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王子が城を去る。
その事実を聞かされた聴取のざわざわとした空気はやがて動揺へと変わる。流石に目の前で非難するのは気が引けるのか、囁くような声だが「そんな、なんで……」というものも聞こえた。
これ以上の混乱を恐れたのか、大臣の一人がエミールを舞台から下がらせる。わたしはホール内の空気が冷えてしまうのを感じながら、舞台脇へと駆け寄った。問題の人物にたどり着く前に、レイモンとアルダを目で追う。二人とも会場に溶け込むように、来賓とグラスを傾けていた。アルダなどやはり若い貴族に大人気のようだ。
そしてわたしが話しを聞きたかった人物、王太后グレースは憎らしい程に落ち着き払った様子で扇を振りつつこちらを見ている。
「ど、どういうことです?」
わたしはグレースに尋ねる。エミール本人からより、そのアドバイスを送った彼女から話しを聞きたかったのだ。グレースはわたしを手招きするとカーテンの束に隠れた位置にある椅子に腰掛ける。
「レオンを連れて、ここから逃げて」
質問の答えではない申し出に面食らうと同時に、その内容に言葉を失う。
「どういうことです?」
わたしの代わりに質問したのはヘクター。彼もまた声に普段より動揺が入っているように感じられた。
「王子の双子の片割れがセントサントリナに来ていると、そんな話しをしている輩がいた。城下ではそんな噂で持ち切りだそうよ。……国境であった戦闘も関係しているんじゃないかと、みんな不安がっている」
そんな、と言おうとして思い出す。ヘクターの叔母コリーナも言っていたじゃないか。生きていたレオンの噂、エミールとの衝突……。あれは前奏だったんだわ。
いまだエミールの発表から混乱が回復しないホール内に不安を覚えつつ、わたしはグレースに尋ねる。
「わかりました。その前に……レオンに会いますか?」
わたしはグレースの顔を見て、ふと思ったことを申し出てみた。このままだと多分、永遠にさようならだ。それはちょっと寂しいんじゃないだろうか。だがグレースは即答する。
「私は姿を見られただけで十分。それに向こうからしちゃ、ずっと会っていない祖母に会っても『嫌なババア』としか思わないでしょ」
頭を振りつつヘクターに流し目を送るグレースはやっぱり魅力的な人だ。だからこそ、わたしもこの人の駒になってしまうのだろう。わたしはレオンを探す為に群衆へと目を向ける。簡単な手品を数人の輪の中で披露する彼を見つけた時だった。
「レイモンとアルダがいない」
ヘクターの緊張感漂う声に息が止まる。マズイ、そう勘が告げていた。わたしも慌てて周囲を見渡す。
先程まで二人のいた舞台左手、その周辺にはいない。東側の窓が無い代わりにガラス片が埋め込まれていて光を反射する壁一帯にも姿は無い。大きな両開きの扉がある入り口付近、大部分の人々の集まるテーブルが点在する付近、踊りの続く中央部分にも二人の姿は無かった。焦りで心臓の音だけが加速する。その時だった。
がちゃがちゃと金属鎧の音を鳴らしながら一人の兵士が表から扉を開け放つ。わたしはそれを見て強い嫌な予感に襲われる。
「白獅子隊第六班より伝令!モンスターの軍勢が首都に接近中であります!」
突如もたらされた大声にホール内は一瞬の静寂の後、すぐにパニックになる。どどど、という不安の声の波は次第に黄色い悲鳴に変っていった。
「モンスターの軍勢って……どういうことなの?」
「町は、城は大丈夫なのか!?」
当然の疑問が甲高い声で響く。それに呼応して更に動揺の声は多く、大きくなる。わたしはこの不気味な流れにヘクターの顔を見る。一瞬、わたしの顔を見て微笑むとすぐに真顔に戻りフロロを手招きしていた。柱のレリーフの上であぐらをかいていたフロロは飛び降りてくる。
「どうもおかしい、町に様子を見に行ってくれないか?」
「分かってるよ、任せておきな」
二人の会話と同じタイミング、人の群れをかき分けるように大きな体が近づいてきた。デイビスだ。眉間に皺を寄せてわたし達に小声で囁いた。
「あの野郎、あんな大声でこの場の全員に教えちまって、どういうことだ?」
デイビスの舌打ちにわたしははっとする。確かにこんな混乱が起きること必須の伝令を、堂々と来賓の前で公表しちゃうのって変だ。そして思い至る。そうだ、これこそがレイモンの望む筋書きだったんだわ。
わらしはレイモンのシナリオに呑まれてしまったことに気づく。そして最悪のタイミングで大きな音が響き渡った。腹部にうなりを感じさせ、肌を振るわせる爆音。表、だが城に相当近い。信じられないことの連続に脳が麻痺する感覚だ。
「既に首都に入り込まれてるのか?だがどうやって!」
一番に聞こえた悲鳴がわたしも考えていた疑問だ。国境にいた山賊達との戦闘は終わったはずで、今聞いたモンスターの軍勢の仕業ということだろうか。とすれば城下は魔物でいっぱいということなのか。まるで地面から湧き出てきたとしか思えない展開だ。
「警備兵は何をしていた!」
「何者かが手引きをしたとしか……」
「魔物に入れ知恵を?どんな奴だ」
ざわざわとする周囲の話し声はやけに耳に響く。まるで脳に押し入るようだ。おかしい、おかしいと頭の中で警報が鳴り響くのに、それを無視して周囲の流れは加速する。
「とにかくレオ……団長を」
わたしは隣にいるヘクターとデイビスに伝える。三人揃ってレオンの方向へ足を向けた。そんなに離れていないというのに棒立ちの人が多いせいで進むのに手間取る。「ごめんなさい」と言いながらも押しのけていった。
「どうする?」という会話を目でしているようなレオンとウーラ。その元にたどり着き、わたしはようやく手が届く範囲にきたレオンの腕に手を伸ばす。が、それは一人の男の体に阻まれてしまった。
「お前……王子に似ていないか?」
男の言葉にホール内は一瞬にして静まり返る。レオンの顔を覗き込む男の顔は、いぶかしげというよりも既に憎しみが込められている。誰もがタブーとしていた事実に触れられたのだ。もはや周囲の目に遠慮はない。剣のように鋭い注視が降り注ぐのに、レオンが顔を青くして後ずさる。
「私もそう思っていたんだ!王妃に花を渡した時からな!」
不安を怒りに変換することで浄化するつもりのような、そんな攻撃性を剥き出しにする男。
「レオン様……?王位を主張する男が現れたとは聞いていたが」
「生きていた噂は本当だったか」
その声に、手品を見るため二人を囲っていた貴族の娘が一斉に離れる。そしてもう一度、口火を切った男が高らかに叫んだ。
「双子の王子が王位を主張しに来たぞ!やはり双子は不吉であったのだ」
「違う!」
叫ぶレオンを取り押さえると、男はレオンのカツラを毟り取る。現れた美しい金髪と、エミールそっくりな容姿に悲鳴が湧き上がった。わたしは額に汗を貯めながら、固まるしかなかった。
表がどんどんと騒々しくなる。兵士達が動き出したのだ。頼もしく感じる反面、モンスターの大群が押し寄せて町を混乱に陥れているのだ、というイメージが沸いて出てきてしまう。
更にレオンの差し金だと叫ぶ声。何人かの「違う!」という声も聞こえるが、そんなものはかき消されていく。
混乱の中、わたしは見た。レオンから毟り取った黒髪のカツラを手にしているのが、体格のいい男から細身の女に変わっているのを。戦慄の後、慌ててその人物を追いかけようとする。
「違う!わたしではない!」
レオンの必死の怒鳴り声に足が止まった。先程の扇動に煽られた兵士達がレオンを取り囲んだのだ。わたしが彼の腕を取ろうとする前に、レオンは悲鳴混じりの声を上げる。
「よせ!止めろ!」
兵士に向けて言った言葉かと思えばそうではないらしい。首を振るウーラが見えた。
「もう我慢出来ません!」
ウーラが兵士の一人に剣を振り下ろす。だめ!というわたしの悲鳴は実際に口に出来たのだろうか。出来なかったのだろうか。しかし兵士の体に刃が届く前に、ウーラの体はぐらりと倒れる。それを見てわたしは小さい悲鳴を上げてしまった。
「我慢してもらわんと困るんだよ、まだ」
そう苦々しげに言いながら、倒れていくウーラの体を支えたのはアルフレートだった。どうやら彼の仕業であって、兵士の剣に倒れたと思ったのは違うらしい。そこへ顔を強ばらせたブルーノが駆けつけ、小声で彼に「すまん、礼を言う」と伝えるのが聞こえた。
一つ息を吐き出すとブルーノの顔は一瞬にして引き締まる。
「少年、シブール殿と言ったか。事情をお聞かせ願う。……女は勾留しろ」
冷静な指示を受け、兵士達は躊躇する間もなく「はっ」と答える。アルフレートの魔法だろうか。ウーラは穏やかな寝顔のまま起きない。レオンがほっとした顔でブルーノに頷く。
「わかった」
そう答えるレオンの腕を、一人の兵士が取ろうとして止める。大人しい様子と、本当にエミールに似た顔を見てしまったからだろう。「ご同行を」と言うに留まった。
ウーラの方には兵士三人が集まる。眠る彼女の顔を叩こうとした兵士を、アルフレートが笑顔で止めた。
「古い友人なんだ。私が連れて行こう。話しも私からする」
兵士達は怪訝さをあらわにする。当たり前だ。仮に友人だとしてもウーラから話しを聞きたいのであって、押しの強いエルフの話しを聞きたいのではない。が、にこにことしたままだが有無を言わせない雰囲気のアルフレートに困惑しているようだ。それにブルーノが頷きながら割って入る。
「構わん、連れて行け」
ホールを去るレオンを眺めていると、国王が舞台上で立ち上がっているのに気づく。少しの間だけ、ぼんやりとしていた顔がすぐに厳しい顔に戻り、脇にいる大臣や鎧姿の人間に何かを指示していた。
その中の一人が国王の言葉を受けている最中からこちらを見ている。すぐに駆け出すとデイビスやヘクターに軽く頭を下げた。
「協力願えないだろうか。町の警備に回って欲しい。もちろん我々も行くが、兵士達が大量に出ると町中がひどい混乱になるかもしれん。それに……近隣の騎士達は国境方面から戻っていない者が多いんだ」
「わかってます」
少し憮然とした顔でデイビスが答える。ヘクターは頷くだけだ。そしてこちらに振り返る。
「リジアとセリス、イリヤだけでも城に残って様子を見てくれ。ローザとサラはまた救護班に回されると思うんだ」
「わかったわ」
けして足手まといという意味で残れと言ったのではない。レイモン達の動きが分からないままだから探る意味も含めてだ。初めて対等な位置に立てた気がして嬉しかった。
「あのー、私は……」
また自分だけ、という顔でヴェラがこちらを覗き込む。わたしは一瞬詰まるが、ふと思い直す。
「わたしと一緒に来て。ヴェラには色々頼めそうだわ」
なんだがヴェラには力を感じる。一か八かのダイスのような、「良い時はいいが悪い時は消えて欲しい」というようなものだが、未知なる能力が発揮される気がするのだ。
わたしの言葉に万歳するヴェラを横目にしつつセリスが耳打ちしてくる。
「いいの?なんかやばい事態になったら置いて逃げるわよ?」
「……あなたのパーティーメンバーなんだからね?」
今回、彼らの絆を感じられたのは幻だったのか。わたしは肩をすくめるセリスに溜め息をついた。
しかしこれで一足先に向かったフロロとファイター組は町に、アルフレートは城のどこかに、とバラバラになってしまった。残ったメンバーだけでも固まっておくか、とホール内を見回した時だった。わたしはまたぎくりとする。
消えたレイモン達とは別にそのまま姿を見せているヴェロニカ。その彼女がまたしてもこちらをじっと見ていることに気づいてしまった。そしてその顔は相変わらず厳しいままなのだった。