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流されるままに行きつく先

「料理運んでくれ、一番奥の個室だ」

「了解です」


 僕は返事をして、料理を受け取りにいく。

 このレストランではみんなフランス語で会話をしている。まあここはパリの高級レストランだから当然だけど。


 それにしても一番奥の個室か……相当な上客でないと、そこには通さないはずだった。僕は8月から働き出して今は1月の末だけど、今までそこに客を通したのは僕の知る範囲では片手で数えられる程度しかない。


「あの部屋に通すお客さんは、珍しいですね」


 僕はシェフから料理を受け取りながら、軽く尋ねる。


「オーナーの娘さんだ。くれぐれも失礼のないようにな」


 なるほど。まあ普段通り接客すれば問題はないはずだ。僕が日本で培ってきた生真面目さと勤勉さは、とりあえずこの国では好評だった。

 そう思って料理を運んだのだけど――。


「貴方、名前は?」


 料理を並べ終わると、いきなりそう尋ねられた。見た目は僕より少し年下くらいの、小柄な金髪の美少女。フランスではここまで綺麗な金髪は珍しい。


 ここのオーナーの娘さんだという話だけれど、付き添いなどはなく一人で来店されたらしい。


「……タクトです。タクト・コムラ」

「ふーん……日本人?」

「そうです」


 日本人かと尋ねられて、僕は少しだけ嬉しかった。こっちでは十中八九中国人かと尋ねられる。まあ人口的に考えれば、その方が当たる確率はずっと高いのだから仕方ない話だ。


「どうしてこんなところでギャルソンなんてやってるの?」


 何だろう、ずいぶんと興味を持たれてしまったらしい。仕事中だし適当にはぐらかすことも出来るけど、それは失礼にあたるだろうか。

 僕は少しだけ考えて、正直に話すことにした。


「留学です。演劇の勉強のための」


 パリは芸術の都だ。オペラ座をはじめとして、有名な劇場も数多くある演劇の本場。半年だけの留学だったけど、僕はこの地で多くのことを学んだ。

 まあその留学期間も、あと少しで終わってしまうのだけれど。


「演劇……ふーん……」


 彼女は僕をじろじろと、それこそ品定めするように見ている。

 そうして一人で納得するようにしてから、僕に言った。


「うん、決めた。貴方、私の劇団に入りなさい!」


 ――これが僕の留学のラストを締めくくる、激動の三週間の始まりだった。






 たった一つの出来事。

 本当に些細なことで、当時幼い少年だった僕の価値観は根底から覆されてしまった。


 たとえばその日までの僕の将来の夢はスポーツ選手だった。心のどこかでなれないとは思っていても、なれたらいいのにな、くらいには思っていた。とはいえ子供の頃なんてそんなものだと思う。周囲が夢を持て、夢を語れと言うから、とりあえず言ってみただけの、そんな安い夢。


 けれどあの日、僕はとある舞台を見た。きっかけはよく覚えてはいない。確か母親に連れられて、半ば嫌々付き合っただけだったのだと思う。

 それでも僕は、気付くと舞台上で繰り広げられる物語に釘付けになっていた。


 ――本当に単純だと思う。その日以来、僕の夢は俳優になった。

 スポーツ選手が芸能人になっただけで、夢の無謀さ加減は全く変わっていないのだけれど。それでも僕の本気度合いは、大きく変わった。


 僕は小学校低学年のうちから、親を説得して劇団に所属させてもらった。中学までは普通の学校に通いながら劇団に所属しているだけだったけど、高校は演劇科のある私学を選んだ。幸い僕の家はそれなりに裕福で、親の理解もあってその選択が可能だった。


 けれど高校に通い始めて一年が経った頃、このままでは僕の夢は叶わないという、漠然とした不安が僕の中に生まれていた。


 ただ授業というカリキュラムをこなして、劇団の活動を平行しているだけではダメだ。何かを変えなければ、と。


 そんなある日、僕はこの学校に留学制度があることを知った。しかし留学といっても実質的には休学であり、単位が認められるわけではないので必然的に留年が確定するというものだった。

 だから利用する生徒はほとんどいない、ほとんど忘れ去られた制度。


 けれど僕は、「これだ」と思った。

 一学期の間に家族と先生を説得して手続きを済ませ、夏休み中に僕はパリへと渡った。

 日本では4月からだけど、パリの学校は9月から始まる。学生寮に入り、学校から紹介されたレストランでギャルソンとして働きだした。


 言葉は日本でもある程度勉強していたけど、やはり苦労した。それでも一月も経つ頃には問題なくなったように思う。

 演劇の表現を学ぼうというのに、言葉が分かりませんでは文字通り話にならないから必死だった。


 パリでの生活は全てが新鮮だった。それもそのはず、僕が留学した先は高校リセではなかったからだ。

 僕が留学したのは演劇学校という、大学とは違うけれどカテゴリーとしてはそれと同等のものだった。


 世界中から演劇を学ぶために人が集まり、合格率は2%とも言われるような学校に、まだ高校生で何の実績もない僕がどうして留学出来たのかは不思議に思うけれど、どうやら僕の高校の創設者に特別なコネクションがあったらしい。


 日本での授業は一般教科もカリキュラムに含まれるため座学が多かった。演劇の実践的な授業もあったけれど、画一化された理論に基づくテクニカルな内容が主だった。


 一方でパリでの授業はとにかく実践的。テクニカルな内容もあったけれど、こちらで重要視されるのは空間や距離感、あるいは間の取り方、呼吸やテンポといった感覚的な部分のダイナミズムだった。


 ちなみに数学なんかの一般教科は一切なし。座学があっても舞台装置や衣装にまつわるものばかり。これでは確かに日本の高校で単位は認められないなと、僕は納得した。


 そうして僕は9月から今日までみっちり演劇漬けの日々を過ごした。フランスの学校は2月の後半くらいに春休みが始まる。僕の留学期間はそこまでと決まっていた。




「うん、決めた。貴方、私の劇団に入りなさい!」


 だからそう言われて、まず僕は断ろうと思った。僕は長くてもあと3週間程度しかパリにいない。本場パリの劇団には興味はあるけれど、そんな短期間では迷惑をかけるだけになるからだ。


「申し訳ありませんが、僕はあと3週間で帰国します」

「3週間。ちょうどいいわ、本番まではいるのね」

「ちょうどいいって、あの――」

「貴方、話を通すから店長を呼んできて」

「え、あ、はい、かしこまりました」


 僕は断るつもりだったのに、彼女の勢いに流されるまま、店長を呼びにいくことになってしまった。どうしてこうなったんだろう。

 そうして店長を呼びに行き、店長と二人で彼女の元に戻る。


「タクトのスケジュールはどうなってる?」

「18日まで、ディナータイムはほぼ休みなく入ってます」

「それじゃあ駄目ね。……ということで店長、タクトは貰っていくわ」

「ベルクール家のお嬢様の頼みでは仕方ありませんね」

「え、あの、ちょっと。僕の意思は?」


 僕は抗議の声を上げたが、示し合わせたかのように二人には無視された。


「さあタクト。今から貴方は私たちの劇団の仲間よ。よろしくね!」

「え、えー…………」


 僕はその怒涛の展開に、ただ言葉を失うしかなかった。


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