~35.
ふと目が覚めた。直前まで夢を見ていたはずなのだが、何の夢だったかがもう思い出せない。レム睡眠というのはどうやら起床前後の人間の心を弄ぶのが趣味のとんでもない奴らしい。目覚めは良いものの、なんだかスッキリとしない。
カーテンから差し込む淡い光が来る朝を知らせていた。いつもならまだ寝ている時間で、この20分後くらいに百瀬からモーニングコールが来たり、母親に叩き起こされたりするのだが、今日はどうやら体内のアラームが狂っていたらしい。
冬の朝は非常に辛い。夏の夜も寝苦しいものだが、寝てしまえばこちらのもの。しかし、朝はそうはいかない。数時間後には学校の机という第2の寝床で転寝するという予定がある以上、ベッドから出ないという選択肢はないのだ。
このまま毛布にくるまっていても起き辛くなるだけだと思い、少し早い朝の支度にとりかかることにした。
冷たい水で顔を洗うと、昨晩のことを思い出した。百瀬の泣き顔、身内の訃報、そして百瀬の口からはっきりと伝えられた言葉。夢と違ってしっかりと覚えている。
--これからは、俺が百瀬を守らなくちゃいけない。昨夜ベッドの中で自分に言い聞かせた言葉。他人の耳に届くほどの大きな声では言えないその言葉は、自分の胸にはしっかりと刻まれている。
己の弱さを実感できたことは、これから先の自分の行動に影響していくだろう。克服すべき点を綺麗に掃除出来たら、今度はきっと百瀬の手を握ってやれる。気持ちを伝えられる。
つけ過ぎた歯磨き粉のおかげで更に目が覚め、普段しないようなことをしてみようと思い立った。
機種変更の時期が近付いた傷だらけの携帯電話を手に取り、朝一番の声を幼馴染に聞かせることに。鼓膜に伝わる呼び出し音は、何故かいつもよりワンテンポ程早く感じられた。
『……もしもぉし』
「おはよう。朝だぞ。どうだ、俺に起こされる気分は」
『うーん……眠い』
「まぁそりゃそうだけど……」
寝ぼけ眼の百瀬を想像してみると、何か胸の中がこそばゆい。緊張とも傷心とも違う、少し口元が緩むようなくすぐったさ。
しばらく百瀬の半寝言状態に付き合い、目が覚めたと判断できたので通話を終えた。モーニングコールを『する方』というのも案外悪くないかもしれない。
冬でも薄いお気に入りの寝巻を脱ぎ捨て、制服に着替える。いつもなら文字通り脱ぎ捨てるだけのスウェットを綺麗に畳んでみたのは気まぐれだ。
二階からの足音で目が覚めたらしい母親は、珍しく早起きな息子を少し驚いた目で見た後、一声かけて洗面台に向かっていった。
リビングの電気を点け、テレビとストーブも点ける。蛍光灯の光とアナウンサーの声があると、なんだか更に部屋が暖かくなるような気がする。
既に制服に着替えてしまった俺は、なんとなく落ち着かないのでとりあえず新聞を取りに行くことにした。
玄関のドア1枚を超えた先はまさに別世界、というわけではないが、室内とはかなり温度差がある。竪穴式住居や茅葺屋根で生活していた昔の人は、この感覚を味わうことができたのだろうか。生まれた時から暖かい家で育っている時代の俺はその気温差が心地よいとは感じられないので、インク紙を手にとってすぐさま出てきた場所へと戻る。
リビングのテーブルに新聞紙を置いたときに一枚のコピー紙がちらりと顔を見せた。昔からずっと同じ新聞をとっている我が家だが、このようなチラシを混ぜられたことはおそらくない。
裏に文字が印刷されたその見慣れない紙を見ると、昨日の日付が記されている。昨晩にポストに入れられたものだと察すると、今度は内容に目が行った。
『明日、5丁目児童公園の整備作業が終了します。追って建築関係者が現場入りとなりますのでもうしばらくのご迷惑をご了承ください』
あぁ、お花見公園のことか。整備終了ということは、今日で桜の木も完全になくなってしまうわけだ。
そう考えると何故だろう。もう一度あのソメイヨシノの開花した姿を見ておきたかったと思ってしまう。あと何年かすれば、その風景がぼやけた記憶になってしまうかもしれないのに。
ニュースを見ながら朝食をとる。いつもなら急いで食べたり、時間に余裕がなくて食べられなかったりするのだが、今日はゆっくりと食べても時間に余裕が出来るくらいだ。
髪型を適当にセットし、時計を見てもまだ時間がある。今日は少し早く学校に行くとしよう。制服姿で家にいてもなんだかそわそわする。
部屋に戻ってマフラーと鞄を手に取り、家族に一声かけて玄関を出る。結露で湿った自転車のサドルを雑巾で軽く拭き、自転車の鍵を開けて家を背にペダルを漕いだ。
コンビニにでも適当に寄り道して、いつもより少し早く着くようにしよう。
早起きは三文の徳。三文なんてちっぽけな金額だと言ってしまえばそれまでだが、今のこの何とも言えない良い気分はそれこそ金に換えられるものではないだろう。
毎朝早起きをするわけでもない俺の珍しい早起きには、誰にも価値はつけられない、だなんて偉そうなことを考えながらハンドルを握った手は、冬の寒風を受けてかじかんでいった。




