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~33.

 百瀬の伯母さんの家は、出発点の駅から遠いとも近いとも言い難い距離にある大きめの分譲マンション。百瀬が引き取られるまで1人でこの家に住んでいたというのだから、伯母さんはよっぽど稼いでいるのだろう。


「じゃあまた明日な」

「え、まだ時間あるしいいじゃん。上がっていきなよ」

「いや、伯母さんに悪いし」

「大丈夫、今いないから」


 今その場にいないと言えど、百瀬の判断で勝手に家に上げていいのだろうか。そんな疑問もあったのだが、まだ会ったことのない百瀬の伯母さんに挨拶だけでもしておきたいと思った俺は、とりあえず伯母さんが帰るまで休憩を含めてお邪魔することに決めた。


 広くて綺麗なエレベーターで5階まで上がる。色々な意味で鼓動が大きくなっているが、持ち前の微妙な表情で覆い隠した。

 気付くと部屋の前に着き、百瀬が鍵を開ける。他人の家のドアの向こうの匂いというものは、嗅ぎ慣れなれていないからかムズムズする。


「なんか悪いな」

「いいの。夏樹も疲れただろうし」

「百瀬もお疲れ。試験、パスしてるといいな」

「うん。落ちたときの為に勉強しないと」

「さすが。堅実的だな」


 見慣れない部屋に少し緊張していた俺に、百瀬が紅茶を出してくれた。座り心地の良いソファとの相乗効果で気分が少し落ち着き、百瀬との他愛もない話ですっかり緊張が解けた。

 他人の家、しかも家主不在で落ち着いてしまうというのも申し訳ないのだが、その点については百瀬に責任を押し付けておく。幼馴染という割と大きな特権が効力を示すだろうと自分に言い聞かせながら。


 くだらないバラエティ番組で馬鹿笑いする百瀬を見ると、今日まで試験に対する緊張が張り詰めていたんだろうと受け取れる。夏にも色々あったせいで相当参ってたはずなのに、しっかりとやるべきことをこなしてきた百瀬。俺自身、もっとコイツを見習いたい。


 しばらくすると時刻はそこそこ遅い時間に。伯母さんはまだ帰ってきていない。さすがにこの時間まで働いているとは考えにくいので、百瀬に問う。


「なぁ、伯母さん何時に帰ってくるんだ?」

「だから、いないんだって」

「いないったってずっといない訳じゃないだろうに」

「ううん。ずっといない」

「……え?」


 百瀬の顔はもう笑っていない。というより、顔色が悪い。さっきまではこんな顔していなかったのに。


「どういう意味だよ。ずっといないって……」

「伯母さん、ちょっと前に死んじゃったの」

「……マジかよ」

「うん。でも、わかってた」

「……病気だったのか?」

「そうなの。でも、寿命に近いものかな」


 百瀬の言葉の意味がよくわからない。伯母さんは確か百瀬のお母さんと同じくらいの年齢と聞いた気がする。その現役バリバリの伯母さんが寿命? そんな馬鹿な話があるか。


「私の家族が段々と消えていく。いきなりだけど、徐々になくなっていくの」

「……お前大丈夫か? 言ってることおかしいぞ」

「全然大丈夫だよ。だから安心して聞いて」

「……何かあるのか?」

「私も、もうすぐ死ぬんだ」


 ――一体何を言っているんだ。死ぬ? もうすぐ? そんな話があるか。


「おいおい。からかうなよ」

「からかってなんかないよ。本当のことなの」

「本当だったら安心して聞けるかよ!」


 何故だろう。今百瀬が言っていることが、嘘に聞こえない。真剣な表情とはまた少し違う、哀しそうな顔。今にも泣きだしそうなのを、微笑むことでこらえたような顔。これまで、何度も見てきたその表情は、冗談を言うときのものではない。俺にはわかる。


「今年の春からそんな予感がしててね、お母さんとお父さんが死んだときに、やっぱりそうなんだって思ったの。私の身の周りの人が死ぬってことは、私も死ぬ。最後に残ったのは偶然なの」

「百瀬、おかしいって! どうしたんだよ急に!」

「だから……だから、最後に何かしたくて……映画作って……」


 こらえきれずに肩を震わせながら涙を零す百瀬。唐突な上に、言っていることが滅茶苦茶だ。でも何故か、その言葉に嘘とか冗談とか、そういったものが何一つ感じられない。少なくとも百瀬が本気でそう思っているということが伝わってくる。


「……何も……何もなければ60年以上は生きられる……でも……何かあるときもあるんだよね……」

「……」

「足りないよ……! まだ……全部やりきってないよ……」


 映画という目標、受験という壁、家族という心の家。百瀬の心を強く支えていたであろうものが、一つ一つなくなっていく。何かがあれば立っていられる百瀬の心の強さも、重い現実にのしかかられてへし折られていく。

 きっと、相当追い詰められていた。やるべきことをしっかりやっていたのも、未来を見失わないようにする為の方法だったんだ。


「百瀬……もっと泣いとけ」

「泣いたって……泣いたって意味ないのに……」

「悲しいときは泣くもんだ。どうせ俺の前以外で泣かないんだから、俺がいるときに泣いとけばいい」

「夏樹……」


 ずっと傍にいるとか、俺が支えてやるとか、そんな強い言葉を言う資格は俺にはない。だからこんなことしか言えないけれど、どうか許して欲しい。

 泣きじゃくる百瀬を前に、俺はこみ上げる涙を殺した。情けなさ、申し訳なさ、悲しさ。百瀬の辛い顔を見ると、俺も辛くなるんだ。


「……夢……まだ叶えてないよ……叶えられないよ……」

「叶えられるさ。百瀬は強いんだから」

「……夏樹も……強くならなくちゃ……」

「……そうだな」

「……いっぱい小説書いて……本出して……ちゃんと夢叶えるんだよ?」

「……」


 ――何も言えない。小説書くのはもう止めたから、なんて言えない。でも、百瀬のその言葉に、偽りの言葉を返したくない。だから、何も言わない。情けないかもしれないけど、俺は決めたから。自分の意思で決めたんだ。


「……好きなものは好きって言って……堂々と胸張ってたっていいの……私は弱いから……最後までできそうにないの……」

「馬鹿なこと言うなよ。明日が来る、明後日も来る。諦めることなんかない」

「……もっと……勇気があれば……」


 勇気がないなんて、それ俺のことじゃないか……。自分の好きなものに、胸張って好きだって言えない。

 理屈こいて、強がって、逃げて、それも正当化して。でも結局弱くて、臆病で、ひねくれてるだけで。現実見るとか夢追うとか、そういうことに本気になれない、立ち向かえない。


 ――俺、百瀬のこと好きなんだよ。堂々と言えないけど、本気で好きなんだよ。気付いたんだ。言葉にするにはまだ時間が掛かりそうだけどさ、大好きなんだよ。

 もっと強かったら、俺がもっと格好良かったら、胸張って言えるのに。馬鹿だから、臆病だから、弱いから。


「……でも、夏樹がいなくならなくてよかった……私が死ぬまで……夏樹はきっと死なないから……」

「死んでたまるかよ。だからお前も死ぬなんて言うな」

「……思い出の公園もなくなって……桜の木もなくなって……どんどん消えていっちゃう……怖いよ……」

「学校に来れば、和哉も俺もいるさ。電話があれば声が聞ける。寂しくなったら、辛くて耐えられなくなったら、わがままくらい聞いてやってもいいぞ」


 次第に百瀬の声は嗚咽に変わり、呼吸が荒くなっていく。今年、こいつ泣いてばっかだな。いつもいつも気張ってるから、プレッシャー感じてるんだ。

 これまでにないくらいに弱った百瀬が折れてしまいそうな気がして、俺は静かに胸を貸した。

 これくらいしかできなくてごめんな。でも、俺にできることなんて限られてるから。今は泣けばいい。泣き止んでぐっすり眠るまで、ここにいるから。

 自分の身内に起こった不幸に耐え切れず、精神的に追い詰められ、頭の中が混乱している幼馴染に対して何もしてあげられない。


 2人でいるには広すぎる部屋に響く泣き声は、まだ止まない。

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