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別荘に帰ってからの翌日、朝起きてもアルフレートは帰ってきていなかった。
「嫌な予感がする……」
朝食の目玉焼きを睨みつつ、わたしはぼやく。高慢妖精がいないことで何が?と聞かれても答えに困るが、『いるとムカつくが、いないと心細い』という奴なのだ。
「ローザさん、寝坊ですか?珍しい」
イルヴァの気のせいか寂しそうな声にはサラが答える。
「昨日、あれだけ動き回ったんだもの、当然よ。帰りも一人だけ遅かったし」
「私達も大分疲れ溜まってきてるわよねー。今朝もベッドから起きるのしんどかったわ」
セリスの台詞にはテーブルにつく大部分が頷く。割合、元気なのはヴェラくらいだろうか。
「まあ、あと一踏ん張りよ。嫌でももう少しでウェリスペルトに帰れる」
わたしがそう言うと、デイビスが「そう、それ」と言いながらフォークを振った。
「今日の行動だが、普段のパーティーに戻ってセントサントリナを回る……って感じでいいか?」
みんながバラバラに頷く中、フロロが「それしかないっしょ」と口を尖らせる。
「とりあえず『何か』に遭遇する幸運を祈るしかない。それとフライング気味に敵さんが動いた場合、それを鎮圧するって感じだな」
フロロの声には少々イライラが含まれている。情報収集は彼の役割だもの。それを無茶な条件つきつけられたら不機嫌にもなるだろう。普段、やり手な彼のことだ。負けん気も人一倍だろうな。
「あのー」
ヴェラが遠慮がちに手を挙げる。わたしはどうぞ、と促した。
「皆さんは明日、何が起きると思うんです?」
不安そうなヴェラの顔を見てわたしはフロロと目を合わせた後、いい機会だと口を開く。
「それについてだけど、よくよく考えたらレイモンとアルダって目的は真逆なのよね」
「逆?」
よくわかってなさそうなヴェラにフロロが続ける。
「レイモンはどう考えても目的は『王位』だ。つまりこの国、『サントリナ』が欲しいわけ。アルダの方はといえば、リジア達が王弟から聞いてきた話しを元に考えるとサイヴァの教徒な可能性が高い。ってことはこの国を混沌に沈めたいわけだーね」
「レイモンは混乱に乗じて王位をものにしたい……ってつもりだと思う。だからアルダと組んでる。アルダはそのレイモンを利用してる。だから今のところ利害が一致してるけど……」
「本当にサントリナを滅茶苦茶にされたらレイモンは困る、ってことか」
わたしの推察にヘクターは頷く。そう、レイモンだって壊滅状態の国を譲り受けても嬉しいはずがない。
「そう、だからわたし達が突くとしたらそこなのよ。二人の目的がずれた時、必ず衝突が起きる」
わたしはみんなの顔を一巡し、付け加える。
「だからそれを、レイモンに気づかせなきゃ」
二人が手を組んでいることは矛盾しているのだと、気づいた時にレイモンはどう出るか。アルダの方は二人の考えの違いなど、始めから承知に決まっている。
朝食を終えてお茶を飲んでいると、ローザちゃんが部屋に入ってくる。眠そうだが元気はあるようで、急いでパンを食べ始めた。忙しい方が生き生きするタイプだもんなあ。
「急かすようで悪いけどよ、俺らは先行くわ」
デイビスが立ち上がるとアントン、サラも立ち上がる。それにヴェラが慌てて続き、セリスとイリヤは顔を見合わせてから、「ちぇー」「まだ飲んでるのに……」とぶつくさ言いながら、飲みかけのお茶を置いて出て行った。
「戻らないわねえ、アルフレート」
食後のお茶を飲むローザちゃんの言葉通り、アルフレートはまだ戻らない。『どうする?』という空気感のヘクターとローザちゃんにフロロが手を振った。
「構わないだろ、行こうぜ。アルのことだから、その内フラッと現れるさ」
「そうそう、勝手にいなくなった奴に気なんて使わない使わない」
わたしが言うと、なぜか全員がわたしの『背後』を見る。
「勝手にいなくなるのが専売特許のお前に言われたくない。私の場合は勝手にピンチになったりもしないしな」
「戻るなり嫌み全開ね」
わたしは後ろに立つアルフレートを睨みつけた。それに構う事無く、テーブルの上にあるフルーツ籠からリンゴを取ると、アルフレートはそのまま出て行ってしまった。わたし達は顔を見合わせた後、慌てて追いかける。
「どこ行ってたんだ?」
ヘクターがアルフレートに尋ねる。玄関を出ながら、リンゴを齧るエルフは振り向いた。
「道に迷っていたんだ。お陰で珍しく腹が減った」
はぐらかす気満々の答え。言いたくない、勿体ぶりたい。ああそうですか。
すたすた進むアルフレートを追いながら林の中を歩いて行く。今日は随分と涼しい。日中でもそこまで気温は上がりそうにない空気だ。空気が冷えるとなぜ澄んでさえいるように感じるのだろう。わたしは胸いっぱいに空気を吸い込んだ。
湖に面する通りに入る直前、フロロが「しっ」と人差し指を口元に当てる。思わずわたしも口を手で押さえ、足を止めた。
すると数秒後、がたがたという聞き覚えのある音が徐々に近づいてくる。馬車の音だ、と気づいた時にはすでに猛スピードを出すそれが姿を表していた。太い幹の後ろに隠れて馬車を見送る。
「レイモンだったね」
わたしは半ば無意識に、呟くように言っていた。今見た光景に少しぼんやりしてしまったからだ。嵐から逃げるようなスピードの車体。その中に見えた姿はレイモンで間違いなかったのだが、彼の顔が遠目で見ても明らかなくらい真っ青だったのだ。太陽のオーラは消え去って絶望そのものの表情をしていたのも気にかかる。
「追いかけるか?」
アルフレートの提案にわたしは戸惑うが、他のみんなが既に足を向けているのを見て、それに倣う。レイモンの行き先、薄黄色の屋敷はここからも見える距離だ。湖に沿って歩いて行けば、すぐにたどり着く。
全員が無言で歩くこと数分、目で測った距離よりは少々あったが、やはり大した時間も掛からず到着した。遠目で見た時より小さめに見える屋敷の前に、先程、猛烈な勢いを見せていた馬車が止まっている。栗毛の馬二頭がもうもうと汗の湯気を立て、御者がそれを拭いていた。
「そういうわけには……」
「構わないと言っているだろう!」
宥める声とわめく声。両者とも聞き覚えがある。近づいていくと、馬車の後ろにいるのは思った通りの二人だった。昨日見た、胸に紋章をつけた兵士とレイモンだ。レイモンが兵士を屋敷から下がらせようとして、それを兵士が止めているような雰囲気に見える。すると、わたし達に気づいた兵士が口を止める。それに反応してレイモンがこちらを見た。
「来るな!近づくんじゃない!」
目を見開いて顔を真っ赤にし、怒鳴るレイモンにわたしは固まる。今までにない彼の姿に、どう接するべきかわからない。
手を振り回しながらこちらを威嚇するような仕草をした後、レイモンはどうにか本来の彼を引き戻す努力をしたようだ。目は恐ろしい光をたたえたままだが、口元は笑みを作る。
「わ、悪かったね。今立て込んでいるもので……。用があるなら後にしてくれないか?そうだな、夕餉を一緒にするのはどうだろう」
「いや、いいよ。俺たち王子と約束してるから」
答えるフロロの声も流石に小さい。もちろんそんな約束など無いのだが、咄嗟についた嘘だろう。頭を軽く下げて挨拶しながらその場を下がり、元来た道を急ぐ。示し合わせたわけではないのだが、全員が暫くの間無言になっていた。
「……何あれ」
乾いた唇からどうにか絞り出したわたしの声は、かすかに震えていた。
再びやって来た宿営地。昨晩以上にピリピリした空気に入るのを戸惑う。とりあえず何か進展はしていないか、確認が取りたかったのだが、陣地内に入っていいのかすら分からない。すると見覚えのある兵士が、入り口付近を彷徨うわたし達に声をかけてきた。
「待っていた。ついてきてくれ」
昨晩、隊長さんと一緒にいた兵士だ。しかし待っていたとは?
「また怪我人でも出たのかしら」
ローザちゃんが呟く。こちらの反応を待たずに歩き出す兵士に、仕方なくついていく。案内されたのは昨日の晩にも訪れたテントだった。中に入ると案の定、イザーク隊長が待っていた。
「国境付近でも戦闘が始まった」
丸椅子に腰掛けるなり聞かされた隊長の言葉に、息を呑む。それでこんなに張りつめた空気なのか……。
「それで状況は?」
初顔合わせのはずのアルフレートが遠慮なく口を挟む。しばらくじっとエルフの動じない顔を眺めていたイザーク隊長だったが、ゆっくりと説明を始めた。
「敵は五百ほど。騎兵もまばらにいるようだが、法術部隊もないようなおそまつさだ。大方の予想通り、あっちも山賊の寄せ集めらしい。ただ無視は出来ない数だ」
隊長はそこで一つ小さく息を吐き出す。話しの内容以上に晴れない顔に見える。
「やはり正規の兵と力の差はある。統率も取れていない。しかし押されれば退いて、体勢を整えればまた打ち合うというような粘りを見せてはいるようだ」
これで隊長の話しは一応終わったようで、テント内は静かになる。一呼吸置き、ヘクターが口を開いた。
「それって撤退と前進を繰り返してるってことですよね?足止めってことじゃないですか」
言いにくそうな口調に隊長ははっきりと頷く。
「そうだ、私もそう思っている」
足止め……ということは狙いは兵力の分断だ。国境の地以外に陥落すべき本命がある。どこか?明日お偉いさんが勢揃いする首都に他ならない。
無言の内、イルヴァ以外が同じ考えになったのだろう。重い空気になる中、隊長は再び短く息吐く。
「だが影も形もない脅威を理由に兵を呼び戻す要求など出来ない。不穏な空気だから、では通らんのだ」
「それは分かりますけど……、でも実際に別荘地に襲撃があったのは事実なんですよ?」
わたしが言うと隊長も、その後ろにいる兵士二人も頷く。
「もちろん、それは国王も私の上官も重く受け止めている。だからこそ、その動きをいち早く嗅ぎ付けた君達を高く買っているのだよ」
目元に皺を作って微笑む隊長さんに、そうは思えないけどな……とは言わないでおく。隊長さんとこんな風にお話出来るのもそれが理由なのかもしれないし。
とにかく情報を共有すること、を再確認してわたし達はテントを出る。アルフレートが眩しそうに日を眺めた。
「町に行くか」
何もしないよりはいい、とその声は語っていた。
夕飯の時間を少し過ぎたような頃になっても、町をただうろつくわたし達には何の収穫も無かった。当然といえば当然。怪しい奴が空から降ってきたり、アルダの正体を知っている人物が通りを歩いてきたりするわけがない。
それでも気落ちしながら別荘に戻ると、ちょうどデイビス達も帰ってきたところだったらしい。玄関ホールで集合してしまった。
「何かわかった?」
ダメもとで聞いた質問には案の定の反応が返ってくる。溜め息混じりに首を振るメンバー、それと「お前らの方は?」とこちらも声に期待が籠っていない。
暗く沈む空気を破ったのは談話室から飛び出てきた少年達の声だった。
「すごいですよ!レオンが魔法使いになったみたいです!」
頬を上気させたエミールと、続けて飛び出て来るレオン。
「ちょっと見てくれ!手品が今日一日で大分上達したんだ!」
ばさばさ!と白い鳩が玄関ホールを飛び回る。細かい羽が散り、ファムさんが無表情に溜め息を吐き、それをウーラがおろおろと見ていた。