姉みたいな
廊下に出てみると照明がついていて明るかった。
「……とりあえずロビーの方へ行ってみるか」
そう思ってロビーに出てみたけど誰もいない。クロエさんを探したいけど、他人の屋敷であまりうろうろするのも良くないだろうし。
それにしても静かだ。物音が全くしない。夜だからなのか、それとも元々そういう場所なのか。
「うーん、困った。誰かいると思ったのに」
僕は1階ロビーの真ん中で立ち尽くす。ちなみに僕の部屋は2階の西側にある。
「……? コムラ様? どうかされましたか?」
不意に声をかけられる。声のした方を向くと、寝間着なのだろうか、ゆったりとした服を着ているクロエさんがいた。
「あ、クロエさん。良かった、探してたんです」
「申し訳ありません。少し雑務を処理していました」
「いえ全然問題ないです。それでえっと、レティシアなんですが」
「ああ、眠ってしまわれましたか?」
「そうです……どうして分かったんですか?」
「レティシア様は、いつもそうですから」
クロエさんはクスリと上品に笑う。
「全力で活動して、限界が来たらそのまま眠ってしまう……まるで子供みたいでしょう?」
「えっと、その……ノーコメントで」
ここで釣られてレティシアを悪く言うと、何だか後が怖いような気がした。
「ふふ、気にしなくても大丈夫ですよ。それは本人も自覚していますから」
「それにしても、無防備すぎませんか?」
「まあ屋敷の中だけですから……そういえば今はコムラ様がいましたね。あら危ない」
「危ないって……」
「なんて、冗談ですよ。お嬢様は貴方を信頼しているみたいですから」
それはそれで複雑だ。昨日会ったばかりなのに、何をどう信頼されているというのだろう。
「レティシアは、僕のことをどういう風に言っているんですか?」
「演劇のことしか考えていない、演劇バカだ、と」
「なるほど」
彼女にはそう見えるのか。いやまあ、否定できない部分は多々あるけれど。
「そうだ、レティシア様をお部屋に運ばなければいけませんね。行きましょうか」
そういって僕とクロエさんは部屋に向かって歩き出した。その途中で、僕はいくつかクロエさんに質問することにした。
「この屋敷って、あまり人は住んでないんですか?」
「ええ、レティシア様だけですね。あと住みこみで働いているのが私のみ。掃除や運転手などで人出が必要な場合は、その都度手配する形ですね。もちろん私も出来ますけれど」
「クロエさんはハウスメイドなんですか?」
「いえ、厳密にはアシスタント・ド・ディレクシオンです」
「え、えっと……?」
知らない単語が出てきた。ディレクシオンは方向とか方角の意味で、それを補佐する女性?
「スクレテールと言った方が分かりやすいですか?」
「ああ、秘書ですか」
聞いてみると日本でスチュワーデスをキャビンアテンダントと言い直すようになったのと同じで、秘書も言い換えるようになったらしい。
「えっと、だったら何でメイド服を着ていたんですか?」
「趣味です。だって可愛いじゃないですか、コムラ様もそう思いません?」
「まあ、思いますけど」
「ですよね! 日本人はメイドが大好き。私は知っています」
クロエさんはドヤ顔で胸を張った。それは大きな偏見だと思うけれど、訂正するのも難しい。実際にメイド喫茶とかは日本発祥なわけで、海外から見たらそういう印象を持たれても仕方ない。
「それにあのメイド服はレティシア様がデザインされたものですから、せっかくなら着て活用してあげたいですし」
「ファッションデザインまで出来るのか……」
僕より年下なのに一体どれだけの才能があるというのか。末恐ろしいというより、すでに今恐ろしい。
「……コムラ様は、本当にレティシア様のことを何もご存じないのですね」
「えっと、すみません。不勉強で」
「いえ、咎めているわけではありません。むしろ逆です」
「逆?」
「レティシア様に近づくのは汚らわしい人間ばかりでしたので、コムラ様みたいな人は珍しいのです」
それは褒められているのだろうか。まあでも、悪い印象を持たれている雰囲気ではないみたいだ。
才能目当てか金目当てか、どちらにせよそういう人間が集まってくるというのは、分からない話ではない。
「まあそういうわけで、レティシア様は警戒心が強く、信頼した人間以外には心を開かないので、皆さん最初は苦労されるのです」
「え、でも劇団では普通に……」
「あの劇団のメンバーは、以前からの知り合いしかいませんから」
僕が見る限り、レティシアは明るくて、誰とでも打ちとけることの出来るタイプの人間だったが、どうやらそれは誤りだったらしい。
まあそれこそ会って一日だ。クロエさんの言うとおり、僕は彼女のことを何も知らない。
「そんなレティシア様が、会ったばかりの貴方に心を開いている。これは、良い傾向だとは思いませんか?」
クロエさんは笑いながらそんなことを言う。
「良いか悪いかなんて、僕には判断できませんよ。僕の知っているレティシアは、会ったばかりの僕にでも心を開くレティシアだけなんですから」
「それもそうですね」
僕は少し意地の悪い言葉を返したけど、クロエさんはやはり、小さく笑うのだった。