1話. 道行きとなりゆき
「雨、止んだみたい」
その声で、少年の物思いは不意に覚めた。かたわらを見やれば、少女が外套のフードを脱いで、暗い夕暮れのような紅髪を外気にさらしていた。
「ヒュー?」
期待していた返事が来なかったから、少女はちょっぴり不満げに彼の名を呼んだ。
少年……ヒューは、そんな機微を悟ることもなく、自分の上衣の結び目を緩めた。
「どうした」
「いや、"どうした"はこっちのセリフ。なんかぼーっとしてたでしょ」
「気のせいだ」
本当かしらと、光の籠った黒い瞳がじいっとヒューを見つめた。そんな湿った視線に動じることなく、むしろ興味深そうにヒューも見つめ返した。
「……」
「クロ?」
結局、先に降参したのは少女……クロの方だった。
「な、何でもない。ほらっ、村までもうすぐだし、早く行こ」
「ああ」
灰色の雲の裂け目に白い陽光が差し込む空のもと、二人は各々の荷物を担ぎ直し、草木の濡れた道なき道を再び歩き出した。
遠い距離と雨霧でおぼろげだった建物群の形が、少しずつはっきりしていく。無造作だった周囲の草原も実りかけの穀物畑へと変わり、そのはざまが村の入り口を示した。
「静かだな」
左右の畑を眺めながら、ヒューが言う。
「まだ晴れたばかりだから、みんな外に出てないんじゃない?」
「ふむ」
肯定とも否定とも取れない頷きを返しながら、彼は一歩先に村の中へと踏み込んだ。
歩きやすいよう整えられた通りに、石造りの家々がまばらに寄り添う。そのどれもが戸をぴしゃりと閉めていて、隙がない。
ちょっと進んでみても、ヒューとクロ以外の人影は見当たらなさそうだった。
「……やっぱり妙かも」
「気配はあるんだが」
改めて辺りの奇妙な雰囲気を共有しながら、村の中央に差し掛かったそのとき。
「あっ、人!」
二人はここに来て初めて住民の姿を認めた。農夫の出で立ちで、顔に幾らかシワが寄り始めているが、日に焼けた肉体がいかにも丈夫そうな男だった。
男は使い古された鋤を肩に担ぎ、不機嫌そうな面持ちで井戸のふちに腰掛けていたが、彼もまた村にやって来たよそ者の存在に気付いた。
「っまだ居やがったのか!」
くすぶっていた表情が見る間に怒りに燃え上がる。男は体つきに似合わぬ身軽さで立ち上がると、鋤を槍のように水平に構えた。
「あの、おじさ……「図々しい盗人共め、覚悟しろっ!」
クロの呼びかけは問答無用で遮られ、男が敵意を剝き出して突撃してくる。その矛先は、誤解を解こうと前に進み出たクロに向けられていた。
人を殺傷するための道具でないとはいえ、当たれば大けがを負うことは免れない勢い。
しかし彼女は動かなかった。ただ相手を見据えてじっと立っていた。
ふと、男の眼前に何かが閃いた。
「うおっ!?」
そして、その閃きを目にしたときには既に、突き出したはずの鋤の刃先が地面に突き刺さっていた。つまり、弾かれたのだ。
「落ち着いてくれ、おっさん。俺たちは盗人じゃない」
ヒューが、唖然としている男に淡々と言う。視線を投げかけることもなく、その手は腕に抱えた細長い布の袋の口を整えていた。
彼の言葉に、クロも勢い良く頷いた。
「そうそう、私たちはただの旅人だよ」
「……うーむ……」
釈然としない気持ちで鋤を引き抜いて、今度は地面に真っすぐに立てて杖代わりにすると、男は二人の顔を交互に何度も見た。
そして、一つの疑問を口にした。
「じゃあ、お前たちは何のために旅なんぞしているんだ?」
「竜を殺すためだ」
ヒューの答えに、男の目がぱちくりする。
「竜だって? 俺の聞き間違いか?」
「ううん。間違ってないよ」
これには横合いからクロが否定した。
すると男は、肩を震わせたかと思えば、途端に大声で笑い出した。
「ああ、そうかそうか竜を殺すのか!」
「ちょっとおじさん、バカにしてるでしょ」
「当たり前だろ。竜なんてそれこそ、おとぎ話のなかのモンだからな」
「あのねぇ……」
「クロ」
ヒューが、食い下がろうとするクロの肩に手を置いて代わりに男の前に出た。
それでクロも、渋々ながら、開きかけた口を閉じた。
「話は変わるが、盗賊が来るのか? この村に」
"盗賊"という言葉を聞いて、さっきまで笑っていた男の顔が引きつり、歪む。
「ああそうだ! ここ最近、一ヶ月かそこらのことだ。突然村に現れて、倉庫の備蓄をちょくちょくかっさらいに来やがるのさ。まさにお前たちみてぇな恰好をした、小さくてすばしっこいガキ共だ」
「逃げた先を見るに、どうもテュボスの森を根城にしているらしい」
「東の方か。ここから近いな」
そこで、クロが小首を傾げた。
「相手が子供で居場所も分かってるのに、村の方から退治しにいったりとかしなかったの?」
「もちろん行ったさ。村の若い奴らと一緒に、俺もついていった。だが、返り討ちに遭ったんだ」
「なんで?」
彼女の純粋な畳みかけに、男は言いにくそうに答えた。
「皆こっぴどくやられたんだ。あいつらの親玉に」
「ふぅん……どんなヤツだったの?」
「それが、幽霊なんだ」
「幽霊?」
「ああ、ボロボロの甲冑を着込んだ幽霊だ。そうとしか言いようがねぇ」
「さっき竜のことをおとぎ話って言ったくせに、幽霊は信じるんだ」
今度はクロが小ばかにしたような調子で聞き返した。しかし男は必死に続ける。
「本当なんだよ。あいつ、俺らの攻撃がまるで効いてなかった。むしろ、気が付きゃこっちがケガを負っている有様だ」
「ふむ……」
「根本をどうにかできねぇ以上、村を守ってあいつらの襲撃をしのぐしかねぇ。それで、現状は後手に回っているというわけさ」
言い切って、男は再び大きな溜め息をついた。
本来であれば同情の余地もあるのだろうが、その盗賊と疑われしかも襲われたのだ。慰めも、手を貸す必要もない。少なくとも、クロはそう思っていたし、実際それはまっとうな考えであると思われた。
そんな彼女の横で、ヒューが平坦に話を続ける。
「さっき、竜のことをおとぎ話だと言っていたな」
「ああ、それがどうした。あてつけか?」
「いや、知っているなら教えてほしいんだ。そのおとぎ話を。あと、今日の寝床と数日分の飯をくれ」
「代わりに、俺が盗賊を何とかしてやる」
「へ?」
クロが素っ頓狂な声を上げる。他方、男の方はというと、値踏みするようにじっとヒューを睨んだ。
思慮に満ちているようでどこか幼い、深い緑の瞳が、フードの奥から鋭くきらめく。
何とも言えぬ気迫は、先ほど男の攻撃を弾いた謎の力と合わせて、打算を与えるに十分だった。
「……寝床は、納屋があるからそこでもいいなら使え。飯は……そうだな。今日の分は食わしてやる」
「竜の話と旅の分の食料は、お前たちが盗賊を追っ払ったあと。これでどうだ?」
「分かった」
「よし。決まりだな」
「えぇっ!?」
抗議の声を上げる間もなく、彼女を置いてとんとん拍子に話は決まってしまった。
「ついてこい、案内してやる」
そう言うなり、男はのしのしと自宅へ向けて歩いていく。
ヒューも歩みかけて、その場で固まっているクロに振り返った。
「行こう」
「……あ、あー、うん」
文句をつけようと思ったものの、ヒューがあまりに平然としていたから、クロは拍子抜けしてしまった。
彼女はもう、成り行きにまかせることにした。