~34.
こいつはきっと、放っておいたらずんずんと落ちていく。そう思えば思う程帰りづらくなり、気付けば深夜になってしまっていた。明日も学校がある。帰らねばならぬのだが帰ってはいけない。誰でもいい、そんな全てが矛盾するようなこの状態を打破する術を授けてくれないか。
「もうこんな時間か……。ごめんね夏樹」
「別に。ちょっとは元気でたか?」
「うん。そこそこみなぎってきた」
「もうマイナス思考は終わりだ。明日は学校。明るい笑顔で学校に来い」
なんというか、言葉が見つからないんだよな。ボキャブラリーがあっても、キャパシティがない。我が脳に眠る数多くの言葉は、自信が使うには分不相応という意味でまだ実用的な語彙力と化していない。
状況判断能力にもやや問題が感じられるのは気のせいではないだろう。明日のこと、親への言い訳、これからの睡眠時間。今この時点で積もっている問題は早急に対処しなくてはいけないものばかりなのだが。
「夏樹、そろそろ帰らなくちゃね」
「そうだな」
「私さ……」
「何だ?」
「夏樹のこと好きなの」
「……そうか」
その言葉は初めて聞いたはずなのに、何度も耳にしていた気がする。心のどこかで、きっとわかっていた。百瀬は俺のことが好きだから、絶対離れることなんかないって、そう思ってたのかもしれない。
俺は自分から距離を縮めようとすることもなく、その安心感に頼りっきりで、いつしか当たり前になっていたその存在に、甘えていただけだった。
「明日、ちゃんと学校来れるか?」
「うん。もう決めた」
「……何を?」
「怖がらない。恐れない」
「同じ意味じゃねぇか」
「だから二回言ったの」
「そうか」
百瀬の顔には涙の跡が残っていて、大きな瞳はウサギのように真っ赤に染まっている。薄いメイクでも、泣けば崩れるんだよな。人前ではおそらく見せられないようなぐしゃぐしゃな顔で、百瀬は煌びやかに微笑んだ。
--帰っても、大丈夫そうだな。今日百瀬と会っておいてよかった。俺の気持ちとしても、百瀬の心境的にも良い効果があったはずだ。
「じゃあまた明日な。モーニングコールしてくれても構わないぞ」
「しょうがないなぁ。寝坊したら怒るからね」
「お前こそな」
異常に遅くなった帰宅の時間がやってきた。親になんて言い訳したらいいのだろう等と考えながら、初めて来た家の玄関で初めて靴を履く。そして初めて「おじゃましました」と言いながら、初めてそこで幼馴染に手を振った。
それにしても、寒い。この時期の夜ってのは本当に油断のならないものなんだよな。昼間が暖かければ暖かいほど、夜の寒さが厳しい。うっかり薄着で外出しようものなら、それこそ日が暮れる前に帰った方が身の為だ。
そしてこの自転車。こんなもんで風を切りながら、しかも急いで帰るとなるともはや拷問。『自然の厳しさ』とは少し違うと思うが、数週間前の汗かく日々のことを思い出すと時の流れを感じざるを得ない。
--俺は、いつアイツに素直になれるんだろう。体が寒いからか、サムいことばっかり考えてしまう。というか、アイツよく俺に好きとか言えたな、すげえ。
自分が臆病者だということを、実感させられた気がする。俺は結局何も言えなかった。『言わなかった』じゃなくて『言えなかった』。自分の気持ちを疑ったわけでもなくて、ましてや百瀬の言葉を疑ったわけでもない。
ただ、弱い自分が嫌なんだ。アイツの言葉に余裕な顔でオウム返し出来ない自分が、嫌で嫌でたまらない。すっと言葉が出ないってわかった時点で、俺にはまだ言えないと思った。
でも、焦る必要なんかない。幸い大学も一緒になれそうだし、まだ時間はたくさんある。だからまだ死なれちゃ困るし、伝えた後も死んで欲しくない。ていうか、好きな人が死ぬって考えられないだろ、普通は。
百瀬は病気でもなければ、自分の未来がわかる予知能力者でもない。もし俺も百瀬と同じように、次々と身内が不幸に見舞われる災難にあったとしたらきっと、次は自分の番だと考えてしまうかもしれない。追い詰められた精神状態ならば尚更の事。
割と長い道のりが苦に感じなかったのは、頭が高回転で稼働していたからだろう。寒さには苦しめられたものの、気が付くともう自宅の前にいた。自転車を停め、既に明かりの消えた我が家へと帰りついた。
部屋に戻り、ベッドに倒れ込む。異常に疲れたと感じるのは気のせいじゃない。精神的にも、思考的にも、肉体的にも疲労している。満身創痍とはこのことか。少し違うな。
まだ冷たい布団に顔を埋めながら、疲れ切った脳でまた百瀬のことを考える。
--あいつ、大丈夫かな。普通に帰って来てしまったのだが、今になってまた不安になる。自分が死ぬとか、急にそんなこと言いだすもんだから驚きを越えて怖くなったじゃねぇか。
でもまぁ、死なせない。公園が無くなろうと、百瀬の家族がいなくなろうと、きっといつか俺が全て空いた隙間を埋めてやる。
焦る気持ちをごまかす為に、根拠もない自信で自分を励ましてみる。でもこれが案外悪くないもので、良い意味でごまかしが利いている。ほんの少しではあるけれど、勇気というものが自分の中に生まれてきたような気がした。
好きなものは好きと胸張って言う。そんな自分を手に入れるのも、遠い未来の話じゃないさ。時間が経てば、あの『賭け』が無効になったことを言い訳にしても許されるだろうか。許してほしい。
次第に、まぶたが重くなってきた。




