~37.
いつもならまだ睡魔と闘っている一限の授業。今日は目の前の不安との闘いを強いられている。顔色の悪い百瀬を見て、たまたま体調が悪いだけだと思えない自分が疑問で仕方がない。
教師の話も上の空、というのはいつものことなのだが、いつもと違って頭は別のところで働いている。
「夏樹? 何か考えごとしてる?」
そんなにもわかりやすい顔をしていただろうか。俺自身の変化にすぐに気付いた百瀬だが、当人の異変の方が気になって仕方がない。ただ、それが確信に変わり切らない今はまだ、言葉にできない。
「別に。ただ眠いだけだ」
「珍しく早起きしたもんね」
『授業中の私語は厳禁』なんてものは建前であって、教師も躍起になって注意したりはしない。時期的な問題で密度が低くなった教室ということもあり、更に多めに見てくれている気もする。
そんな教師の寛大さに甘えて、俺は今朝見た風景を思い出して百瀬との会話を続けた。
「お花見公園、今日で一段落つくらしいぞ」
「……そっか」
「最後にあそこの遊具見たのいつだっけな。桜の木も今日で全部なくなっちまうのか」
「……」
悲しさを隠すような笑顔を、百瀬は無言で造った。ただ思い出の場所がなくなるというだけ、と考えていた俺も、コイツを見ていると考えが変わってきてしまう。
「いざなくなるってなると、案外悲しいもんだよな」
「……私は、相当悲しいかな」
「大泣きしたくらいだ。それはわかってる」
「色々なものと別れる。それが悲しくてしょうがなくてね」
「人が少ない教室見ると、卒業とか実感するよな」
「……」
やっぱり何かおかしい。様子がおかしいだとか、顔色が悪いだとか、そんな言葉じゃ括れない何か。悪寒とでもいうのだろうか。感じたことのない、青白い気配。昨日の晩の言葉が頭をよぎったりもした。
前の席では誰かさんの頭がこくりこくりと上下している。今まさに格闘中というところだ。きっといつものこの時間帯の俺はあのような状態なのだろう。
「でも、最後に映画作れてよかった。あの映画を通して私が伝えたかったこと、きっと皆に伝わったよね」
「少なくとも俺には伝わった。原稿書いてる段階でな」
「ふふ。ならよかった」
映画製作中に百瀬が言った言葉を思い出す。突然訪れた身内の不幸が重なったときのことも思い出す。
--命は、限られている。限られているからこそ精一杯生きて、綺麗に花を咲かせようと努力する。しなければならない。
人だけではない。哺乳類、爬虫類、昆虫、植物、人工的に造られた物ですら寿命があって、寿命まで役割や目的を果たす。
ボールに宿った親友が、人の姿で果たしたかったあの想い。人の夢。映像になって改めて感じさせられたこと。再び見ずとも思い返せるものだ。
「きっとまた会える。大切なもの、大切な人に」
「……そうだな」
「私は、もう大丈夫」
「……」
--百瀬の両親が亡くなった日の事、映画の原案、取り壊される思い出の場所、偶然が連なる必然、寿命、病気、ソメイヨシノの生い立ち、百瀬の叔母さんの死、行われなかった葬儀、物に宿る命。
俺の脳は不安に押しつぶされて正常に機能しなくなったようだ。不安の原因を探していただけなのだが、この約半年の間に起こった出来事が、俺の大好きな『活字で描く物語』によくある伏線の回収のように繋がっていき、現実では到底考えられない答えに辿りついてしまった。
でも何故だろう。現実的ではないこの答えが一番しっくりときてしまった。ありえない。ありえるはずがない。それでも記憶を遡行して行きついたこの答えを否定できない。否定ができないのに信じることもできない。俺は一体何を考えているんだろう。現実に起こりえる物事に対する仮説というものは、想像の中で創造された『妄想』と混同できるはずがないのに。
気付けば空はいつの間にか泣きだし、地面を湿らせている。傘のない帰り道の不安を感じないのは、やはり今の俺の思考に異常があるからなのか。
--百瀬、違うよな。そんな馬鹿なことがあってたまるかよ。三次元の世界で出してはいけない答えを出してしまった俺に、笑いながら馬鹿だと言ってくれたら、それだけで済む話だ。
俺は俺自身の出した答えを口にすることができない。当たり前だ。自分でも信じたくないのだから。それが本当の答えだったとしても、俺はどんな顔をすればいいのかわからない。
一時限目はもう終わる。自分自身に怯えながら、チョークが黒板をこする音と、時計の針の音を聞く。ヒトの声帯から発せられる音は俺に留まらない。右から左へ、前から後ろへと流れていく。
半規則的なその音を遮ったのは、人間が床に崩れ落ちる音と映像だった。
さっきまで机に向かっていたその華奢な身体が、床に横たわった。すぐ隣の席で起きたその出来事は、俺が思い描いた『妄想という名の仮説』を正答に近付けてしまった。
教室がどよめき、教師がチョークを止める。前の席で居眠りをしていた親友は飛び起き、声をあげた。
「さくら!おい大丈夫か!?」




