フランス人は笑い話が好き
レティシアと並んでマルシェを歩く。
店の人がしきりに「サンクーロ、サンクーロ」と声を張り上げているのが耳につく。ちなみにサンクーロというのはサンク(5)とユーロで5ユーロという意味。何が5ユーロで売っているのかは分からない。
「何か欲しいモノがあったら買ってあげるわよ?」
「別に何もないし、もしあっても自分で買うよ」
「ふふ、冗談よ」
上機嫌で僕をからかうレティシア。そういえばこうして僕をからかうようなことを言うのは、今まであまり無かった気がする。どちらかといえば気を使われていたように思う。
けれど元々モニカに対してはそうした態度を取っていたし、もしかしたらこれがレティシアの本来の性格なのかも知れない。
マルシェを行き交う人は、冬ということもあってか様々な服を着こんでいる。老人でさえもぴんと背筋が伸びていて、どことなくオシャレに感じた。
そんな中で、僕は店に並ぶ赤い果実に目が止まる。商品の名前を記したプレートには「Fuji」と書いてあった。
「あ、ふじだ」
「ふじ?」
「リンゴの品種だよ。日本の品種なんだ」
「へー……美味しいの?」
「甘くて美味しいよ。食べたこと無い?」
「分からないわ。多分あるとは思うけど、品種まで意識したことはないから……お母様なら詳しいはずだけど」
「そういえばパティシエールだっけ」
お菓子職人と果物は切っても切れない関係にあるから、確かに詳しそうだ。リンゴならタルトやパイなど、いくらでも出番はある。ふじが他の品種と比べてそれらに適しているかまではさすがに僕も知らないけど。
「買うの?」
「……そうだね、買おうかな」
そう言って僕は店の人にお金を渡してふじリンゴを購入した。パリの物価は全体的に日本より高い印象だけれど、果物など一部のものは日本よりも安かったりする。ふじリンゴは3つで2ユーロしないくらいだった。
「それじゃあ……ちょうどいいわ、あそこにしましょう」
僕がリンゴを買い終えたのを見て、レティシアはそう言った。レティシアの言った方を見ると、椅子やテーブルが置かれた広場に人が集まって談笑している。
「あそこで何をするの?」
「何って、会話に混ざるのよ」
「……何で?」
「もちろん、演劇のレッスンのためよ」
レティシアは真面目にそう言っているらしい。まあ彼女がそう言うなら、きっと意味があることに違いない。僕たちは人だかりに近づいて、空いている椅子に並んで座った。
今は一人の中年男性が立ち上がって、何やら大きな声で話している最中らしい。
どうやら小噺のようなものを披露しているみたいだった。
「フランス人は笑い話が大好きなの」
レティシアが小さな声で僕にそう説明してくれた。あまりそういうイメージは無かったけれど、これまでのパリでの生活を思い返してみると、確かに心当たりはいくつもあった。
「確かに、学校でもクラスメイトがよくジョークを披露してたね」
ただ内容はシニカルなものやダブルミーニング系の言葉遊びが多くて、最初の内はあまり僕には意味が分からなかった。
徐々に慣れてきて理解出来るようにはなったけれど、それは意味が分かるというだけで、心の底から面白いと思うかはまた別の話だ。
そうこう考えているうちに、男性の話にオチがついたようで、周囲の人が声を上げて笑う。すぐさま続くように名乗り出た別の男性が立ち上がって、同様に僕たちの前で話を披露し始めた。
「つまりレティシアは、フランス人の笑いのツボを学べって言いたいんだね?」
「んー、ちょっと違うわ。どちらかと言えば、話している人の方を見てほしいの」
「話している人?」
「そう。こうした場の中でも、明確に面白い人とそうでない人っているでしょう? もちろんジョークの内容にも因るんだけど、何よりもまずその人のキャラクターとか話し方の段階から差があるの」
「それは確かに」
「同じ話をしても、どれくらいウケるかは話す人で変わるわ。どういったテンポで話すのがいいのか、テンションのメリハリのつけ方はどうか。タクトは今から批評家として、話している人の改善点を探すつもりで話を聞いてほしいの」
なるほど。つまり論理的な視点で、笑い話の表現についてテクニカルな面を批判的に検証しろということか。
笑える、笑えないで普段終わらせているところを、もう一歩踏み込んで考えるというのは、確かに意識しなければやらないことだ。意味はあるのだろう。
「あ、もちろん後でタクトにもみんなの前でお話を披露してもらうからね?」
「え、聞いてないよそんなの」
「だから今言っているでしょう?」
「いやまあ、そうだけど……」
お笑いにうるさいフランス人の前で、フランス人好みのジョークをフランス語で披露するのは、僕には少し難易度が高い。
まあでも、僕がこの先挑むことになる大舞台のことを考えたら、これくらいのことは平然とした顔でやり遂げなければ話にならないはずだ。
「タクトのお話、楽しみにしてるからね?」
レティシアは僕に笑いかけながら言う。それは純粋な笑顔とはとても言えない、どこかからかいと皮肉のこもった笑顔だった。
僕はそんなレティシアを厄介だなと思いながらも、そうした彼女の本来の姿を見せてくれるようになったことを、少しだけ嬉しく思っていた。……本当に、少しだけだけど。