~31.
『手応えバッチリやで』
「そいつはよかったな」
『なんや自分、嬉しそうやな』
「馬鹿かお前。受かってたらしょうがなく喜んでやるよ」
家に帰るとすぐさま掛かってきた電話。その向こうから聞こえてくる声で和哉が胸を撫で下ろしている様がよくわかる。コイツもしばらくすればアメリカか。門出の言葉に今から悩むな。
『あ、さくらから電話あった?』
「いや、まだ」
『まだ試験中か……。とりあえず俺のほうはバッチリっちゅうことで、現場からの中継お伝えしました。またな!』
陽気な台詞を最後に聞いて通話を終え、とりあえず部屋着に着替える。家の中で制服着てるのって何より落ち着かないんだよな。
肌寒くなってきたが部屋ではなんとなく半袖がいい。真冬になればそんなこと言ってもいられないのだが、この季節はこれがちょうどいい。
着替えて間もなくベッドに寝転がると、一気に眠気が押し寄せてきた。昨日の夜何時に寝たかなんてことを考えているうちにまぶたが重くなってきて、そのまま夢の中へと足を踏み入れた。
――うるさい。何かの音で目が覚めたはずなのだが、部屋はいたって静かである。時計を見るとすでに夕方。約4時間もの昼寝を挟んだようだ。
寝ぼけ眼で起き上がると、再びうるさい音が鳴り響く。携帯の着信だ。マナーモードになっていなかった原因はよくわからないのだが、とりあえずその音を止める為に電話に出る。
「はいはい」
『あ、寝てたでしょ?』
「今さっき起きた。さっきも電話したか?」
『うん。寝てるかなぁとは思ったけど』
「そうか。で、入試どうだった?」
『えっと……普通?』
「普通ってなんだよ」
『いつも通りの力を発揮できたってとこかな』
「じゃあよかったじゃねぇか」
和哉が言っていた『バッチリ』とは、普段以上の力を発揮できたということなのだろうか。試験本番においてそんなマジックが起きれば嬉しいのだが、大抵の人間は百瀬が言うように『普通』という感触を抱くのだろう。
「……これから暇か?」
『うん。何? デートのお誘い?』
「全然。飯でも食いに行かないか?」
『全然って何よ。別に良いけど。どこ行く?』
「うーんと……」
何を食いたいという訳でもなく、ただ単に腹が減ったというだけなのでここで返答に悩んでしまう。優柔不断な男はモテないと昔から言うが、その説の信憑性の根拠を自分で作り出してしまうのも嫌だ。確かに俺はどこかのバスケ馬鹿よりもモテない男だが、その理由をこんなことで納得したくないのだ。
「じゃあ回転寿司でも行くか」
『賛成! じゃあ駅で待ち合わせね。早急に来るようにっ!』
「はいはい」
百瀬の現在地を考慮すると、俺がここでモタモタしている余裕はない。相手が百瀬でなくとも、人間を待たせるということには気が引けるものだ。
素早く準備を行い、鏡の前で髪型を入念にチェックした後に家を出た。
駅に着くとまず自転車を停める。本日の夕飯を世話になる寿司屋は目の前だ。電話を掛けて居場所を確認する間もなく、視界に百瀬の後姿があった。
「おっす」
「こら、なっちゃん遅いぞ」
「これでも急いだんだって。あとその『なっちゃん』ってのやめろ」
「意外としっくりくるんだよね。なっちゃん」
「だからやめろって」
昔から時々呼ばれるそのあだ名。小さい頃は『女みたいだからやめろ』等と言って必死に抵抗していたのだが、今はただ単にその呼び名が恥ずかしい。俺が百瀬のことを『さっちゃん』とでも呼ぼうものなら、それはもうとてつもなく気持ち悪い。
目の前の寿司屋に入ると、少し寒かった気温が丁度良い具合になる。自転車を走らせたせいでかじかんだ手にはありがたい。
「結構空いてるねぇ」
「平日だしな。んにしても腹減った。昼飯食ってなくてさ」
「あ、実は私も。試験前で緊張しちゃって」
「いいダイエットになったじゃねぇか」
「別に太ってないもん」
くだらない会話はいつものこと。明るい店内にふさわしい明るい店員の案内で適当なボックス席に座り、一息つく。もう少し年を食えば、回転寿司とは言わず、少々寝の張る店にも足を運べるのだが、一般的な高校生にはここいらが分相応である。
「とりあえず試験お疲れ。今日は奢ってやるよ」
「え、本当? 優しいとこあるじゃん!」
「まぁな。じゃあそこのカツオ取って」
「はい。って、私が取んなくても回ってくるじゃん」
寿司の乗った皿をベルトコンベアに乗せてグルグル回すなんて、一体どこの誰が考え付いたものなのだろうか。そして何ゆえにネタの新鮮味が問われる寿司をわざわざ選んだのだろうか。まぁ他の料理が回っていても嫌なんだがな。
「……夏樹、イクラ食べたい」
「自分で頼めよ」
「ご馳走してもらうのに堂々と注文なんてできないもん」
「面倒くせぇな……すいません! イクラと中トロ!」
――まぁ、こんなところも百瀬らしいか。無駄に気を遣った幼馴染の少しはにかんだその顔が眩しく感じ、視線を逸らした。
年頃の女子高生の小食具合は俺の予測を遥かに超えていて、箸を置いた百瀬を傍らに魚を食い続けるのは少し気まずかった。おかげで会計は安く済んだものの、また百瀬にいらぬ気を遣わせてしまったのではないかと気になった。
「おいしかった。ご馳走様」
「これで試験落ちてたら笑っちまうな」
「笑えません!」
ついつい百瀬をおちょくりたくなる癖は、俺の意識がどう転ぼうが変わらない。ここ最近の退屈でつまらない日々も、幼馴染との他愛もないやり取りで耐えられる。
店を出るとこの後の時間について何も考えていなかったことに気付く。空腹を解消したいばかりに家を飛び出したのかと言われたら、否定できないどころか断然肯定するだろう。少し先のスケジュールも立てないまま動いたことに少しだけ後悔する。
「この後どうすっか」
「まだ7時。夏樹に任せるよ」
「うーん。特にすることもねぇし、この辺ぷらぷらしてっか」
「出た、ウィンドウショッピング」
「まぁ大抵何か買っちまうんだけどな」
予定を立てたのか立てていないのか微妙な線ではあるが、足をどう進めるかだけは決めることができた。そしてその足を踏み出そうとした瞬間、何やら袖が引っ張られているような感覚がした。
「夏樹」
俺の名前を一言。振り返ったその先に見えた笑顔は、何やらいつもと少し違う。そしてすっと差しだしたその手は、まるで俺に繋げと言わんばかりの位置にあった。




