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僕の立つ場所

 僕は早速劇団の練習に参加することになった。しかし困ったことに、僕はフランス語の読み書きがあまり得意ではなく、上演時間2時間におよぶ演劇の台本を、今この場で読むのは難しかった。


「私たちが練習している横で読んでもらう、というのもありだけど……」

「台本読みなら一人のときでも出来るだろ? それより今しか出来ないことをやろう」


 アンリさんのその言葉で、まずは僕の実力を知るためにスキットをやることになった。

 スキットというのは寸劇のことで、簡単な短い劇のことだ。今回は役柄と簡単な舞台設定だけを決めただけの即興劇。


 いきなり難易度が高い気もするけど、この劇団にいるような人間にとってはこれくらい出来て当然なのだろう。もちろん僕も日本の劇団で何度もやったことがあるし、こっちの学校でも経験がある。


 だから出来る。そう思って臨んだのだけど――。


「うーん。何というか……ビビッとこないわ」

「何だろうな。悪しざまに罵るような部分は見当たらず、かといって取り立てて褒める箇所も特にないという……」

「売れない俳優の典型ね」


 レティシアとアンリさんとモニカは三者三様、僕の演技に関して率直な感想を述べた。

 散々な評価だけれど、とりあえず彼女らの感想をまとめると――。


「――役者としての魅力に乏しい、と」

「おいおい、役者がそれを言うのは引退するときだぜ?」

「そうかしら? 自分の短所を理解するのは良いことよ。もちろん改善できるのならだけどね」


 アンリさんは虚勢でもいいから自信を持つことが肝心だと言い、モニカは虚勢を張って自分を騙すくらいなら短所を理解して改善に努めた方が良いと語る。

 二人とも役者の世界で成功しているから、どちらかの意見が間違っているという話ではなくて、きっとどちらも正しいのだと思う。


 成功への道筋は一つじゃない。問題はどのルートが自分に合っているのかだ。


「んー、分かった! タクトの即興劇は、即興じゃないのよ」

「即興じゃない?」

「そうね、そんな感じだわ」


 レティシアの言葉の意味が僕には分からなかったけど、モニカは同意を示す。即興劇なのに即興じゃないというのはどういうことだろう。


「タクトは、自分の役からセリフを作りだしてないのよ。Aと言われたらBと返すみたいに、あらかじめ自分の中に台本を用意してしまっている……分かる?」

「……うん、分かるよ」


 レティシアの指摘は、確かにその通りだった。僕は即興劇の中で、この人物ならこう返すと考えるのではなく、こう言われたらこう返すのが自然だろうと、人物ではなくセリフのやり取りを中心に考える癖がある。


 これは昔から自覚していたけれど、このやり方をするようになってから失敗が極端に減ったので、自分の中では正しいと思っていた。


「いやまあ、そういう演技で成功している奴もいるからな。映画方面だと特に。役作りはしない、ただ正確に台本をなぞるだけ。それどころか自分の出番以外の部分の台本は読まない、なんていう奴でさえトップスターになれる世界だ。だから俺たちはお前の方法論が間違っている、と言いたいわけじゃない。これはいいか?」

「えっと、その……」


 僕がアンリさんへの返答に困っていると、モニカが口を開いた。


「違うわ、アンリ。はっきり間違っていると言ってやるべきなのよ。少なくともそのやり方で、貴方はまだ何の実績も上げていないのでしょう?」


 確かにモニカの言うとおりだ。少なくともこのやり方は、僕に合ったやり方ではないのだと思う。

 そのやり方でも自分の魅力を発揮できる役者もいるのだろうけど、少なくとも僕はそうじゃないのだ。


「ところで貴方、芸歴は何年?」

「……10年」

「うわ、マジかよ。俺より長いじゃねぇか」

「そう……人生の半分以上を演劇に捧げて、まだそんなところにいるのね」

「ちょっとモニカ!」

「レティシアは少し黙っていなさい。……貴方、それだけの期間活動していたのなら、チケットを買った客の前でも演技をしたこともあるわよね?」

「……あるよ、何度も」

「だとしたら貴方は、とっくにプロの役者で、私たちとは対等な立場だって、そう自覚しているかしら?」

「それは……」


 少なくとも僕は、そんな風には考えられていなかった。確かに役者として、演技の対価に金銭を受け取った経験はあるけれど、それだけで生活出来るような額には遠く及ばない。

 そんなレベルの僕が、超一流の役者であるモニカたちと対等な立場だなんて、そんなことを言いだしたら傲慢でしかない。


「そう思えないのだったら、そもそも貴方には私たちと同じ舞台に立つ資格はないのよ」


 ざくりと、モニカの言葉が僕の心をえぐった。

 僕は決して軽い気持ちで今ここに立っているつもりはない。けれど、モニカたちと対等な役者であると、そう自分で信じ込めるほどの傲慢さは持ち合わせていなかった。


 つまりさっきアンリさんが言った、虚勢でもいいから自信を持てというのは、まさしく僕のこういった面に対してのアドバイスだったに違いない。


「……そろそろ私は時間ね。レティシア、次に役者が全員集まれるのはいつ?」

「3日後よ」

「そう。だったら貴方は3日後までにその台本を完璧に覚えた上で、もう少しマシな心構えでここに来なさい」

「……分かった」

「確かにその返事、聞いたわよ。……じゃあ最後に、私からアドバイス。貴方には、致命的にプロ意識が足りていないわ」


 ――プロ意識。

 なるほど、それは確かに僕が持ち合わせていないものだった。

 こんなレベルでプロを名乗るのは恥ずかしいことだと、ずっと心のどこかで思っていた。


 けれど、逆だった。

 僕はプロなのだから、こんなレベルでいることを恥ずかしいと思うべきなんだ。


 やはり忙しい立場なのだろう。モニカは練習場を少し慌てた様子で立ち去った。


「……タクト、ごめんね」

「……? レティシアがどうして謝るの?」

「私が無理やり連れてきた場所で、タクトに嫌な思いをさせてしまったから」

「ああ、そういう」


 確かに、全く嫌な思いをしなかったと言えば嘘になる。

 けれど、モニカが言ったことは何も間違っていない。


「モニカの言ったことは、別に気にしなくていいから」

「……いや、それは出来ないよ」

「え?」

「……あそこまで言われて、言ってもらって、何も気にしないなんて出来るはずがない」


 モニカは初対面の、それも彼女からしたら取るに足らないレベルの役者である僕に、あそこまで言ってくれたんだ。

 その言葉に応えなければならないと、僕は思う。


「まずはモニカに認めてもらう。そしてこんな僕に期待してくれたレティシアの目は正しかったのだと証明する。これは僕がプロの役者として、最低限果たさなければならない義務だ」

「ははっ、いいぜその意気だタクト。何よりも大事なのはそのやってやろうっていう強い意思なんだよ」

「……そうね。タクトがやる気だっていうなら、私も全力で指導するわ!」

「うん、よろしくお願いします」

「それじゃあさっそく、まずは感情解放の練習からね」


 レティシアがそう声をかけると、アンリさん以外にもいる役者さんたちが集まってきた。彼らもレティシアが集めただけあって、ハリウッド映画に出ていたり、普段から舞台公演で世界中を飛び回っているような人たちばかり。


 本当に、とんでもない場所だよなぁと、僕は静かに思う。

 けれど僕は、彼らと同じ立場の、プロの役者なのだ。

 そう名乗ることが恥ずかしいと思うなら、恥ずかしいと思わなくなるだけの実力を身につける以外に道はない。


 何故なら僕は、とっくの昔にプロの役者になっていたのだから。


ここまで読んでいただいてありがとうございます。

次は週末に上げる予定です。

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