を差し出す。
「じゃあ、行こうか。帰り道、途中まで一緒に歩こ?」
エネルはわずかにたじろぎながらも、観客席の空気を感じ取って——
おそるおそる、彼女の手を取った。
「——っ!!」
若者たちから、歓声とどよめきが上がった。
「手ぇ繋いだ!」
「すごい!」
「なに…これ…心臓が痛い…」
ナレーション係・ピリカが慌てて締めに入る。
「え、ええっと……ふたりはこうして手を繋いで、帰っていきました……」
舞台が暗転し、しばし静寂。
再び明かりが灯ると、ピリカのナレーションが舞台に柔らかな風を吹き込む。
「続きまして、“魔法学院での静かな図書室での恋”です」
ざわつく観客席。
“魔法学院”という言葉に、魔族の若者たちは異様にテンションが上がっている。
舞台には、木製の本棚が何列も並び、中央に机と椅子が二脚。窓から射す光が、机の上の魔法書を照らしている。
ピリカの声が優しく響く。
「ある日の午後。魔法学院の図書室で、エミリは一人、本を読んでいました……」
舞台に現れるエミリ。制服の裾を揺らしながら椅子に座り、魔法書をめくっている。
ページを繰る音と、外の風の音だけが静かに響く。
そこへ、図書室の扉がきぃ……と軋み、ひとりの影が差す。
「……よ。まだ、いたのか?」
ゆっくりと入ってくるのは、エネル。片手で鞄を背負い、髪をくしゃっとかきながら。
「あ、エネル。うん。課題、ちょっと難しくて」
「……手伝おうか?」
「え? でも、エネルも苦手じゃなかった?」
「……俺、実は最近、ちょっと頑張ってるんだ。……お前に、教えられるくらいには」
エミリが顔を上げ、ぱちぱちとまばたきする。
「ふふ、じゃあお願いしちゃおうかな。……隣、座って」
エネルは机の向こう側には行かず、ためらいながらもエミリの隣の椅子に腰を下ろす。
観客席が静かにざわつく。
椅子が近すぎて、ふと肩が触れる。
エミリが、少しだけ顔を近づける。
「この呪文の構造、よくわからなくて……ほら、ここ」
彼女の指が本の上をなぞる。
エネルの視線が、その指先に吸い寄せられる。
そして、思わず呟く。
「……お前、指……きれいだな」
「へ? なに急に?」
「いや、なんでもない」
エネルが目をそらしてごまかすと、観客席から「きゃっ!」という声とともに微笑が漏れる。
「ありがとう。……エネルって、たまに不器用だけど、優しいよね」
「お前だって、変なことばっかするけど……ああ、やっぱ言わねぇ」
「なにそれ! 言ってよ!」
エミリがじっと見つめる。
そして、ほんの一瞬の沈黙。
「……お前のそういうとこが……好きだ、って言いそうになっただけだ」
——静寂。観客も、ピリカも、固まる。
ピリカは手に持ったナレーション原稿を落としそうになって慌てて持ち直す。
「……」
エミリが本をそっと閉じる。
「もう、勉強、今日は終わり」
「……そうか」
「……一緒に帰ろ?」
言いながら、彼女はエネルの袖をそっと引っ張る。
エネルは観客席の注目を感じ、ばつが悪そうに頭をかきながら立ち上がる。
「……おう」
手は繋がなかった。
けれど、その歩幅は自然とそろい、
その距離は、さっきより少しだけ、近かった。
舞台が再び暗転する。
一拍おいて、客席からどっと歓声と拍手が湧き起こった。
「図書室ってこんなに破壊力ある!?」
「“指きれい”攻撃は反則でしょ!」
「次は!?次は屋上でしょ、もう絶対!!」
どよめきと熱気の中、エミリが舞台中央に歩み出る。
「いかがでしたでしょうか?」
穏やかな微笑みとともに、エミリは続ける。
「完成された夢の恋人も素敵ですが――こうして、まだ想いの形が定まらない“恋人未満”だからこそ生まれる、あの胸の高鳴り……感じていただけたのではないでしょうか?」
魔族の若者たちは、その不思議な感覚――胸の奥がじんわり温かくなるような感情に呑まれ、言葉を失っていた。誰もがその余韻に浸っていた。
エミリは、その沈黙を肯定と受け取り、もう一歩踏み込む。
「もし、ほんの少しでも興味を持ってくれたなら……体験してみませんか? 男女十人ほどで構いません。数日間、私にお任せいただけませんか?」
そう言って、会場を見渡す。
「“これは!”と思った方。気軽に手を挙げてください」
隣に立っていたエネルが、エミリに小声でささやいた。
「……何を企んでるんだ?」
エミリはにっこりと笑って、耳元で囁き返す。
「舞台が上手くいったから、今度はもっと大きく仕掛けようと思いまして。“結婚式の法則”ご存知です?――身近な誰かの幸せを見ると、途端に自分も欲しくなる。あの心理的現象を利用します。作戦名は恋愛伝染病作戦!」
エネルは、ぽかんとエミリを見つめていた。言葉の意味は全然わからなかったが、その空気に圧倒されていた。
観客席では拍手が続いていた。誰からともなく、手が次々と掲げられていく。
エミリの目がきらりと光る。
その眩しさに、エネルは思わず目を細めた。




