~14.
完成した原稿を読んでいる百瀬の澄んだ瞳が、きらびやかに潤っている。頬を伝う雫を拭うこともせず、ただ持っている原稿を見つめていた。
――俺の原稿を読んで泣いている。一目で状況は汲みとれるが、理由は定かではない。物語の内容に対しての感動の涙なのか、俺の小説があまりに駄作すぎて文化祭に間に合わないと嘆いてる涙なのか。それとも俺が起きる直前に目薬でも点したのか……。
「う……おはよう」
「あぁ……どうしたんだ?」
「……泣いてないし」
涙を流すという状況が泣いているのでないならば、他にその状況を適切に表すことのできる言葉を俺に教えてほしい。
「夏樹すごいよこれ……すごい感動する……」
「そうか。気に入ったなら何よりだ」
「友情と青春ってベタな要素だけど、ベタだからこそ良作が生まれる」
「原案はお前だけどな」
結末もキャラ設定も俺が描きながら考えたものだが、ある程度の枠を百瀬が用意したことは間違いない。用意された額縁のサイズで限られた絵の具のみを使って描いた作品。あまりこういうことは言いたくないが、俺の想像力を惜しみなく使った作品だ。
「……ねぇ」
「ん?」
「夏樹はさ、全力でやってる?」
「何を?」
「……全部」
「なんだよいきなり」
「いいから答えて」
「……全部は、やってねぇ」
この質問は間違いなくその原稿に書かれた物語によって百瀬の頭に浮かんできたものだろう。
バスケのプロになるという夢を追うことに全力だったはずの主人公が、怪我によって地方大会を欠場する。良きライバルである幼馴染がその大会で大活躍する様子を見て、主人公は現実に引き戻され、夢を諦めることを決意する。
昔からずっと一緒に夢を追ってきた幼馴染の説得にも応じず、主人公は3年生になった途端に部活を引退し、全く別の将来の為に勉強を始める。
――自分には才能がない。主人公はそれを実感していた。高校入学後すぐに試合に出ていた幼馴染と、2年生の夏になってようやくスタメン起用された自分。自分より背の低い幼馴染が活躍できたのは技術の差であり、その差は間違いなく才能からきている。
諦めるなら今しかない。全力を出しても届かない壁を越えようとすることに疲れた主人公は、自分が歩んでいける道を探す為にバスケという夢を捨てたのだ。
「夏樹はね、この主人公とは違って才能を持ってる。バスケも小説も」
「……んなことねぇよ」
「あるよ。じゃなきゃこんな小説描けるはずない」
「褒めるならもっと気持ちよく褒めてくれよ」
俺は別に才能を見せつけたくてこの物語を描いたわけではない。百瀬に頼まれて、なんとなくやる気が出て、現実に向き合おうとする主人公に感情移入してるうちに完成まで辿りついただけだ。
「とにかく、これを元に脚本を作るんだろ? 急いで作業しないと間に合わないぜ」
「ちょっと待って。最後まであとちょっとだから」
注文通りハッピーエンドだから安心しとけと言いたい。終始無難に落ち着いている作品だとは思うが、主人公の心情の移り変わりや葛藤が最後に一貫して固まる。悲しい出来事があって、どん底の心理を味わって、人間はそうやって意志を固めていくんだろうな。そんな俺の主観的なものが詰まったラストで満足できれば問題はないだろう。
静かな部屋で、原稿をめくる音だけが響く。
しばらくするとその小さな音も途絶え、俺の耳はようやく人間の音声を拾った。
「うん。小説としては、たまに見える文章の粗を見直すだけで十分かな。設定の矛盾も心情の不自然さもないし、キャラにもブレがない」
「そいつはよかった」
「脚本の原案としては文句ないから、このままコピーして使わせてもらうね」
まぁ、この原稿を小説として誰かに見せる訳でもないからな。大衆に晒されるとわかっていれば文章ももっと頑張ったぞ。俺は。
映画の上映予定時間は約30分だったか。映画と言うには短いが、いち高校生の文化祭作品としては妥当であろう。見に来る人がどれだけいるのかはわからないが、最初の1日で生徒間に口コミが広がれば2日目も期待はできる。まったくもって見に来る人がいないかもしれないという状態に遭遇する覚悟もできているから、どういう結果になろうとも問題なし。
「そういやキャストはどうするんだよ。決まったのか?」
「うーん。主役がちょっとねぇ……」
「主役なんか和哉でいいんじゃねぇの?」
「私もそう思って聞いてみたんだけど、急だからちょっと考えるって言われちゃってさ」
「確かに急だな。いきなり役者になれって言われりゃ戸惑うのは当たり前だ」
せめてもう少し早く伝えておくべきだったか。演劇部から協力を受けてのもいいが、奴らも奴らでやることがあるしな。万が一、和哉に断られちまったら他の奴を探すのが大変だ。
しかし、ここまで来て思い出したある重大なことが頭をよぎる。そうだそうだ。和哉が断るはずもねぇさ。こっちにはアレがあるじゃねぇか。良かったぜ、万札をはたといて。




