~38.
公園がなくなると知ったあの日、百瀬が流した涙の意味。百瀬の親族の不幸。百瀬自身の異変や、ここ最近のおかしな言動。自主製作の映画のテーマ。そして今、目の前で顔を真っ青にして倒れている百瀬。
バカみたいな話だが、全て結びついてしまった。半信半疑、いや、実に9割方が『疑』でしかない。それでも残りの『信』に心が傾いてしまう辺り、俺は正常でないのかもしれない。
「あかん! 顔真っ青や! 先生、保健室連れてきます!」
どよめき、ざわつき。創作の世界でしか見たことのない様な状況が空気を変えた。その淀んだ空気の中で、おそらく驚いた顔をしているであろう俺の脳内は悪い意味で晴れていく。解きたくもない謎が解けてしまう。
教室にいる人間が慌てふためく中、和哉は冷静に迅速に対応に出ている。
「夏樹、行くで!」
--俺も行く。どこに? 何をしに?
「何ボーっとしてんねん! おいてくで!」
俺はボーっとしていた。言われてみればそうかもしれない。でも違う。この場で俺が取るべきと思われる行動は、俺にしかわからないのだから。
「和哉。ちょっと百瀬任せた」
「はぁ!? アホかお前!」
『アホかお前』。既に足を踏み出していた俺に、その次に続く言葉は聞き取れなかった。悪い。行かなくてはいけない場所があるんだ。
教室を飛び出て階段を駆け降りる。廊下は走るななんてケチなこと言うな。今それどころじゃないんだ。
走る。とにかく走る。狂ったように走る。短距離走はいつも一着。俺の脚はなまってない。長距離になればまた話は別だが、自らの足で走るのはすぐそこまで。濡れる。雨に打たれる。駐輪場が見える。鍵を取り出す。自転車にまたがる。ペダルを漕ぐ。漕ぐ。
一心不乱。なんて状態とは違う。駆け巡る。脳内に駆け巡る。頭の中はまだ整理されていない。それでも行く。
ただ一つだけ、一つだけ疑いながら。信じてない。まだ信じていない。
--百瀬さくらが、あの公園の『ソメイヨシノ』だということを。
考えてみろよ。そんな非現実的なことがあってたまるか。現実にありえないから非現実的、ファンタジー。ここは夢の国でも小説の世界でもない。
それでも、それでもこんな答えが出てしまった。俺は頭がおかしいのかもしれない。でも全てそれで繋がったんだ。
昔からあるあの桜の木々が無くなると知ると、いつもよりも酷く泣いた。誰かに何かを残すかのように、映画を製作すると言いだした。テーマを自分で決めた。桜の木が刈り倒されると、両親が死んだ。工事が進むうちに、親族が死んだ。俺と同い年の、残されたソメイヨシノは寂しさに震えた。涙を流した。終わりを匂わせた。
普段の会話からくみ取れなかったのは当たり前だ。根本的に馬鹿げてる。
--でも、もしその馬鹿げた話が現実なら。現実だとして俺が何もしなかったら。全部消えてなくなってしまう。18年間一緒だった幼馴染が、ずっと好きだった幼馴染が、目の前からいなくなってしまう。
ペダルを漕ぐ足に疲れを感じる暇なんかない。学校から近くも遠くもない位置にあるお花見公園まで、数十メートル。こんな日に雨なんか降りやがって。恨めるなら恨みたい。
遠目に見える工事現場。降り注ぐ雨に工事を急いでいるのだろう。なにやらざわついている。
雨が大粒に変わる。目的地を目の前にして焦ったのか、滑った足がペダルを踏み外す。バランスを崩す。転ぶ。
湿ったアスファルトに打ちつけられる。カッコ悪い。でも痛くない。痛がってる場合じゃない。
「おいおい! 大丈夫か!?」
現場の監督らしき人がこちらに気付く。大丈夫じゃないかもしれない。でもそれどころじゃない。 切らした息を混じらせ、出来る限り大きな声を出す。
「桜の……桜の木は!?」
「桜? もうすぐ終わるところだが……」
「切らないでください!」
「え?」
--いい迷惑。わかってる。誰から見ても俺は気が狂ってる。
「ずっと一緒だったんです! 物心ついたときから! 一番古い記憶から!」
「ちょっと君! どうしたんだ!」
「いなくなったら困るんです! まだ……まだ俺は何もできてない!」
「落ち着いて! 足も怪我しているぞ!」
工事を中断させようなんて思っているわけじゃない。でも、あの木を切らないで欲しい。迷惑かけたいわけじゃない、邪魔したい訳じゃない。
「やっと気付いたんです! 俺、馬鹿だから!」
「ちょっと! そっちは危ないぞ!!」
現場に張り巡らされたネットにしがみつく。ネット越しに見えるただの機械が、何故こんなにも憎く思えるのだろう。
「何もしなければ60年は生きられる! まだ時間があると思ってた! ずっと一緒だと思ってた!」
「おい誰か! 警察と救急車呼べ!!」
「大事なんだよ! いなくなったらどうすんだよ! これから強くなって、でかくなって、それから伝えようと思ってたんだよ!」
目から零れた雫は、額から垂れた雨粒ではなかった。現場の人に取り押さえられながら意味のわからないことを叫ぶ俺は、傍から見たら異常。自分でもそう思う。でも、叫ぶことを止められなかった。
後回しにして言わなかった事や、これから整理して伝えようとしていた事
や、何かに臆して閉じ込めていた事が、もう既に始まってしまった後悔として膨れ上がり、到底それが収まらないちっぽけな俺の胸を引き裂いて、言葉を経由して放出されていく。痛い。苦しい。
最後はもう声帯と意識が噛み合わず、声に出すことが辛く苦しかった。昨日の夜、百瀬が言った『死んでしまう』という言葉が嘘ではないと思った自分がいながらも、何故俺は更に深く掘り下げなかったのだろうか。その結果が、百瀬の両親が死んだあの日に想定した『更なる悲劇』をここで生んでしまうかもしれない。
「お願いです! お願いですから……」
その桜の木を、切らないでください。




