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興奮状態の馬を宥めるのに戸惑ったものの、何とか馬車でセントサントリナへの道を急ぐ。ぽつり、と窓に雨の一粒が打ち付けた。ガラスに頬を付けるようにして空を見上げると、いつの間にか分厚い雲が覆っている。町の火の手を消すのに役立てばいいのだが。
あのドラゴンがレイモンの変化した姿だと言うなら、城及び町が危ない。それがわたしが第一に思った事だった。レイモンには王や王室の人間を「消したい」という思考があったはずなのだ。あの様子からするにどの程度『中身』が残ったままなのか知らないが、元がレイモンなら、と思ったのだ。
ただ、考えたくないことだがわたし達が追いかけてどうにか出来るんだろうか。元はレイモンだといってもドラゴンはドラゴンだ。ヒヨッ子のわたし達がどうこう出来る相手とは思えない。『裂けないものは無いと言われるかぎ爪を持ち、吐く息は猛毒、火炎のブレスは鋼をも溶かす』……という生き物だ。絵本の世界、親からの話でも恐ろしい生き物といえばドラゴンなのだ。
別の所から何か解決策は見つからないだろうか、と思案する。例えばアルダを探して交渉?それも現実的じゃないな。だってこの日を待ち望んでいたのが彼女なんだもの。
「……ユベールってどういう人だったのかしら」
わたしは半分独り言のように呟き、馬車の床に視線を落とした。アルフレートが足を組み直すのが見える。
「さあな、今となっては会うことも出来ないんだ。生前の姿を見たことがないんだから何とも言えん」
アルフレートは「ただ」と付け加える。
「息子を歪ませたのは間違いない。王位に興味があったにせよ、無かったにせよ」
わたしもそう思う……ので黙っていることにした。
どんな調子で、どんな頻度で言っていたのかは知らない。でもレイモンが「父が言っていた」と言っていた話は、それ自体は事実な気がした。
「結局……」
ヘクターが呟く。わたしとアルフレートがそれに反応して彼を見るが、続きが出てこない。代わりにアルフレートが話し始める。
「真犯人なんていないんだ。こんがらがった毛糸玉を取り囲み、全員で糸を勝手な方向に引っ張る。がちがちの状態で絡まったままになった毛糸玉が今のサントリナだ。……『引っ張れ』と囁いたのがアルダ、強引にハサミを入れようとしているのがレイモンだな」
その話だと……ハサミを入れる役はわたし達だったりしないだろうか?わたしは背中から変な汗が滲み出てくるのを感じた。
御者席のヴォイチェフが馬に鞭入れるのが見える。セントサントリナからの明かりは生活の営みによるものではない。わたしははやる気持ちを必死に抑えながら、浮かび上がるドラゴンのシルエットを見ていた。
町の混乱は悪化していた。モンスターの数は減っているように見えるが、当然だろう。辛うじて町の中には進入していないものの、すぐそこにドラゴンが現れたのだから。わたし達が戻ってきた町の出入り口付近には逃げ出す住人達が溢れかえっていた。
この状況だ。馬車を降りて徒歩の方がいいと判断し、ヴォイチェフに馬を預ける。
「生き残っていたら祝杯上げましょうや」
嫌な捨て台詞と共に裏路地へ消えるヴォイチェフを見送った直後だった。
「アンタ達!無事だったのね!」
悲鳴混じりの声に振り返ると、既に懐かしさを覚えるオカマの姿。サラも一緒だ。
「良かった……もう何がどうなってるのか」
ウルウルと瞳を滲ませるローザちゃんはドラゴンを指差す。確かに混沌状態の町にあんなのが現れたらこの世の終わりを感じる。
「二人も無事だったのね」
二人に近寄りながら、わたしもドラゴンを振り返り見る。町へ入ろうと両腕を振り回しているようだが、もしかして入れない?見えない何かと戦っているように見える。どういうことだろう。
「結界よ」
わたしの視線を辿ったのか、ローザが答える。
「ヴェロニカに頼まれて城を中心にかなり強力な結界を張ったの。あたし達もその手伝いで町中回ってたわけ。前から準備していたみたい」
そういえば城でそんな話されたっけ。
「でもそれでも破られるのは時間の問題。あんなのが出てくるなんて……」
そう言うサラの顔色はあまり良くない。普段はツヤツヤとした頬が煤で汚れていた。サラだけじゃない。全員が炭鉱から出てきたかのように汚れて、顔に疲労が出てきている。わたしもそうなんだろう。
「俺、コリーンの様子を見てくる」
ヘクターが言いにくそうに叔母の名前を出した。すっかり失念していたわたしは何度も頷く。
「行ってあげて!こっちは大丈夫」
「ごめん……アルフレート、頼んだ!」
そう言って駆け出すヘクターにアルフレートは肩をすくめる。
さて、どうしたものか……。逃げる町人への誘導は兵士達が必死やっているのをあちこちで見る。きっとセリスとアントンが召喚ゲートは消してくれただろうし、わたし達は残りのモンスターを少しでも片付けるべきだろうな。 その旨を伝えると三人とも頷いた。
「サンライトアロー!」
ローザちゃんの呪文がゴブリンに突き刺さり、
「ファイアボルト!」
わたしの呪文が民家のブロック塀を破壊する。
「何やってんのよおおお!」
オカマの絶叫に避難する住民までもビクリと飛び上がる。
「ちょっと手が滑っちゃって……」
わたしは頬を引きつらせた。最近、魔法の腕も上達していたので調子に乗ってしまったようだ。
隣で呆れ顔のアルフレートを見て、彼に聞きたい質問を今ここで言ってしまうべきか迷う。
『なぜあの長寿種がお前と一緒にいるのか』、そう言われたことが当然だがずっと引っかかっていた。
でもこんな時にいきなり聞いた所で『そんな場合じゃない』と怒られるのが落ちだ。わたしは今は飲み込むことにした。
遠回りの道を選んでなるべく町を見回りながら城に近づこう、という事にしたわたし達は、大通りを避けて住宅地に入る。人々の住処を破壊しようとする悪知恵の働く魔物はいるもので、先程のゴブリンなどを見つける度に倒してきた。
家々に三方を囲まれる小さな公園が見えてくる。遊具も少なく特徴の無い公園だ。小雨の降る中、その左奥にあるブランコが揺れていた。乗り手がいるからである。
わたしはぞくりとする自分の腕を撫でた。
歪な手足の細身の男、というのが第一印象だった。ブランコをゆっくりと漕ぐその生き物には顔が無い。頭部はあるのだが、顔に当たる正面部分はつるりとした球体で、目鼻といったものがないのだ。汚れた麻のローブのようなものを着ているが、雨の中だというのに濡れている気配がない。何より異質なのはローブから覗く顔部分、手足の肌が青黒いのだ。ドラゴネルのような瑞々しい印象もない。
「おっと、こいつはまずいな」
アルフレートは戯けながら言うが、すぐに何か唱え出す。淡い光が周囲に漂い出した。何かの精霊を呼んだのだ。つまり敵である、と言っていた。ローザ、サラにも緊張が走るのが分かる。
その魔物はしばらくブランコの揺れを楽しんでいたが、軽く跳ねて地面に着地する。出来立ての水溜りが泥を跳ねた。そしてこちらを見るように顔を上げる。何の凹凸も無い顔が間違いなくこちらを窺っていた。
立ち姿は更に不気味だった。異常に長い手足は枯れ枝のように細く、指も長い。腰の曲がりがひどく、手は地面に着いてしまいそうだ。
「グスゴールという下級悪魔だ。話し合いは通じないぞ」
アルフレートから悪魔、と聞いてへたり込みそうになる。まずい、なんてもんじゃない。多分相当まずい。まともに相手になりそうなのはアルフレートくらいだろうか。以前戦った悪魔ヴォールドールだって、まともな状況なら相手になるならないの問題にさえならなかったはずだ。
ローザが何か唱え出す。サラもそれに続いた。二人の頬には汗が浮かぶ。焦り、恐怖といったものを感じた。
「ダズルオキュペイション!」
「シール・レイド!」
ローザ、サラの呪文がそれぞれ完成する。眩い光を放つ半透明の膜がわたし達を取り囲む。全く知らない呪文だが、かなり高度な術だと思う。
グスゴールが奇妙な叫びを上げた。口が無いのだから当然だが、声は発していない。ただ空気の震えと耳障りなギチギチという摩擦音のようなものがするのだ。わたしは思わず両手で耳を塞ぐ。
アルフレートが飛び出す。それを待っていたかのようにグスゴールの方も地面を蹴った。
始まる、そう思った時、公園内に幾つもの影が現れる。短刀を持ち、グスゴールを取り囲むのは数人の黒装束達だった。
これには悪魔も不意を食らったらしく、足が止まる。そこへアルフレートが光の矢を放った。グスゴールはバランスを崩しながらも何とか避ける。
「意外な救援だな」
にやりとするアルフレートに黒装束の一人が答える。
「勘違いは困る。我々の敵は最初からお前達ではない。サントリナを守る為に我々はいる」
色々な含みを感じる台詞を言うと、黒装束達は一斉にグスゴールに斬りかかる。青い悪魔が再び吼えた。
グスゴールの周りに白い光球が幾つも現れる。黒装束達は慌てて飛び引いた。
アルフレートが何かを唱えると、黒い靄が次々現れ、白い光球へぶつかっていく。衝突の度に高音の油が跳ねるような激しい音を撒き散らしながら光球を消し去っていった。
直ぐに黒装束達が一斉に飛びかかる。グスゴールの方も筋張った手足を振るうが、数で押している黒装束達の短刀が次々に悪魔のローブを切り裂いていった。
グスゴールが怒りの声を上げたんだろうか。空気がまた激しく震えだす。わたし、ローザ、サラは身を寄せ合う。
突然、グスゴールの周囲の地面が真っ黒に染まる。黒装束達はまた素早く身を引き、アルフレートはふわりと浮かび上がる。レビテーション、浮遊の呪文だ。次から次へとよくあんなに早く呪文が完成するな……と、今更ながら関心してしまう。
黒く染まった地面が爆発を起こしたように光線、煙と爆音が響く。ローザが「ひっ!」と小さく悲鳴を上げた。アルフレートと大部分の黒装束達はまた次の手を見計らうように動き出すが、何人かの黒装束の男が動かなくなる。
「アークボルト」
アルフレートの低音の声が響いた。
地面から稲妻が伸びる。グスゴールを包んだ閃光は悪魔の身を焼き、痙攣させた。
が、倒れることはなくまたしても咆哮を上げる。今まで以上に鼓膜を圧迫する摩擦音を立てると、グスゴールは四つん這いになった。するとローブの背中が大きく破け、中から勢いよく飛び出すものがあった。
小麦色のスパゲッティのような触手が一斉に周囲に広がる。あまりのおぞましさに、
『ギャーーーーー!!』
乙女三人の悲鳴が響いた。さすが魔界の住人、人間の常識が通用しない。
触手が黒装束達の体を拘束していく。次々伸びる触手はついにわたし達の方までやってくるが、結界に弾かれて消えていく。プリースト二人の力に改めて感謝した。
その奇怪な光景の中心にいる悪魔は重そうにだが器用に触手を動かし、一人、また一人と黒装束の男を捕まえていく。グスゴールは何か探るように頭を動かしていたが、塀の上にいるアルフレートの方に頭を向けると嬉しそうに手足をばたつかせた。
触手が一斉にアルフレートの方へ伸びる。避けることなくそれを受け入れると、アルフレートは絡め取られた触手によって高々と掲げ上げられてしまった。
「何してんのよ!」
わたしの悲鳴が言い終わらない内に、黒い一線がグスゴールの首を跳ね飛ばす。一瞬のことだった。触手は消え去り、アルフレートは無事着地する。
ごろりと転がった頭部と悪魔の体は何度かの空気の震えの後、霧となってきえていった。
キン、と澄んだ音をさせて短刀を仕舞った黒装束の男は激しい戦いの為か頭部を覆っていた布がはだけていた。彼がやったんだろうけど、早すぎて見えなかったわたしは少々消化不良だ。
「囮になった礼ぐらい欲しいもんだ」
アルフレートが茶化したように言うと、男は黙って頭を下げる。素直な反応だったからか、アルフレートは眉を上げ、肩をすくめた。
空が何度か光る。稲妻だろうか。落雷にまで気をとられるのは面倒だな、と思う。
「お前達はアレとも戦うつもりか?」
頭部の布を直しながら男に問われる。声からしてあのリーダー格の男では無いようだ。直す前にちらりと顔が窺えたが、中々の男前具合に少し動揺する。なんだ、勿体無い……っていう問題ではないか。
男が親指を向けた先のドラゴンを全員が見る。ここからだとシルエットでしか窺えないが、どうにか町へ進入しようとして暴れているようだ。
「相手にもならない、って言われそうだけど……そのつもりよ」
わたしが答えると黒装束の男はしばらく黙る。
「何の為だ?」
改めての質問に今度はこちらが黙ってしまう。代わりにローザが叫んだ。
「人として当たり前でしょ!というか冒険者がほっといて逃げたら、もう引退考えなきゃなんないわよ」
「難儀なものだな」
苦笑混じりの返事に、不快では無いものの戸惑う。だってここまできたら何で動くのかなんて考えてもしょうがないもの。
「……あなた達の立場よりはいいと思うけど」
ヴォイチェフから聞いて黒鼠のあれこれを知っていたわたしが思わず口にした本音に、男はまた黙ってしまう。相手は相手で戸惑っているように感じた。
仲間の黒装束達ものそのそと立ち上がり、遠巻きに見ていた。