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将棋道場の饅頭姫 その11

「あめ、陸翔があめとパチパチやってくれるってよ」

「うあーい! りくにぃ、あいがとーね!」


 あめは、僕がまだ名前を知らないじいさんのひざの上で、ニコニコ笑いながら両手を上げて万歳した。


「あめー、山本さんと遊んでもらってよかったなー」

「うん! やまもとしゃん、あめにパチパチのもんだいだしてくりぇたー」

「ああ、詰将棋か。山本さん、どうもありがと。じゃ、あめをこっちに返してくれよ」

「もうちょっといいじゃないか」

「だーめだめ、今度は陸翔の番なの!」


 琥珀はそんなことを言いながら、山本さんのひざからヒョイとあめを取り返した。


「りくにぃ、パチパチ、やろー。こんどはねえ、みーんなで、パチパチ、しゅるのー!」


 あめは大喜びで、自分の小さな両手をそれこそパチパチとうれしそうに打ちあわせた。


「待て待て、あめ、みんなでパチパチする前の、兄ちゃんとのお約束、あっただろー?」

「うー? ……あ! あったねえ」


 あめは大真面目な顔でこっくりうなずいた。


「みんなでパチパチするまえは、あめ、ちゃんと、ちっちにいきましゅ!」

「よし! じゃ、ちっち行こうなー。あめはもう、ちっちは一人で出来るもんなー」

「あーい! あめ、ひとりでちっちできりゅよ! おトイレ、こどもようのにしてくれたら、ひとりでできりゅよ!」

「そうだな、あめは偉いなー。じゃあ、おトイレを子供用にするのだけ、兄ちゃんがやってやろうなー」

「あーい!」


 おトイレを子供用にする、って、いったいなんのことかと思ったけど、あとで聞いてみたら要するに、洋式便座に子供用の便座をはめて、あめが上に登れるように踏み台をつけるってことだった。あめは、この将棋道場ではまさしくチビっ子アイドルみたいなものだったから、琥珀、っていうかあめの家族が自腹で買って持ってきた、子供用便座と踏み台セットを、喜んで道場の隅に置かせてくれていたんだ。


「――あのなー、陸翔」


 あめがトイレに入ったのを見届けてから、琥珀はゆっくりそう言いながら僕を見た。


「まあ、そこまで長引く前に、たぶんあめのほうがへばるか勝負がつくかしちまうと思うんだけど、でも、一応言っとくわ。あのな、俺、勝負の途中であめがもうトイレ我慢するの無理そうだと思ったら、その時勝負がどんないい局面になってても、そんなの無視してあめのことトイレに連れてくからな。……まあな、勝負師としちゃあ、俺の態度って完全に失格なんだろうけどな。でもな――俺、まだたった3歳のあめが、好きな男の子の前でおもらししてべそかくとこなんか見たかねえんだよ。あめは、俺の可愛い妹だからな」

「……ねえ」

「ん?」

「あめは、僕のことが好きなの?」

「はぁ? おいおい陸翔、おまえいつも何見てんだよ? あめはまだ3歳だし、その上、よく言えば素直で悪く言えば単純でポーッとした性格だぞ? そんなあめが、好きでもねえやつ相手に、あんなにうれしそうにニコニコできるもんかよ」

「でも――」

「でも?」

「でも、僕、別にあめに優しくしてやったこととか、ない」

「将棋の相手してくれてるだろ。あめにとっちゃ、それで十分なんだよ」

「……ふぅん。そう」


 その時の僕にはわからなかった。

 あめに好かれてるって言われてるのに、なんで僕が妙に不機嫌になってしまっているんだか。

 今の僕ならわかる。

 あの時の僕は、まるで僕が、あめにとっては将棋相手としての価値しかない、って言われたみたいに感じて、それで不機嫌になっていたんだ。

 でも、あの頃の僕には、それがわからなかった。


「……あのさ」

「なんだ?」

「別に、どうでもいいことなんだけどさ」

「どうかしたか?」

「えっと――琥珀さんも、瑪瑙さんも、翡翠さんも、みんな宝石の名前なのに、なんであめだけあめなの? なんで宝石の名前じゃないの?」

「え? いや、あめだって宝石の名前だぞ?」

「え? でも、僕、『あめ』なんていう宝石は知らないよ? そういう宝石があるの?」

「あ! あー、悪ぃ悪ぃ、『あめ』っていうのは最初の二文字なんだよ。あめは、『紫水晶アメジスト』から名前をとってるんだ。『アメジスト』の、『あめ』な。あめ、二月生まれだからな。だからそういう名前にしたんだ」

「え、そうなの!? えー、でも、それだったら、『紫』を名前の一文字に入れるとか、『水晶』から取って、『あきら』とか――」

「『紫』を名前の一文字に入れたのは、あめの姪の『紫穂しほ』だよ。『あきら』って名前はもう、俺の弟であめの兄貴の晶が使っちまってるしなー」

「え、ちょっとまって、姪ってなに姪って!?」

「姪は、姪だよ。俺の兄貴、っていうか、俺ら兄弟の一番上の玻璃兄貴は、結婚が早くてな。もう、あめと同じ年の娘がいるんだよ。兄弟の娘なんだから、あめにとっちゃ、つまりは姪だよなー」

「っていうか、あめにはいったい何人兄弟がいるの!?」

「え――ちょっと待て、俺も咄嗟に聞かれるとわかんねえんだ。えーっと……」


 と、琥珀はしばらく指を折りながら考え込んだ。


「ああ、わかった! 全部で13人だ!」

「あめが一番下?」

「いや、あめの下にもう一人、末の弟のこうがいる。ついでにいうと、おふくろは今、絶賛妊娠中だ」

「ギネスにでも挑戦する気!?」

「あー、うちの両親だったらやりかねない」


 琥珀は真顔でそんなことを言った。

 そんなタイミングで。


「ににー、あめ、ちっちできたあ!」


 あめが誇らしげに胸を張ってトイレから出てきた。一人でおしっこしただけであんなに誇らしげになることを許されるっていうのは、3歳児の特権だな、と僕は思った。


「よしよし、偉いぞあめ。御手手はちゃーんと洗ったか?」

「うん、あらったよー」

「よーし、あめはいい子だなー」


 琥珀はニコニコしながらあめを抱っこしていい子いい子した。その時の僕は、自分じゃ絶対に認めなかったけど、ほんというと、あめのことがうらやましかった。


「りくにぃ」

「え、なに?」

「りくにぃは、ちっちいかなくてだいじょうぶー?」

「僕はあめみたいなチビっ子じゃないから大丈夫!」

「そっかあ」


 あめはニコニコ笑いながらうんうんとうなずいた。


「じゃあ、りくにぃ、あめといっしょにパチパチやろう。みんなでやろう。みんなで、パチパチ!」

「いいよ。でも、あめが途中で疲れちゃったりトイレに行きたくなったりしたら、そこで一回やめるからね」

「……うん」


 あめは、びっくりしたように目をパチクリさせてジッと僕を見た。


「な――なんだよ、どうかしたの?」

「りくにぃ」


 あめは、本当に感心したような、本当にうれしそうな顔で僕を見た。


「りくにぃは、ほんとうにやさしいねえ。あめうれしかったよ。ありがとう、りくにぃ」

「べ――別に、これくらい、普通だし」


 僕はそんなことを言いながら、フイとそっぽを向いた。

 その時の僕は、たった3歳のチビ助が言ったことで自分が赤くなってしまっていることが、なんだかとっても恥ずかしくて、なんだかとっても、きまり悪かった。

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