おまけ 美しきもの
続きそうで続かない短編倉庫から加筆修正しました。
『幼いころに貝殻のボタンを集めていたの。キラキラして、同じ柄がないのも素敵だったから。
このボタンには遠い海で眠っていた日々が詰まっている。そう思うと心躍ったわ』
「わかります」
「だろー、俺、渾身の作」
「俺、わかんねー」
クリスがそういうと、え、そうなの? と言いたげに見られた。お前らが特殊と喉元まで出かかってクリスはそれを飲み下した。本気でへこむかへそを曲げて出ていくかが目に見えていたのだ。
わかると頷いていたのが、元騎士、現領主代行見習いのアトス。渾身のドヤ顔なのが、元騎士、現侯爵家の婿フィデルである。この二人は義兄弟だった。フィデルの妹の夫がアトスだ。元々同僚でもあるが、その時は仲が良いということもなかったので、結婚後に意気投合したのだろう。
見た目やふるまいではそのあたりを察するのが難しい二人組である。
クリスは、その身内ではなくただの同僚である。一応、まだ現騎士でいるが密命を帯びた秘密の編集者でもある。
おっさんに片足を突っ込んだ男三人が内容を確認しているのが、発刊予定の女性向け雑誌である。現在、見本誌の校正中で記事の誤字脱字チェックという地味作業中だ。言い回しに方言が混じるのを指摘するとか数代に及ぶ王都暮らしでないとわからない罠もある。
クリスは領地を持たぬ貴族の生まれで、王都生まれの王都育ち四代目というところでも選ばれた。さらに家業が交易商で、各地の言語に触れているという言語能力に期待されているという。
過剰な期待が重い。
クリスは雑誌に視線を落とした。
半年に一度という頻度で創刊される予定の雑誌シフォン。軽やかな異国の布地をモチーフとしたゆるふわそうで、一部、ガチなものである。
一年ほど前に爆誕したディアナのせいで発生したと言っても過言ではない雑誌だ。
見出された、ではなく、爆誕、である。
ディアナというのは存在しない人物だ。なんかいい感じの家政の本を出すのに執筆者として創造されたものにすぎない。元々の執筆者が名前を出せない事情があったからだ。
クリスはそんなつもりなかったのに、そのディアナの代理人を任されている。元々はそういう立場を必要とするほど世を席巻するつもりなどなかった。
実際は関わったものが、は? という顔をするようなくらいの売れっぷりだった。
私の目狂いはなかったとご満悦な出版元も、王家からのディアナと会いたいという要請には無になっていた。
さすがにそこには嘘をつきとおすこともできず、こっそり説明はしている。
その結果、上官どころか、国王命令が下った。ディアナに会いたかったのは王女様だったのである。娘の夢を壊すなという無茶振りを拝命することになったのがクリスである。
超有能家政婦、王家のお姫様も虜にする、という笑えない事態だ。
穏やかな生活を望む彼女は人前に出ることはない。それは執筆を依頼したときの契約なので曲げられない。破れば既刊回収する話になると公言しているので、無理やり出されることもないのが救いではある。
なお、外見は黒髪の眼鏡のそばかすありの理知的美人、ということになっている。モデルはない。しいて言うなら、野郎の妄想である。それも絵描きが趣味の騎士が複数ああでもないこうでもないと組み上げた渾身の妄想。
ディアナの本はこれから二冊目が発刊されるが、その前にこの雑誌の話があり、それならということでディアナのコーナーが発生したのである。
それがディアナからの手紙というコラム。さらにディアナの弟子からのお悩み相談もある。読者からのお便りコーナーではあるが、創刊前の雑誌にお便りコーナーって、とクリスは思ったが言わなかった。
ディアナ宛のファンレターに熱量多めのお悩み相談がいっぱいあった。それを立場上確認をしなければならないので世の女性の悩みというのをクリスは知ってしまった。
知らない頃に戻れる気がしない。
「……わかんねー」
貝殻ボタンから各種ボタンの話に脱線している二人を見てクリスは呟く。
この全く、乙女的な、麗しいものがわからん、俺がなにすんの? というのが本音である。肉の焼き方ならあれこれ言えるが、ステーキというものに乙女が食いつく気がしない。
さらにふんわり柔らか乙女な雑誌、隙間に別のものも挟まっている。
乙女、数学好き? 哲学読む? ついでに科学もちょっと頑張っちゃうの? という雑誌が本当に受けるのか謎である。
歴史だけは、好きな妹がいるのでわからないでもない。
お兄ちゃんお願いと各種歴史書が欲しいと代わりにお願いしたこともあるから、学ぶのが難しいこともあるのもわかる。今どきは男女ともに同じ学舎に通うこともあるが、中身は隔たりがあったからだ。妹からの話がなければクリスは気がつかないままに過ごしたかもしれない。
ただ、そういった知識を雑誌で取り上げるほど求める人が多いのだろうか。
なんかあって俺の責任にならないといいけど。
そう思いつつ、クリスは歴史のコーナーを妹に依頼した。特権の一つや二つ使わねば割に合わない。滾るわっ! という乙女らしからぬ雄たけびを聞いて、間違ったかなと思わなくもないが。
その妹の記事もきちんと載っている。語り口は、ねぇ皆様ご存じ? この建物にはこんな逸話がございますのよ。という体裁はとっている。年の近いお友達のように、というのはこの雑誌の特徴ではある。
上から言われるのではなく、ねえ、これ知ってる? と言い合うような楽しさ。
その記事が、どういう奴らでつくられているかは隠さなければならない。乙女の夢はビジュアルも大事である。
間違っても、筋肉な野郎の趣味とは知られてはならぬ。
まあ、世の中には知っても熱愛する女性もいるのだが。
「ほんと、まじめにやらないと発刊できんぞ」
「お、そうだった」
「すみません」
といいつつやっぱり永劫脱線することになったのであった。
本は活版印刷、一部カラーの豪華版と白黒印刷のみの通常版が流通。
この年のベストセラーを記録し、世の乙女(元乙女も含む)を虜にしたどころか、何かする予定もない男性も買っていたというからよほどのことである。作者近影のシルエットに夢想をした者も多いとか。
挿絵画家が違う特装版も後の世に作られるような長い売れ方をし、その作者に迫る謎本も出る。が、その正体が知られることになるのは、結構後のことである。
代理人、とてもがんばった。




