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わたしの緊張を破るように拍手の音が鳴り響く。始めは数人のパラパラとしたものが、それに呼応するように数を増やし、ホール全体を祝福の音で包み込んだ。中心にいるのはもちろん国王夫妻。ホール入り口の閉まった扉の前でフェリクス王が『主役』を示すように王妃の手を取り、やや高い位置に挙げたまま舞台へ進む。その二人を待つ形でエミールが舞台の上、お辞儀した。夫から息子へのバトンタッチというわけだ。
「ありがとう!」
はしゃいだ声でエミールの手を取り、王妃は席に着く。その隣に国王が腰を下ろし、王妃を挟んで反対側にエミールが立つ。舞台を下りて右手に並ぶ先頭にいるのは王太后グレースだ。今日もその存在感をきらびやかな衣装と共に示している。その隣にはイザベラ。今日は流石に黒いドレスではない。といっても深い紫の地味なものだ。対照的な親子だというのがよく分かる。
その隣、地味な衣装のイザベラにさえも隠れてしまいそうな老女に気づく。仕立てのいいドレスといいセンスも申し分無く、品のいい老婦人なのだが、どうも立ち姿がひっそりとしている。しかしその隣にいる人物を見た瞬間、両者とも何者なのかが分かってしまった。
今は主役を王妃に譲っているものの、彼が一声上げればその場の視線をかっさらってしまいそうな存在感。彼にだけライトが当たっているかのような錯覚さえ覚える。少々派手だが体に合った深い青のジャケット、ジレ、キュロットの揃い。今朝、切りそろえてきたような綺麗な口ひげと白い髪。ぴんと伸びた背筋に若い頃はさぞ美しかったであろう整った顔……。なるほどなるほど、彼が『太陽の男』か。とすると隣の大人しい婦人は彼の妻、先王の妹ルイーズとやらだ。
「確かに似ている」
アルフレートは『太陽の男』セルジュとその隣に立つレイモンを見比べる。ルイーズ、セルジュ、レイモン、と並んでいるということはレイモンの父ユベールは参加していないらしい。念のためホールを見える範囲で見渡すが、それらしき人物は見当たらなかった。体のことを考えてなのか、気持ちが乗らなかったのかどちらだろう。
国王夫妻が立ち上がり、まばらになっていた拍手が再び熱を帯びる。そして舞台の脇にいる紫色のローブを着た老年の男が一言、
「国王陛下よりお言葉」
と声を響かせる。今度は一変、綺麗に静まり返った。
「妻の誕生日にこれだけの者が祝いに駆けつけてくれた事、深く感謝する。今日は堅苦しい形式など忘れて、共に楽しもう」
少し砕けた感のある挨拶に、わっと歓声が上がる。拍手の音に続き、管楽器と太鼓の音が鳴り響いた。
「すごい!一気にお祭りって雰囲気!」
音にかき消されながらわたしが言うと、後ろからブルーノがグラスと出してきた。
「本来はサントリナの人間は陽気な者が多い。船乗りの国だからな。……大丈夫だ、アルコールではない」
そう言ってわたしが彼の手にあるピンク色の飲み物を受け取るのを見ると、すぐに舞台方向へ去っていく。それを目で追うと、すでに王妃の元に挨拶の列が出来ているのに気づいた。わたしは慌ててローザの肩を叩く。
「ねえローザちゃん、プレゼント渡してきてもらえない?」
「……ええ?リジア行かないの?アンタが買ってきたのに……」
カップの箱を渡されたローザは不思議そうに首を傾げる。しかしわたしは彼女に任せることにした。わたしが顔を合わせたら、きっと王妃は緊張感に顔を強ばらせるだろう。このお祝いムードに水を差すこともない。
ローザとイルヴァが挨拶の列に加わると、わたしの横では数人の若い貴族達によるダンスが始まる。宮廷のお上品な流れるステップを予想していたわたしは面食らう。飛び跳ねる動作が入ったりと、結構激しいじゃないの。手拍子が入ったりと、ローラスでは道ばたで旅芸人がやりそうな、といった印象。こっちも楽しい気分になってくる。
あちこちでグラスを合わせる音がする。楽しそうな話し声や笑い声。ああ、いいパーティだな、と心から思う。このまま全てが平和に終わって、学園に帰れたら……なんて頭で考えていた時だった。
紙を破る音を大きくした、ジャ!というような破裂音。女性の悲鳴とも嬌声ともつかない声が響く。反射的に見た頭上を、黒髪に黒いマント姿の少年が振り子のように落ちるロープで飛んで行く。
「レ……」
少年の名前、レオンと叫びそうになったわたしの口をアルフレートが塞いできた。舞う紙吹雪と白い鳩、それに乱れ飛ぶライトの光が幻想的な空気を作り出す。
練習したのか?という綺麗な着地で床に降り立つレオン。そして響き渡るウーラの勇ましい声。
「見よ!我ら『雪花団』の作り出す楽園の光景を!酔いしれよ!我らがシブール様の芸術的な技の数々に!」
鍛え上げられた彼女の声にはさすがに圧倒させられる。この場の全員の気持ちをぐっと掴んだに違いない。そしてレオンは自分に視線が集まりきるのを待っていたかのようにたっぷりの間を取った後、手のひらをふっと吹いた。光の粒がその手から溢れ出す。勢い良く舞い上がる光の粒は天井まで届きそうな勢いだ。わっと歓声が上がった。そして続けざまに吹いたレオンの口元から、今度は大量の花びらが舞う。
「まあ、素晴らしいわ」
わたしの横にいた貴婦人が色とりどりの花弁を前に溜め息をつく。わたしもこの演出に見とれてしまっていた。みんながうっとりとする空気の中、再び吹いたレオンの口元から出たのは、今度はなんと巨大な炎だった。
おお、と驚愕の声の後、すぐに消えて行った炎の元で澄ました顔しているレオンに歓声が巻き起こる。半分はこの場のノリによるものだろうけど、拍手喝采となったレオンのマジックにわたしは思わず笑ってしまった。
王妃の前の列に加わったレオンに、人々は自然と前を開ける。すると紫のローブの男が胸を張って声を張り上げる。
「ローラスより参った旅芸人集団『雪花団』のシブール殿であります。かの国では雪花団及びシブール殿は、それは人気だそうで、その人気者が是非王妃に挨拶したいと」
身なりからして大臣か何かだと思われる男の、やけに自信満々な紹介を不思議に思ったが、そうだ、アルシオーネ大神官の紹介文があるからだわ。ラグディスの大神官様の紹介する人物なら、旅芸人でも歓迎するべきものになるに違いない。
王妃の前にレオン、という光景にわたしの胸は高鳴る。と同時に緊張してしまう。どうなる?どう、挨拶するの?そして王妃は何て返す?
「『雪花団』団長のシブールでございます。お誕生日おめでとうございます」
レオンは深く頭を下げる一礼をした後、すっと王妃の前に手を出す。次の瞬間、ぽっと飛び出す小さな花束。小花の中に一輪だけ山百合を入れた、王妃によく合うものだ。再び溜め息のような歓声が起こる。
目の前に出された花束に王妃がなかなか手を出さない。あれ?と思った時だった。
「レオン?」
無邪気な笑顔で王妃は尋ねる。その瞬間、レオンの顔は大きく歪んだ。が、それもほんの一瞬のことですぐに微笑む顔に戻ると、
「ただの旅芸人如きが、お会い出来て光栄であります、王妃」
再び頭を下げ、素早く後ろに下がる。一瞬、ほんの一瞬だが静まり返るホール内。だが人々は聞き間違えだったと流すように再び拍手する。わたしはただ、ぼんやりと王妃の顔を眺め続けていた。
「王妃は本当に子供への愛が薄かったのかしら」
わたしは盛り上がる会場の光景を前にグラスを傾けるアルフレートに尋ねる。わたしがこの質問を自分にも、他人にも重ねる理由はきっとそうだと信じたいからなのだろう。「私が思うに」アルフレートはそう前置きする。
「王妃はブルーノを護衛としても頼り切っていた。が、噂のせいでブルーノが離れてしまったのは大きな痛手だ。しかし片方がいなくなる、なんて大事になれば残ったエミールへの警護は過剰を極めることになる。そこまで読んでいたんじゃないか……と私は思っている。それにレオンを預けたのも安全だと信じきってのことだと思うね。私にはあの王妃を庇う気持ちはさらさらないが」
アルフレートの出した答えはわたしの最も聞きたかったものだと思う。深い満足感を得て、わたしはテーブルの上に並ぶ手で摘める料理を口に放り投げた。
「ただこの行動が大きな歯車の狂いになったのは間違いない。だからこそ、奴の内側の渦巻く感情は大きな混沌を産むまで成熟を続け、いまや爆発寸前だ。そして歯車の狂いによって、その場に我々がいるわけだ」
何を怖い事を言い出すのか、とわたしは喉につまったエッグタルトを飲み物で流し込む。その時、一際楽しげで高い声が響いてきた。
「エミール様より王妃様へのお誕生日プレゼントよ!」
レモン色のドレスを着た少女がエミールの腕を取りながらにこにこしている。どう振る舞えは注目を集めるか、よくわかっているのだろう。少女の囃し立てる声にエミールは少し苦笑する。
そのエミールの手にあるものを見て、わたしとヘクターは思わず顔を見合わせる。あれ、バレットさんから預かってきたやつだわ。箱の模様に見覚えがある。いよいよ中身が分かるのだ、とわたしはもう少し前に行くことにした。
「母上、お誕生日おめでとうございます。私は毎年のこの日、母上が生まれてきた喜びと共に、私『達』を生んでくれたことに深い感謝を覚えるのです」
エミールの言葉に人々は静まり返る。ただ静かになっただけでなく、どことなく息を呑む空気。それに気づいているのかいないのか、エミールは舞台に用意されたテーブルに箱を置く。そしてゆっくりと取り出したのは大きめの宝石箱だった。
銀を基調にしたその宝石箱は、鍵穴にあたる部分に大きめの宝石がついたもので、他はうっすらと模様が入れてあるだけのシンプルなものだ。これをバレットさんが?と思ったところで、エミールが蓋を開ける。
箱から真っ直ぐに光りが伸びる。その光はホールの壁にぶつかり、絵を浮かび上がらせた。その絵を見てわたしも、周りの人々も息を呑む。生まれたての双子の赤ちゃんだ。
「これ、絵じゃないわ」
ローザが呟いた通り、壁に映し出されるものは描かれた絵ではない。魔術により通信『ヴィジョン』を使った時のようなやや不鮮明な、しかしはっきりと本物を感じるもの。双子の赤ちゃんは絵をめくるようにぱっと形を変えていく。次に映ったものは少しふっくらしてきた双子。次は首が据わったのかうつぶせになっている二人。そして次は……一人になった赤子が椅子に座ったものだった。このぐらいになるとはっきりとエミールだと分かる。この頃の方が癖が強い髪質だったようで、巻き毛になっているのがかわいい。
一人になった赤子は絵が変るごとに大きくなる。小さな足で懸命に立つ姿、すました顔で玉座に座る姿、庭を走る後ろ姿。衣装も徐々に王子らしい、堅苦しいものに変る。そして、司祭服に王家のマント、という今のエミールの姿になった。その絵の中の少年が口を開き、人々はどよめいた。
『母上、いつまでも愛をあなたに。エミールより』
ふっと消える明かりにわたしは鳥肌が立つ。今見たエミールの演出に感動したのもあるが、またもバレットさんの発明に驚かされたからだ。そして王妃に目をやってから、はっとする。彼女の頬にははっきりとした涙の跡があった。その母の前に跪き、エミールは澄んだ声を響かせる。
「母上、私は明日、城を発ちます。ラグディスの大神殿に向かおうと思います」
その言葉に一瞬の間を置き、場は騒然となる。が、エミールの声が続くと見逃すまいとせんばかりに静まる。
「今現在のサントリナの争乱は私もよく知っているつもりです。その為に私は何が出来るのか、未熟者の考えですが私なりに結論を出したつもりです。私はこの城にいるべきではない。少なくとも、今は。ただ私はサントリナを愛しています。だから、おばあさまと約束したのです。私が国王となるに見合った能力を身につけた時、城に戻ると。それまで私はラグディスの神殿にお世話になります。……すでに法王と大神官アルシオーネ様と話しがついています」
エミールの淡々をした口調には決意しか無い。周りが止める止めないではないのだ。しかしながらわたし含め、人々の頭にあるのは「聞いてないよ……」といった情けないものだったに違いない。そしてその相談相手となっていたはずの彼の祖母、グレースは澄ました顔で扇を振っていた。
王妃がぼんやりと口を開く。
「私、貴方のことも何も見ていなかったのね」
呟くように言った彼女の台詞だったが、この時初めて夢の世界から覚めて発した声に聞こえた。