~30.
「ただいま」
空腹を満たしてからの帰宅。リビングで手と顔を洗い、自分の部屋に向かう。
あの勝負の後、騙されたはずの俺は逆に清々しい気分になり、少々値段の張る昼食を和哉に奢った。なんというか、勝負に負けたという名目がいい建前になった気がした。
これまでの高校生活、アイツの存在は俺にとって大きかった。アイツのおかげで楽しい思いもたくさんしたし、色々助けられてきた。俺が和哉にしてやれたことなんて考えてみてもなかなか思い浮かばないが、アイツが俺にしてくれたことは数え切れない程ある。
等価交換で恩返しできている気がしないことが悔やまれるが、まだアイツとの高校生活は終わっていない。これからの時間で何かしてやれたら、そう考えると同時に卒業までの時間が短く感じてきた。
空はまだ青い。今日はバイトもなければ特に用事もなくて、平日の昼下がりをゆったり満喫するという選択肢がぶらさがっている。
しかしそれと同時にちらつくのは『受験勉強』という選択肢。こんな気分のいい時にそれを選ぶのは気が進まないが、受験生足るもの実質の選択肢は1つといったところだろう。
仕方なく筆記用具を手にして参考書を開くと、それを邪魔するかのように携帯電話に着信が入る。机の上でブルブルと震えるそれの動きがなんとも気持ち悪い。
「はいよ」
『あ、お疲れ様ぁ』
「おう、お疲れ。もう家着いたのか?」
『いや、むしろ夏樹ん家に向かってるよ!』
「いつでも急だなお前は。俺が常に暇だと思いやがって」
『え、ダメだった……?』
「3分以内に着いたら相手してやるよ」
『えー! 無理に決まってるじゃん!』
「嘘だよ。とりあえず来るなら早く来い」
百瀬による突然の訪問には慣れっこであり、基本的にタイミングが悪いことはない。いつもいつも都合がいいと、アイツが謎のエスパー能力でも持っているんじゃないかとすら思う。それぐらいに俺のスケジュールをぴたりと当ててくるのだ。
――好きなものは好きと言う、か。どうして百瀬のことが浮かんできちまったんだろうな。自分でもさっぱりだ。俺がアイツに愛の告白だなんて想像もできねぇよ。失敗すりゃ気まずくもなるだろうしな。
こうして何事もなく過ごしていけば今までのような楽しい関係が続いていって、何も後悔することなくやっていける気がするんだ。わざわざ恋だとか愛だとかに置き換えずとも、俺の求める百瀬はいつだって傍にいるんだ。それだけで、十分。
時間潰しに読んでいた参考書のページがあまりめくられないうちに百瀬が到着。百瀬が来る前、自転車の音がする度に出窓から確認してしまった自分がいたことは勿論秘密にしておこう。
「うぅ、なっちゃぁん、疲れたよう……」
「くたくたじゃねぇか。今麦茶持ってくるから待ってろ」
部屋にあがるなりぐったりした百瀬。後輩への引き継ぎが色々大変だったんだろう。百瀬はかなり慕われてたし、頼もしい部長がいなくなるってのは後輩にとっては相当寂しいことだ。
冷蔵庫から出した麦茶をコップに注ぎ、部屋に戻る。百瀬はちゃっかりベッドでくつろいでいて、心地よさそうに寝転がっている。
「ほら、持って来たぞ」
一応片付いているテーブルにコップを置くと、それを持っていた手が意外にも冷たいことに気付いた。少し寒くなってきた季節、冷たい麦茶でよかったのだろうか。何故かいつになくそんな気を遣ってしまう。
そんな余計な心配は必要なかったようで、ひんやりしたコップを触って笑みを浮かべる百瀬。そうだよな、昔からこれが好きなんだもんな。
「へへ……ありがとう」
この力の抜けた笑顔が、なんだろう、変な感じがする。いつも見ているはずの百瀬が、今なんだか違って見える。多分、目を見れない。なんだよ急に。どうしたって言うんだ。
「……どうしたの?」
何も言っていない、何もしていないのにそう聞かれるということは、今百瀬に俺は動揺を見抜かれたということだ。なんだか鼓動が大きく感じる。
何かに動揺した自分を平常心に戻すならば、いつもと同じ言動をとるべきである。
「なんでもねぇよ。もう一杯飲むか?」
「いや、大丈夫! あぁ癒された。麦茶に」
--まずい。あのバスケ馬鹿のせいで百瀬のこと意識しちまってどうしようもない。冷静になれ、落ち着け。いつものように、いつものように。
「夏樹、そういえば模擬どうだったぁ?」
「え? 知らねぇよそんなの……」
あまりにも適当すぎる返事に、頬を膨らませる百瀬。なんだろう。同じ部屋にいるということが、こんなにも物理的に近いと感じてしまうようなことが今までにあっただろうか。
「知らないわけないでしょ! あ、さては悪かったんだな?」
「……!」
更に詰め寄ってきた幼馴染。一言で言うなら、まずい。もしくはあまり美しい言葉ではないが、『ヤバい』というものだろう。無論、模試の結果の話ではない。




