プロローグ
この物語はフィクションです。登場する人物、団体名等はすべて架空のものです。
物心ついたときから、俺は万年筆を握り締めて原稿用紙に文字を並べていた。それが作文だったのかポエムだったのかはわからない。もしかしたら、いっちょ前に小説なんか書いていたのかもしれない。
幼稚園や小学校の同級生が走り回っている間、俺はノートに筆を走らせていた。両親が図書館に連れて行ってくれたときは読み切れないほどの小説を借り、描かれたストーリーに夢中になった。俺の興味が絵本から小説に移行したのはいつだったか、それは覚えていない。
もうなんていうか、他のことなんかどうでもよかった。ドッヂボールもテレビゲームも、習い事も流行事もどうでもよかった。面白い本を読んで、思いついたものを書いて、下手くそな文字で埋まっていくノートを眺めながら続きを考える、それで充分楽しかった。
小学校3年生のとき、幼馴染の百瀬さくらが『夏樹が書いてるの、今度見せてね』と言った辺りから、書いていたものの内容の記憶がある。
百瀬とは幼稚園からの付き合いで、小中高と学び舎を共にしている。高校生になったときもお姉さん気取りでいた少々面倒な女で、朝に弱い俺にモーニングコールをしてくれる便利な幼馴染でもあった。
「夏樹、小説家になるの?」
「まあ、多分」
「……やる気ないね」
「なれたらいいな、ってくらいか」
「それはなりたくないのと同じじゃない」
「同じじゃないさ。希望している将来に違いはないし」
「本気で目指してる人達しかなれないの!」
「そんなのわからないだろ」
「わかる!」
中学に進学し、学校の休み時間に小説を書かなくなった俺は、周囲の人間と同じように流行に乗り始めた。かといって小説を書くのを止めたわけではなく、家に帰ってしばらくすれば自然と万年筆を握っていた。
中学3年のときに百瀬にあんなことを聞かれて、やる気のない返事をしたのもしょうがないことだと思うんだ。本当に、その程度にしか思えなくなっていたから。
高校に上がると、百瀬は文芸部に入部した。その行為自体が俺への勧誘に思えて、特に文句を垂れることもなく俺も文芸部に入部した。
百瀬は俺に小説を書かせたかったんだ。アイツは、小さいときから横で小説を書いていた俺の作品を、読んでみたかったんだ。
高校に入ってからは部活動でほぼ強制的に小説を書かされ、頭を抱えながら案をひねり出した渾身の作品を出したり、なんとなく思いついた作品を、部長のダメ出しを受けながら修正したりで、何作か形として残すことができた。
なんだかんだ言って、それが楽しかった。笑っていられた。
「夏樹! 来年から部長やる?」
「パス。お前やれよ、部長」
「え? 私?」
「俺は責任あるポジションには就きたくない」
「私に押しつけるってこと?」
「お前のほうが適任だってことだよ」
責任を背負ったまま創作活動できるような大きい器を、俺は持ち合わせていない。他人の面倒を見るのも苦手だ。
ただ自分の頭の中に不意に生まれてきてしまったストーリーたちを殺したくないから、文字にしているだけに過ぎなかったんだ、俺は。
そんな風に、自分の本当に好きなものに全力でぶつかれなかったから、こうなってしまったんだ。
「ねぇ」
「ん?」
「夏樹はさ、全力でやってる?」
「何を?」
「……全部」
「なんだよいきなり」
「いいから答えて」
「……全部は、やってねぇ」
全部は、って言ったけど、あの時俺は、自分が何に全力になれているかなんてわかってなかったんだ。小説を書くことも、大学受験も、将来の夢も、全部曖昧にしていた。
自分が何をしたかったか、何が欲しかったのか、わかっていなかった。何も考えなくても、なんとかなると思っていた。
今年の冬は、異常に寒い。