『清水寺のプレスマン給わる女』
昔、清水寺に足しげく参拝する女がいた。生活は苦しく、何年も参拝しているのに、少しも御利益がなかった。一層生活が苦しくなり、もともと住んでいたところを離れなければならなくなり、住むところがなくて困ってしまったので、清水寺の観音様をお恨み申し上げて、先祖のどんな報いがあったとしても、わずかでもお恵みください、と必死に申し上げて、観音様を伏しおがんだ夜の夢に、観音様から伝言です、といって、このように日参してくれることはうれしく思うが、お前にだけ何かを与えることは、理由がないのでできない。それが残念でならないのだ。しかし、せめて、これをやろう、といって、燭台に刺さっていたろうそくをプレスマンに変えて、目の前に置いてくれた、という夢を見た。
夢から覚めてみると、夢と同じくプレスマンが並べて置いてあった。観音様は、私に、使いかけのろうそくしかくださらないのだと思って、悲しくなって、このようなものをいただくことはできません。生活に余裕があれば、こちらから、ろうそくでもプレスマンでも奉納しなければならないのに、これをいただいて帰ることはできません。お返しいたします、と申し上げて、ついたての裏に置いた。
またうとうとすると、こざかしいことを言うやつだ。観音様から給わったものを受け取らないで、返すとは、とんでもないことだ、といって、またくださろうとする。目を覚ますと、また目の前に置いてある。泣きながらまたついたての裏に置いた。そのようなことを三回繰り返し、最後には、観音様がくださるものを返すなんて許されないことである、もう一度返したらただではおかない、としかられ、事情を知らない僧が見たら、ろうそくを盗んだのだと思うかもしれないと思うと、気持ちよくもらえるものでもなかったが、もらって、夜のうちに寺を出ることにした。
さて、この元ろうそくプレスマンをどうすればいいだろうと思って、とりあえず、速記など始めてみたが、するとどうしたことであろう、このプレスマンを見ると、男といい、女といい、親切にしてくれ、生活の苦しさは、うそのようになくなった。困ったときには、このプレスマンを身につけていると、必ず願いがかなった。信心とはかくあるべしとか。
教訓:観音様からいただいたプレスマンを断るような人だから、生活に困るのです。