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君と私の恋愛教室〜女性アレルギィの恋愛小説家と恋を知らない女性たち〜  作者: 凪司工房
第一章 「もう恋なんてしない」
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3

 原田の暮らすマンションから徒歩で十分ほど行った先の通り沿いに、最近見つけた店がある。雑貨屋の隣で、ビルの一階部分のテナントに明るめのチョコレート色をした生地のオーニングが掛けられ、その上に「Brown Sugar」という白い角ばったアルファベットがよく目立っている。一方で店の入り口脇に飾られたプレートには「喫茶ブラウンシュガー」と昔の純喫茶風な癖のある筆文字で縦に書かれていて、原田からすれば洋風なのか和風なのか、どちらを気取りたいのかよく分からない。


 それでも自慢のパンケーキは大人気らしく、時間帯によっては主婦と思しき女性たちで店内の席が埋まっている。入ろうとすると二十分、三十分待ちと言われることもざらだ。

 ただ、今は表のオープンテラスのテーブルには人の影は見えない。ガラス越しに店内を(のぞ)いてみるが、中も二、三組いるだけのようだ。

 玄関のドアを開けると、


「いらっしゃいませ」


 と小さな声で眼鏡姿の女性店員が対応に出てくる。


 原田は人差し指を立て、一人客であることを示すが、白シャツに黒エプロンをした彼女は胸の前に腕をやって戸惑いがちに奥をちらちらと見るだけだ。新人だろうか。木製のテーブルは四セットあり、他にも窓際に個人用のカウンター席がある。非喫煙者である原田は特にどの席でないといけないということもなかったが、彼女は曖昧な微笑を浮かべ、目線を()らした。どうしよう、と唇が動いたのが見えた気がするが、誰かが彼女を助けに来る様子はない。


 奥のキッチンには二人の店員がいた。いつも見る男性店員と、その上司らしき女性店員だ。眉毛をきつい角度にした彼女が声を殺して何やら男性店員に話している。説教なのか、それとも注意なのか、少なくとも口論をしている風ではない。一方的に見える。社員教育なら店が始まる前にしておいてもらいたいところだが、それよりも目の前の新人らしき彼女を早く助けてやってもらいたい。そうしないと原田のパンケーキはずっとお預けのままだ。


「ほんと使えないんだから」


 (しか)っている女性の声が大きくなったがそれでようやく彼女が気づいたようで、口元を押さえるとニコリと笑顔を作り、男性店員の背を押した。


 ――俺?


 という素振りをしてから叱られていた男性店員の方が原田の前にやってくる。


「あー、えっと、一人ですね。あちらでいいですか?」


 相変わらず接客態度が悪い。だがそんなことで腹を立て始めると世の中の人間の三割程度に対して常に苛立(いらだ)っていないといけないので、原田は全然気にしないという態度で案内された窓際のカウンターに腰を下ろす。


「パンケーキとブレンド」


 それだけ言うと、コートを脱ごうと手を掛けた。


「えー、その、今から焼き上げますので少々お時間かかりますけど宜しいですね?」


 いつものことだ。それがこの店の特徴なので「いいですよ」と短く答える。常連とまではいかないけれど、何度も来ているのだからこの手の手続きは省略してもらいたいものだ、と考えつつ、コートを折って背もたれに掛けた。


 眠そうな二重の男性店員はメニューを抱え、奥に引っ込んでいく。その歩き方もどうにもやる気が見られず、彼の猫背も相まって、店の雰囲気を一割程度は悪くしているな、と感じたが、何も言わない。


 気づくとコートのポケットから取り出したスマートフォンが、テーブルの脇で小さく震えていた。液晶に映ったのはまた村瀬ナツコの文字だ。今度はLINEだった。


> 連絡ください


 スタンプも何もなく、ただその文面だけが続いている。恐怖を与える為に時々わざとやっているのではないだろうかと疑っていたが、真面目に仕事をしている結果なのだろう。彼女が時間を確認しながら十分、あるいは五分毎にまるで生存確認のようにメールやLINEを送る様を想像すると、ストーカーにでも襲われている心地になって、どうにも落ち着かない。胃袋が音を立てて(きし)みそうだ。


 いや、実際に何か音がしていた。

 窓だ。

 見れば赤い縁取りの眼鏡を掛けた女性が、窓を叩いている。表情こそ笑顔を作ろうとしているが、明らかに怒りが(かも)()されていた。先月赤みがかったブラウンに染めたばかりのショートボブは、あちこち飛び跳ねている。肩で息をしている様子からは、原田を見つけて慌てて走ってきたことが容易に推測できた。


 村瀬ナツコはグレィのパンツスーツの上にベージュのコートを羽織っていたが、その襟が半分だけ立っていた。肩から掛けた白い大きな鞄が黄ばんでいたが、以前それについて指摘すると「先生の責任です」と原田の所為(せい)にされたことを思い出す。


 原田は席を立ち、コートに素早く腕を通す。

 レシートを手に店の入口に向かうが、村瀬ナツコも同様に入り口に向かっていた。


「先生!」


 三メートルほどの距離まで近づいて我慢できなくなったらしく、彼女は声を上げる。


「あの、村瀬さん。外でそれは止めて下さいって何度も」

「原田せんせい」


 確認するまでもなく怒っていた。


「そうだ。きっと君はお腹が空いているんだよ。今パンケーキを注文したところだから、これを食べると良い」


 原田はレシートを彼女に受け取らせると、


「じゃあ」


 まるで恋愛映画の男性アイドルの如き爽やかさで颯爽(さっそう)と店を出る。


「ちょっと待てこら原田ァ!」


 入り口のドアを開けて外に一歩出るなり、彼の背を怒号が襲った。

 慌ててハザードランプを灯したタクシー目掛けて走り出す。

 窓を叩いて後部ドアを開かせて乗り込むと、


「急いで出てくれ」


 眉間に皺を寄せていた初老の運転手にアクセルを踏ませた。

 車窓からは村瀬ナツコが飛び出してきた姿を確認することができたが、それはすぐに小さくなり、やがて角を曲がったところで完全に消えてしまう。

 原田がほっと胸を撫で下ろすと、


「お客さん、修羅場(しゅらば)ですかい」


 運転手がそう言って乾いた笑い声を漏らした。


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