episode.16 落ちる
愛梨が高校生で、あずきが人間の文化を知っているということが分かった後、他愛のない会話をしているうちにゆっくりと眠気が近づいてきた。
時刻は零時を過ぎようとしている。現実よりも長いDOAの時間。倍の時間を過ごしているはずなのに、不思議と体は疲れていない。だが疲れていなくても眠気はくるようだ。
愛梨たちは明日に備えて休もうと話を切り上げて、あずきの「おやすみなさい」という締めの言葉で各々眠りについた――。
そうして眠りにつき、目が覚めた愛梨は体を起こすと発動したままの『時計』を見る。
時刻は午前七時。DOAの世界では一時間は百二十分だから、現実世界だと十四時間は寝ていることになる。
(ここにいたら睡眠負債が全て無くなりそうだな)
十四時間、しかも地面の上で寝ていたのに体が軽い。
現実世界は、起きても瞼が重く、体中に石を括り付けられているように重苦しかった。寝ても覚めても頭には靄がかかり、その靄から手探りで考えを拾い上げるような毎日。
それが全て無くなっている。体は軽く、頭は晴れている。手探りなんてしなくとも自分の思い、考えが見えている。
(こんなに体が軽くて、すっきり目が覚めたのはいつぶりだろう)
「早いのね」
手元から可愛らしく、少し眠気を含んだ声がする。
「……うん。えっと……おはよう」
眠そうに、おはようと返したあずきは、ぐーっと体を伸ばして眠気を飛ばしたのか、すっきりした顔を愛梨に向ける。
「やっぱあたしの魔法はいいわねー。地面なのに寝心地最高」
「?」
「ふふ。体がすっきりしてるでしょ?あたしの魔法は防御だけじゃなくて、どんな場所でもすっきり寝られるようになってるのよ」
だからか、と愛梨は目覚めの良さに納得する。
「……防御と一緒に寝心地の良さもお願いするの?」
「お願いはしてないわ。特典かもね」
うふふ、と笑うあずき。
特典付きのあずきの魔法が少しだけ羨ましく思い、自分もお得感が欲しいなと、両手をじっと見つめた。
シドウたちも目が覚めて、軽い朝食を済ませると愛梨たちは先へと歩を進める。
どこまで行っても変わらない景色。歩いても歩いても続くトンネル。
モンスターに出会うこともなく、殺風景な景色をひたすらに歩いているうちに、一行の空気が変わってきた。
危険もない、死が近くにもない、走って逃げることもない。緊張感を纏っていた空気は、歩いているだけだ楽だ、という楽観的な空気へと。
「昨日は大変でしたけど、今日は平和でいいですね」
ひゅんひゅんとワシは優雅に飛び回る。その背中に乗っているリスは、ふんふんと鼻歌を歌っている。
「そうね。来る前はいい話を聞かなかったから心配だったけど、蓋を開ければ大したことないわ。昨日以外はね」
声を出して笑い、意気揚々と歩みを進める愛梨たち。
歩く。歩く。歩く。雑談をしながら笑ったり、時には叫んだり。
歩く。歩く。歩く。少しだけ笑顔がなくなっても。
歩く。歩く。歩く。会話が減っても。
歩く、歩く、歩く、歩く――。
「止まって」
あずきが足を止める。他の者も気付いているからか、あずきの言葉をおかしいと思うことなく素直に立ち止まる。
「おかしくないかしら?こんなに歩いているのに何も変わらないなんて……」
「扉や階段があるわけでもなく……ただ道が続いているだけですね」
周囲を見渡す。あるのは、ごつごつとした岩に土を塗りたくったような壁と、整備されていない土の道。
こんなに長く歩いても何もないのはおかしい。あずきは黙って気配を探るが、動物の勘に引っかかるようなものは近くにはない。
「こ、ここに、来る時と、同じで壁に、な、何かあるとか!?」
リスはワシの背中から飛び降りると、小さい足で駆け、壁を叩くが――。
「こ、この壁、変だよ!!た、叩いても、音が、しない!!」
「うん。リスくんの小さな手じゃ音はしないと思うよ」
リスは己の手を見る。どんぐり一個を持つのがやっとの小さな手だ。どんぐりよりも硬い壁を叩いたところで何も音はしないだろう。よくて、壁を引っ掻くカリカリとした音だけか。
ワシに冷静にツッコまれたことが恥ずかしかったのか、それとも自信ありそうに言ったことが恥ずかしかったのか、リスは顔を赤くして猛ダッシュでワシに駆け寄り、背中に飛び乗ると、ワシの羽毛に顔をうずめる。
その光景をワシは「まったくもう」とでも言いたそうに、くすくすと笑っている。
そんな仲良さそうな姿を横目にあずきが壁に近づく。
どんっと構える壁。上を見ると、ごつごつとした岩の壁が、今にも崩れてあずきの体を潰してしまいそうだ。
あずきは身震いして、そっと壁から離れる。
「愛梨ちゃん、壁を叩いてくれる?でも、気を付けてね」
言われ愛梨は何も言わずに近くの壁を叩く。
分厚いのか人間の愛梨が叩いても、ぺちぺちとした可愛らしい音しかしない。
どこを叩いても、同じような音ばかりだ。
「……壁じゃないのかしら」
あずきは下から上へと壁を観察する。
「ん?」
何かを見つけたのか、あずきは目を細めて天井をじっと見る。
「……どうしたの?」
天井を見たまま動かないあずきが気になり、愛梨は声をかける。
愛梨に声を掛けられてもあずきは天井から目を離さない。
「あそこ……。ねえ?あの天井……何か切れ目が入ってないかしら?」
愛梨はあずきが差す天井を見るが、あずきが言う切れ目は見つからない。
「どこ……?」
「ほら、あそこよ。あの、ちょっとぼこっとした岩みたいなやつの隣に……ぴーって線が……」
ぼこっとした岩を探す。天井に不自然に飛び出た岩がある。その横を見ると確かに真っ直ぐな線のようなものが見える。
「……あー、うん。あるね」
「怪しいわね。あそこに向かって魔法をぶっ放してくれないかしら?」
直後、愛梨の体が一瞬ぴたっと止まったのをあずきは見逃さない。
「え……いや、何かあったら……大変だし……」
「無理」という言葉を飲み込んだ代わりに、やんわりと断る言葉を言ったつもりだったのだが――。
「大丈夫よ!!愛梨ちゃん強いんだから!!何かあったらあたしが守るわ!!」
あずきは断らせまいとの勢いで、愛梨に応援と安心の言葉をかける。
愛梨はあずきの笑顔に弱いのか、押しに弱いのか、言い返すこともなく不満と諦めが混ざった顔で、小さくため息をついて両手を合わせる。
魔導書を持った愛梨は天井にある切れ目をじっと見る。
愛梨が何かをやるんだと思ったワシたちは、愛梨の後ろに下がる。
(ああ、嫌だな。さっきみたいなのが出てきても死ねないじゃん……)
愛梨は指を伸ばした右腕を、天井の切れ目に向けてまっすぐ伸ばす。
(さすがに私の事情に他の人を巻き込むのは違うと思うし……)
伸ばした腕から指先に青白い風が絡むように集まり出す。
(……死ぬのは私だけでいいんだよ)
「かまいたち」
指先から放たれ青白い風は一本の線となり、勢いよく天井を破壊する。
ガラガラと崩れる岩の音に混ざって、どしんと何か重たい物が落ちる音がする。
その音は一度や二度ではない、何十回も聞こえてくる。
「きゃっ」
重たい音の中に一度だけ、ずんっと、重たい音と同時に地面から足、足から全身にかけてビリビリとした衝撃。その衝撃なのか地面が激しく上下に揺れる。
立っていられない程の揺れに、あずきは足を取られ倒れる。
「あずきさん、大丈夫ですか!?」
「よろけただけだから平気よ。それより天井が壊れたけど……この大きな音は何?」
天井が崩れるのが止まらない。崩れは広がり、やがて壁までも崩れ始める。
「天井を壊しただけよ!?」
左足ががくんと下がる。
足元をみると床にひび割れがあり、それはみしみしと音を立てて広がっていく。
崩れる。
愛梨は後ろにいるあずき達の元へ走る。
あずきも気付いたのか、隣にいたシドウに飛び掛かり、抱きかかえられていた。
「どういうこと!?何が起きてるのよ!?」
「……わ、わからない。でも……このままじゃ!?」
足元の地面が一気に崩れて愛梨、あずき、シドウは吸い込まれるように下へ。
「愛梨さん!!あずきさん!!神様!!」
ワシは急いで愛梨たちの後を追いかける。
飛べない愛梨たちは空中ではなす術もなく落ちていく。この先に何があるのかわからない。無抵抗に、引っ張られるように落ちていく。
(どうしよう……どうしよう……)
こっちへおいで、と言われているように、下へ下へと引っ張られる愛梨たち。
愛梨たちを追いかけるワシだが、下から吹き上がる風と、愛梨たちと一緒に落ちる無数の岩の間を縫いながらで、なかなか愛梨たちに近づけない。
「えっと……えっと……」
愛梨は命綱なしの高所からの落下を考えたことはあるが、実際経験すると恐怖とパニックで頭が混乱して、何も考えられなくなっていた。
「間に合って!!」
「!?」
「花よ花!!あたしの願いを聞いて――」
どんっという音と共に愛梨たちは地面という終着点に落ちた。




