episode.17 愛梨の叫び
(体が痛くない。ふわふわしてる。死んだのかな? よかった……)
気付いた時には下に落ちていく感覚は消えていた。今の愛梨にあるのは背中や尻、足に触れるふわふわとしたくすぐったさ。
崩れた穴から落ちたはずなのに、なぜか落ちた穴が見当たらない。穴から光が差し込まないから見えなくくなっているのか、それとも目では確認できないくらいの距離を落ちたのか。
体感としては結構な距離を落ちたはずだ。どちらにせよ、落ちた結末は死だ。
ならば、この背中や足に触れる優しい感じは、もしかしたらアレなのではないか。
(天使の羽かな。ふわふわして、くすぐったい。……あの子はどうしたかな? 一緒に死んだのかな?)
ここは天国で、背中や足に触れているのは天使の羽だろう。そして今天使たちに体を担がれて、今は神様のところへ運ばれている最中だと、愛梨はぼーっとする頭で、勝手にストーリーを作っていく。
(そういえば……魔法を使っていたような? ……間に合ったのかな?間に合っていればいいな……)
直前のことを思い出そうとするが、働こうとしない愛梨の頭では上手く思い出すことができない。
「……あ…………り!!」
(……あの子には生きててほしいな……)
「先に……逝く……」
「死んでないわよ!!」
「?」
鈴のような可愛らしい声が耳を通り抜け、ぼやけていた視界を少しずつ明るくする。目の前にはきらきらと輝くビー玉の瞳。その隣には鋭い目と小さく丸い目。
「わ……たし……」
ぼやけていた視界がくっきりとしてくる。心配そうな顔をしたあずきが目の前にいて、今にも泣き出しそうなワシとリスが視界の端にいる。
「死んでない……?」
愛梨はゆっくりと体を起こす。そこは天国でも地獄でも現実世界でもない。ふわふわの芝生にたくさんのツルが愛梨の体を支えるように生い茂る。
どうやら、ふわふわの正体は天使の羽ではなく、ツルの間から伸びる芝生のようだ。
「死んでないわよ。たぶん、あたしの魔法が間に合った?」
いつもの自信満々な様子はなく、なぜか疑問系のあずき。
どうしたのかと、愛梨はじっとあずきを見る。
「いや、最後まで言い切ってないし、歌も歌ってないのに、なぜか魔法が発動したのよね。緊急事態だったかしら?」
うーんと首をかしげるあずきだが、ハッと何かを思い出したのか、真剣な表情に変わる。
「そんなことより愛梨ちゃん、戦える?」
「え?」
あずきはちらっと愛梨の後ろに目をやる。
後ろを振り向くと、先に目が覚めていたのか、シドウが愛梨たちを守るように仁王立ちになり、何かと対峙している。
「今回だけ神様が手を貸してくれているのよ」
くるりとシドウが振り向く。
「やっと起きたか。起きたならさっさとこいつらをどうにかしてくれ。僕は疲れた」
シドウの奥を見ると、何百頭もの猪がこちらに殺気を向けながら、今にでも襲い掛かってきそうな勢いで見ている。
シドウと猪の間には、何頭か倒れている猪の姿が見える。
「今回は特別に手を貸したが、本来神は手出し無用だ。そもそも僕は戦闘向きではないんだ。大変だよ」
「……特別?」
「ああ。さすがに意識を失って無抵抗な状態で攻撃されるっていうのは、僕は嫌いでね。だから君が目覚めるまでは相手をしていたってわけだ」
私はそれでもよかったと言いたかったが、さすがに守ってくれたシドウにそんなことは言えず「そっか」とだけ言い、立ち上がる。
立ち上がった愛梨を見てシドウはお役目終了と思ったのか、ふーっとため息をつき、安心した顔で後ろに下がる。
「……あれは、猪?」
愛梨の目に映るのは、現実世界と同じ猪。何百頭もの猪が敵意向きだしのまま、こちらを睨みつけている。
「オークです。さっきのジャイアントオークが小さくなったモンスターです。一匹の力は弱いため、あいつらは集団で敵に襲いかかります」
冷静なワシ。しかし、その体は小刻みに震えている。震えたワシの背中には、大きく体を震わせ、小さな顔を青くするリスの姿が見える。
あまりの数の多さに恐れ、震えているのかと思ったが、オークの集団のさらに奥を見ているような気もする。
何があるのかと目を凝らして見ると、オークの集団の一番後ろに二回りくらい大きなオークがこちらを静かに見ている。
「あの大きいやつの後ろ、見える?」
二匹と同じように声と体を震わせたあずきが、愛梨の足元にやってきて言った。
二回り大きいオークの後ろには扉のような物が見える。
「あれが先に続いている扉だと思うの…でも……」
あずきが一歩、また一歩と後ろへと下がっていく。
「愛梨ちゃん……。気を付けて。あいつはやばいわ」
「い、い、一瞬……で、ででも目を、離したら……こ、ころ、ころ殺される……」
愛梨にはあのオークの何がそんなにやばいのか全く分からない。正直、ちょっと体が大きいだけとしか思えない。
しかし動物の勘は鋭い。三匹が体を震わせ、恐怖を感じ、やばいと言っているのだから相当やばいオークなのだろう。
「……わかった、気を付ける……」
瞬間、愛梨は気付いた。とても自然な流れで自分が戦うことになっているということに。
愛梨はちらっと後ろにいるシドウを見る。視線に気付いたシドウは、にこっと笑うだけだ。きっとこの笑顔は「頑張れ」ということだろう。
(どうして……私が戦うことになってるの……?)
当たり前のように、戦うことを強制されたような感覚になり、愛梨はあずきや周囲に対しての嫌悪感を膨らませていく。
「愛梨ちゃん……大丈夫……?」
動かない愛梨を心配して、後ずさりしたあずきは戻ってきて、愛梨の顔を見上げる。
どうして自分がやるの?他の奴らは安全な場所で高みの見物?面倒ごとは全部私に押し付けて?
頭の奥から湧き出てくる負の感情と負の言葉。
(さっき倒したじゃん……。らしくないことしたよ……。もういいでしょ)
押し付けられた、という愛梨の勝手な思い込みは、次第に怒りへと変化する。
怒りで体が震える。今までのこともあってか、言ってはいけないと分かってい言葉が喉を通り抜けようとするのを必死で押し込む。
「……ごめん。無理」
「無理じゃないわよ」
あずきはしっかりとした口調で愛梨を否定する。
その否定が引き金となってしまう。
「大丈夫よ。愛梨ちゃんなら――」
「……いい加減にしてよ!! 私はあなたの手伝いで来てるだけ!! そもそもこの依頼だってあなたが勝手に決めたことじゃない!! 聖女だからって何!? 戦えないなら、死ぬのを待ってればいいでしょ!! 人を巻き込んで、自分は戦えないから何もしない……それでヤバいのが出たら、また私に押し付けて……自分勝手もいい加減にしてよ!!」
イラつき、鬱陶しく感じた愛梨は思っていたことが全て口から出てしまった。
しまった、と思ったがもう後の祭りだ。愛梨は分が悪そうにあずきから視線を逸らす。
さすがにこの状況でこんなことを言ったら呆れられて、見放される。そう思うと同時にいい機会かもしれないとも思った。
何を言われても自分の旅がここで終わるのは確実だろうと、愛梨は視線を逸らしたままあずきの反応を待つ。
「そうね。愛梨ちゃんの言う通りだわ」
「……」
「確かに、あたしは戦うことはできない。さっきも、今だって愛梨ちゃんを頼るしかない。それは分かってる。押し付けるつもりは全くないけど……でも、愛梨ちゃんがそう思うなら、そうなのよね」
あずきは前足を揃えて、背中をぴっと立てると、深く頭を下げる
「ごめんなさい。愛梨ちゃんが本当にすごいから、頼り過ぎたところはあると思う。重荷になっているなんて気付かなかったわ。本当にごめんなさい」
怒るか呆れられると思っていた愛梨にとって、あずきの謝罪は予想外だった。
素直に受け入れられれば良いのだろう。だが、謝ることは何度も経験したが、謝られるという経験が少ない愛梨にとって、どう反応することが正しいのか分からず、怒った態度を続ける。
あずきはゆっくりと頭を上げる。愛梨はあずきから顔を反らせている。愛梨と視線が合わなくても、あずきは話を続ける。
「それでも……助けてほしい。手伝ってほしい」
愛梨は怒ったまま何も言わない。あずきは愛梨が何も言わなくても、顔をこちらに向けなくても視線を逸らすことなく、真っ直ぐに愛梨だけを見る。
「あたしにはあなたが必要なのよ。愛梨ちゃん」
その言葉に愛梨はぴくっと体を震わせる。
「……それは……私が強いから?……必要なのは……私の職業?」
「そうね」
愛梨の顔は怒りという感情が抜け、無表情へと変わっていく。
(必要なのは……職業……)
悲しい。寂しい。苦しい。胸の中に鉛が溜まっていくような感覚が愛梨を襲う。でもこの感覚は初めてではない。今までも何度も経験してきた。ただ忘れていただけ。
どうして忘れていたのか。何がそうさせたのか。考えても分からない。今の愛梨が分かるのは、何度も経験してきた感覚なはずなのに、今が一番辛いということ。
目の奥が熱くなる。視界がぼやけて、揺れている。
「でも一番必要なのは愛梨ちゃんよ」
胸に溜まり続ける鉛が止まった。
「愛梨ちゃんって何もしないし、暗いし、強いのに死にたがってる。でもなんだかんだで手伝ってくれたり、死にたいくせに魔物を倒したり……意味分からなくて飽きないのよね」
「……飽きないから……必要……?」
「きっと長い旅になるわ。飽きないって大事よね」
いじわるそうに、にひっと笑うあずき。いじられているのか、馬鹿にされているのか分からない。それなのに胸に溜まった鉛は減り、さっきよりも軽い。
我ながら単純だと、愛梨はふっと息を吐く。目の奥の熱さは冷え、ぼやけて揺れていた視界はすっきりしている。
怒りは消え、どことなく笑っているように見える愛梨を見て、あずきはほっと胸を撫でおろす。
「愛梨ちゃん、改めて聞くわ。蹴散らしてくれるかしら?」
「……無理」
「やってやろうじゃない!!」
「……」
断っているのに口角は上がっている愛梨。
あずきの勢いに乗せられたのか、それとも――。
愛梨は静かに両手を合わせる。




