その 名 は ネロ
第1話
ダンカン・フレッチャーは、自他共に認める帝国一の情報屋である。
元々、情報屋になるつもりはなかった。
ただ金を稼ぐ目的で、この組織に入ったのだ。
組織の名は、ガウス商会。
ガウス商会とは、兵器製造に置いて他の追随を許さない、世界を股にかける一流企業である。幾多ある兵器製造企業の中でも、ガウス商会は最も、信頼性、性能面、生産量などが群を抜いている。
未だ各地で行われている戦争が終わる気配のないこの世界で、兵器産業は最も需要の高い産業の一つなのだ。
ガウス商会は、今では一つの国に匹敵する力を持つ。一方で、黒い噂が絶えない事もまた事実である。
そして、ダンカンが加入したのは世界各地に存在する支部の一つ、ガウス商会第6支部である。
ガウス商会第6支部は、帝国には出来たばかりで、言わば引越し先で段ボールを開けている状態だ。
言うまでもなく、すでに帝国には幾つか敵対する他組織が営業活動を行なっている。
ダンカンは、この組織の構成員の末端から始まり、仕事に慣れ始めた頃に決まった配属が、たまたま情報部ーー情報収集、分析、伝達を行う部署ーーだったに過ぎない。
しかし、いざ入って見ると、これが案外ダンカンの性に合っていた。
まず、この組織の情報部が行う仕事は、ただ一つ。正確な情報を集め、それを的確に伝える事である。
ここでいう情報とは、主に敵対組織の情報である。敵対組織の構成員数、警備網、規模はもとより、その組織をまとめる首領の好物まで、調べ上げる。
そうして、まとめた情報を襲撃部に提出する。
この襲撃部というのは、詰まる所、第6支部の戦闘部隊である。襲撃部は提出された情報を基に、人選し、襲撃をかけ、資源、資金を強奪し、敵対組織を抹消していく。
一見すると、この情報部の仕事は容易に見えるが、敵対組織の情報を集めるという事は、情報を集めている姿が敵対組織に見られると、即、死に繋がる。
遠過ぎては、浅い情報しか集まらないし、近過ぎては、見つかり殺される恐れがある。この絶妙な生命線を辿って情報を集めるのだ。
ダンカンは、この感覚が優れていたのである。
非常に用心深いと噂の、ターゲットの警戒網に開く唯一の穴。誰もが匙を投げた案件を見事に片付け、重要情報を入手したダンカンは、その情報を意気揚々と持ち帰り、舌なめずりをしながら、襲撃部の扉を叩く。
「へへ、まさか敵対組織が組織加入の特殊条件を知っているとは思うめぇ」
今回のターゲットの鉄壁の防衛網に開く、唯一の穴。それは、組織加入の特殊な方法にあった。普段は、新たに組織加入を希望する人材が居た場合、面接担当が、首領に最も遠い配属にするが、首領の好物の、ある特定の酒を持ってきた場合、首領が直接面接するというのだ。
そして、もちろんダンカンは、その特定の酒まで調査済みだ。
「ダンカン、やるじゃねぇか。こりゃ昇進も時間の問題だな」
ダンカンの調査報告書を読んだ襲撃部の事務が、ダンカンを褒めた。
「しかし…」事務の男は周りを見回してから、再び口を開いた。「すまねぇな。今、他の大仕事に人員割いちまって、この規模の組織を襲撃できるほど、残ってないんだよなぁ」
その事務の男は、誰が残っていたか、誰が直ぐに駆けつけられるか、指折り数え始める。情報は新鮮度が重要なのである。できるだけ、早く行動を起こさなければならない。
「ああ、そういう事なら、心配しないでくだせえ」
「ん?…あっ、もしかして、また、あいつら使うのか?」
「ええ、そうでさぁ」
"あいつら"とは、ダンカンが最近知り合った、凄腕の殺し屋である。どこの組織にも所属しておらず、情報と金を与えると、完璧に仕事をこなしてくれる。
その殺し屋は、帝国と冷戦状態である隣国のアウレリウス王国の出身と言ったため、始めは警戒していたが、今ではダンカンの良い仕事仲間となっている。
そういえば、数ヶ月前にあの王国の王女が居なくなったとか巷で聞いたなぁ、とダンカンが物思いに耽っていると、事務が考えが纏まったのか、口を開く。
「ふむ。じゃあ、今回もそいつらに頼むわ。報酬は、襲撃が終わり次第、算出してお前に渡しておく」
「了解でさぁ」
帝国内のとある酒場でダンカンは、その殺し屋と落ち合う。情報を開示し、暗殺依頼をする時は何時もこの酒場で行なっている。
木製の年季が入ったテーブルを挟んで椅子に座り、長い間、綿密な話し合いをする。
酒場であるというのに、テーブルの上には飲み物や、食べ物の類は一切見られない。周りでは酔って踊り出した客、歌う客、大声で笑っている大柄な客などがいるため、この席だけ浮いて見える。
「以上が今回のターゲットの詳細だ。何か質問はあるか?」
ダンカンは、向かい側に座っている頭にターバンを巻いている人物に確認した。漆黒のフード付きのローブを着込んでいるその姿は、何とも訝しい印象を漂わせる。また、鼻まで覆うマスクをしているためその顔を窺い知ることはできない。
「いや、ない」
「そうか。じゃあ、これが今回の酒だ。相当な高級品だぜ」
そう言って、ダンカンは足元に置いてあった皮袋から酒瓶を取り出し、テーブルの上に置く。
「これで、ヤツも"イチコロ"よ」
ダンカンはフッと鼻で笑ってから、立ち上がりターバンを巻いた人物の肩に片手を置いて言う。
「じゃあ、今回も頼んだぜ?ネロ」
「…ああ、任せておけ」
期待通りの返答を聞くことができ、満足したダンカンは、ターバンを巻いた人物の肩から手を離し、その酒場を後にした。
インテ・グラル帝国。
この国は、アウレリウス王国と、ダイン大森林を挟むようにして、建国された国である。近年、突如として、目紛しい経済成長を迎えたこの国の特徴は、アウレリウス王国が古き良き文化を重んじる国であるのと対照的に、近代文化を現在進行形で発展させている国と言えよう。
その技術力は、工業のみならず、医療をもトップクラスにある。材料の確保・工業製品の販売のなどのため他国との貿易が盛んで、各国から人や物が多く流れ込む。そのため、治安は悪く、今では幾多の犯罪者集団が帝国中に蔓延っている。
「今回のターゲットは誰っすかー?」
そんな国の酒場から出てきたターバンを巻いた人物ーーネロの後ろから、とてもクセの強いベージュの髪を腰まで伸ばした女が話しかけてきた。
頭には耳も覆う、皮の帽子、腰には何かの動物の毛皮をベルトのように巻いていた。
また、腹部と足は大胆に露出され、その健康的な褐色の肌を露わにし、丈の短い墨色のノースリーブに包まれた豊満な乳房は、今にも溢れそうになっている。
そして、その端整な顔立ちは、野生的な鋭さを思わせた。
ネロは振り返り、黄金の瞳で見つめてくるその女の顔を睨み、眉をひそめる。それから、ため息を一つついて、口を開いた。
「テトラ…何度も言っているだろう。気配もなく俺の後ろに立つな。また、ナイフを首元に押し付けるところだった」
何故、この女ーーテトラは再三注意しているのに直そうとしないのか。と、少し気分が悪くなりつつも、再びため息をついてから、ネロはナイフの柄を握る手の力を抜き、それから鞘に収める。
「…あの情報屋によると、今回のターゲットは、ノストラス・コーサの首領、ルチアーノ・ベンジャミーだ」
「うわぁ、やっぱり段々とデカイとこ任されるようになってきたっすね」
テトラは右手の人差し指を顎に当て、首を傾げ、眉間にしわを寄せる。しかし、それでも尚、その優美さが失われることは無かった。
「これで良いさ。このまま順調に進めば、いずれ奴に繋がる手がかりを得られるはずだ」
ルチアーノ・ベンジャミーが束ねるノストラス・コーサは、密輸、人身売買などを行う、いわゆる犯罪組織だ。構成員数はおよそ40人で、帝国内の組織では小規模な部類にある。
その勢力はさほど脅威では無いが、近々情報屋が所属する組織の幹部クラスが初めてインテ・グラル帝国内に一同集まり、会合を開くと言う。そのため、できるだけ早急に危険は排除しておきたいというのが、情報屋の上司の命令らしい。
つまりは、ルチアーノ・ベンジャミーの殺害である。
「今日は一旦宿に帰ってから仕込みをして、明日情報が正しいか偵察しに行く」
ネロは、テトラに背を向け歩き出す。テトラはその後ろから付いて行った。
レンガ造りの建物が道に沿って続く帝国の街並みに、ポツンと木造三階建ての建物がある。
その外観は、目立つような無駄な装飾が一切なく堅苦しい印象を与える。『宿屋』と書かれた長年の雨風に晒され、ひどく傷んだ小さな看板がなければ、誰1人としてそこが宿屋だとは思わないだろう。
ネロ達は、2ヶ月ほどここで寝泊まりしている。それ程に宿泊代は格安だった。
ネロ達は、一階の受付を顔パスで素通りし、受付横の階段から二階へ上がる。階段を上がって右、一番奥の部屋に入った。
「ふぅ…」
ネロは部屋に入ってすぐに、気の抜けたため息を吐く。今日だって情報屋と会うまでは、朝からあの男の情報を集めていた。普段は深夜まで探しているのだが、たまにくる情報屋の臨時収入は帝国で暮らすには必要不可欠だった。そのため、日が沈む1時間も前に急遽切り上げたのだ。
ネロは、来ていた服を脱ぎ出す。長い間外に出て帰って来たら、先ずは体を清めるのがネロの習慣だ。これをしてからでないと何もする気が起きない。
テトラは壁際にあるベット上で胡座をかいて後ろから、そんなネロを真顔でじっと眺めている。
「きょーも、おあずけっすかぁ?」
その爆弾的発言が耳に入ったネロの肩がビクッと上に跳ねた後、ネロは顔の判別がつかない速度でテトラに顔を向ける。
「当たり前だ!!2度と俺にあんな事するじゃない!!ていうか何度言えば気が済む!!」
「そんな事言って〜〜。あの時かなり善がってたじゃないっすか。また女の子の喜び、教えてあげるっすよ?」
テトラはそう言ってから、服を脱ぎ出し、その豊かな双丘を露わにする。瞬間、テトラの頰の薄皮一枚を鋭い風が掠める様に通り抜けた。
テトラが恐る恐る、頭の後ろにあった壁を見ると、ナイフが深々と刺さっていた。
顔をネロの方に向き直すと、次のナイフを投擲する構えをしている。
「じょ、じょーだんすっよ〜。やだなぁ…ははは」
流石に、これ以上からかえば次は額に穴が開く事を予想したテトラは、後頭部を片手で掻きながら引き攣ってはいるが笑顔を作る。
全裸のネロはフンッと鼻を鳴らしてから、ナイフを置き、白いタオルを肩にかけ、浴室に入る。
そして、言わなければならない事をふと、思い出したネロは、浴室から顔をのぞかせテトラに告げる。
「そうだ。お前、臭うからそろそろ風呂に入れ」
テトラは指を鳴らす。
「はは〜ん。さては、それ、今晩OKってことっすね!」
テトラが何を言いたいのか察したネロは赤面する。反省したと思ってナイフを置いてしまった自分が甘かった、とネロは手元にナイフが無いことを後悔した。
「っ…!だまれ!こ、この…万年発情期!」
「ふふふ。それじゃあ、万年発情期の私は、外で女漁りしてくるっす〜」
「……。やりすぎるなよ…」
テトラはベッドから降り、部屋のドアを開け、向こう側に消えて言った。
自分のためにテトラの犠牲になる憐れな帝国の女達に感謝しながら、ネロは水を浴び始めた。