~45.
「すみませんでした!」
目的地に着いて早々、俺は頭を下げることになった。その植木屋の前で待っていた和哉の横に、今日だけで二度見かけた『名も知らぬ人』がいたからだ。
「大丈夫だよ。工事は雨で中断しただけだ。雲行きからして、すぐ止むとは思ってなかったんだけどね」
半狂乱の俺が工事現場に立ち入ろうとしたのを静止し、その後ファミレスで俺のすぐ近くを通ったあの作業員だ。もっとも、思っていたような土木作業員ではなく、植木屋だったのだが。
特に顔に特徴があるわけでもない、おそらく五十歳前後のその中年男性。作業服の胸の刺繍には、会社名と苗字が記されていた。それを見て、この男性がこの『よしみ造園』の経営者であることを確信した。
「桜の木を植え替えたいだなんて、私にとってタイムリーな話題だった。とりあえず、中に入ろうか」
吉見さんに案内され、門の中に入った。自宅兼本社であろうその豪邸は、あのだだっ広い百瀬の家の敷地よりも遥かに広い庭を有していた。造園業を営むに相応しい、その緑溢れる庭を歩く。
広い玄関から綺麗な廊下を通り、和室に案内された。十畳ほどの、床の間のある客室。
「どうぞ、そこに掛けて」
「あ、はい」
綺麗なその和室。新しい畳の香りがする。高そうな座布団に腰掛けるのは少々気が引けたが、和哉が堂々と座る様を見てそれに続いた。
「今お茶を持ってくるよ」
そう言い残して部屋を出る吉見さんを見送ってから、和哉に尋ねた。
「和哉、お前どこまで話した?」
「現実的に信じてもらえそうなところまで」
「もっと詳しく」
「友達が桜の木を植え替えたいと言っているが、知識がない。そこまで言うたら公園の話までトントンと進んで、今朝奇妙な少年を見たっちゅうもんだから、それ俺の友達ですて」
「なるほど」
わかってはいたが、やはり『奇妙な少年』と思われていたか。いや、逆の立場ならば俺はきっと『頭のおかしな少年』と言ってしまっていただろう。
間もなく吉見さんが戻り、対面に腰掛けた。そしてお茶を淹れながら話し始めた。
「あの桜の木、小さいと思わなかったかい?」
「はい……」
周りの木と比べても、樹齢を考慮してもそうだったと思うが、知識が乏しい俺には、感想を述べることしか出来ない。
--とても良い香りのするお茶だ。普段あまり飲むことのない暖かい緑茶。一口飲むと、知識のない俺でもそれが高価なものであることがわかった。
「あの公園の桜の木はね、半分ほどが病にかかっていたんだ」
「……病ですか」
「ああ、主に土が原因なんだけどね」
知らなかった。毎年毎年、綺麗な花を咲かせるあの木々が、健康でないだなんて考えたこともなかった。
「詳しくは専門的な話になってしまうから割愛しよう。病気に罹ったのはおそらくここ1年ほどの事だと思う。現場の下見であの公園の桜の木々を初めて見たときに気が付いた」
「例えば、それはもう切り倒さなアカンくらいの進行具合やったんですか?」
「いや。病気の進行具合を問わず、住宅街の建設に伴って木を全て除去することはもう決まっていたんだ」
仕方がない。百瀬が言っていたように、それが必然なら。吉見さんは急須を置き、茶碗を持って話を続けた。
「勿体無いと思った。私も樹木が好きでこの仕事を始めたからね。なんとか木々を生かす方法を考えたよ。だが、全てを植え替えるには人手、資金が必要で、依頼された作業との並行が極めて困難と判断したんだ」
淡々と語る吉見さんの瞳に、何か物憂げなものを感じた。
「全て除去するという依頼を受けること。自分の中で納得させたのが、さっき言った病気だった。いずれ木が枯れてしまうならばと、そう考えてしまった。私も社員を雇っている身として、自分の感情だけでなく、社員の為に仕事を受けなければならないし、それが嫌とも思っていない」
高校生の俺たちには、その責任というものがまだ理屈でしかわからない。だが、自分の父親や母親が、そういったものを持っていたからこそ、今自分がここにいるのだろうと思う。
「作業が始まった頃、私はあることに気が付いた。他の木々と比べて小さな木があることに。幹を見て、それがここ数年で植えられたものではないことはすぐにわかった。何故、このソメイヨシノだけが小さいのだろうと。理由は簡単だった。ここ数年でないとは言え、その木は後から植えられたものだった。徐々に土の状態が悪くなっていったことが病気の原因として、他の木々は健康な土で育った時間が長い」
「途中で成長が止まってしまったんでしょうか?」
「おそらくね。他の木々のように大きく成長するには、少々環境が悪かったのかもしれない。大きな木と木の間にあったことなんかも原因のひとつだったと私は予測している」
大きな木と木の間。小さなソメイヨシノが百瀬で、その大きな木はもしかしたら百瀬の両親なのかもしれないな。本当のことは何もわからないけど。
「そのソメイヨシノは、健康だった。小さいながらも。そして私は思ったよ。この木ひとつならば、私自身の力で植え替えることが出来ると」
「……それで、今日まで残っていたんですね。あの木だけ」
「そうだ。私は一人の植木屋として、あの大きくなりきれてないソメイヨシノを、他の木々のように美しく、大きくしたいと思った。寿命の何分の一しか生きられず、本来の成長すら出来ないなんてあまりにも可哀想だ。あの公園の木々を全て植え替えることができなかったことは、申し訳ないと思っている。今朝の君を見て、心が痛んだ」
「いえ……。すみません。何も知らなかったのに……」
心が痛んだという言葉を聞くと、こちらも心が痛む。何も好きで木を除去するわけではないということを、今初めて考えた。
「いいんだよ。僕も君の願いを聞いて、独断で一つの木を保護したことが間違っていなかったと思えた。僕の考えていることを知らない人が、僕と同じ想いをあの木に馳せていた。そう考えたら、とても嬉しかったよ」
吉見さんはニコニコしながらそう言った。そこに至る経緯が違ったとしても、結論としてあの木をどこかに植え替えることを考えたのは、俺と同じ。偶然、必然なんてどちらでもいい。ただ俺の願いが叶うかもしれないというこの事実だけは、間違いなくここにあったのだ。




