4
エミールが心配そうにこちらを見る中、わたしは一番聞きたかった疑問を思い出した。王弟に向き直り、彼の目を真っ直ぐ見る。わたしの様子に彼の方も「なにかな?」と姿勢を正した。
「貴方はフェリクス王を殺害しようとした?」
直球の質問にブルーノが顔を上げる。王弟はすぐには答えない。不機嫌には見えないが気を悪くしたんだろうか。
「……それは城に戻れば、直に分かると思う」
笑顔を崩さないでいるが、肩がはっきり揺れた。初めて見せる動揺だった。わたしは押せばいける、と確信する。
「誤摩化さないで教えてよ。……この島から帰還したのは貴方?それとも」
「いや、違う。私ではないよ」
今度ははっきりと答える。この答えを聞いて、わたしはなぜかひどくほっとしてしまった。その時だった。
「嘘を吐いている」
イリヤが王弟を指差す。わたしは心臓の鼓動が早くなり、二人の顔を見比べる。
「俺は嘘が分かる。貴方は今、嘘を吐いた」
真っ直ぐな瞳で王弟を見据え、静かに言い放つ。窓から入る日光のせいで金色の瞳が光って見える。彼の能力を知っているわたしは、イリヤの姿が神々しく見えてさえいた。だが、わたし達全員が自分を見ていることに気づくと、イリヤは急に動揺したのか指先が震えだす。なんだコイツ。
「……分かった、正直に言おう。城には戻っていない。だから私の偽物、とやらは本当に私ではない。ただ、ちょくちょくサントリナには帰っているんだ」
王弟は降参を表すように両手を挙げながら苦笑した。
「この恵まれた生活振りを見れば、そりゃあねえ」
アルフレートがわざとらしく部屋を見渡す。籠一杯のフルーツやたくさんのバケットを見て、わたしも「そりゃそうか」と呟いた。
「隠居生活に欠かせない物も、結局は町に行かないと無いからなあ」
苦笑する王弟が持ち上げたのは一冊の魔術書。その裏表紙に書かれた筆記体の名前を見て、わたしははっとする。
『セレスタン』
決して綺麗な字では無いがはっきりと書いてある。その名前を見て、すぐに一人の人物の顔が頭に浮かぶ。魔術師協会の地下で話したあの彼だ。一度しか会っていないが、学園の教官にとてもよく似た人物がいるため、強く覚えていた。あの時の彼は全て知っていた、というわけだ。今度はわたしが苦笑する番だった。
島に夕刻が訪れ、視界に映るものが全て夕焼けの赤に染まっている。わたしは丘の上で潮風を受けながら、光るガーネットのように美しい海を眺めていた。この時間になっても夕立はやってこない。本当にサントリナ国内ではないんだな。
サントリナの方がどのような状況か分からないので暫く時間を潰すことになった。もう少ししたら一先ずわたし達が戻り、別荘地内だけでも平穏になっていたらエミール達にも戻ってもらう、ということになったのだ。
「マジかよお……」
何度目か分からないこの台詞を吐いたトマリを見る。ぼんやりと死んだ目で海を見つめる彼は流石に哀れに見えた。海に入れないのだから、今、目の前に見える宝の山も蜃気楼と同じなのだ。トマリがどのようにこの島の宝を追い求めてきたのか、わたしは知っている。だからこそ、自分よりも彼に同情してしまうのだ。
ふと後ろで足音がするのに気づく。振り返ると夕焼けで髪以外も赤くなったセリスがいた。
「リジア、大丈夫なの?」
セリスの発言にわたしは眉を寄せる。
「なんで?」
「さっきの話しで、気づかない?だってジルダからの警告をもらったのって、リジア、あんただけなのよ?」
わたしはぞっとし、腕をさする。確かにそうかもしれない。でもそうだとすればなぜ、わたしがジルダの『獲物』になったのだろう。
「で、でも一度目はみんないたじゃない……」
そこまで言ってからあることに気づく。一度目の忠告を聞いた時の状況をはっきりと思い浮かべ、初老女性の声が再生される。そしてわたしは頷いた。
「ジルダ……分かりにくいから、やっぱりアルダに統一しましょう。アルダと同じようにサイヴァ信者が王都に紛れてるとして、まずアルダで一人。それにイニエル湖の蜂の警告をした老夫婦、図書館で蜂の警告をした若い女、の最低でも四人がいるはずよ」
「確かに。山賊どもを追い払っても、そいつらに注意してもらった方がいいわね」
わたしとセリスは確認し合うように頷く。セリスの視線が動く。思わずそれを追うと、その先にはブルーノがいた。浜辺で遊ぶエミールとレオンを、丘の上から眺めているのだ。ウーラは双子に混ざって走り回っているが、ブルーノが中に入る姿は想像つかない。
「綺麗すぎる男って好きじゃないわ」
セリスが肩をすくめるのを、わたしは小さく笑った。
「もう少しでわたし達は戻るわ」
ブルーノに近寄りながらそう声を掛ける。ちらりとわたしを見ると、また双子達が遊ぶ方向へ目を戻す。「そうか」と、ぶっきらぼうに答えるが、続く言葉にびっくりする。
「世話になる」
目を丸くしてブルーノの顔を見るが、彼の方はわたしを見ない。気のせいか柔らかい表情をしている、と思う。嬉しくなったわたしは、
「どういたしまして」
と言って無理矢理ブルーノの手を取り、握手した。にやにや笑うわたしと、無表情で握手するブルーノの姿がよっぽど面白いものに見えたのだろう。少し離れた場所にいるセリス、トマリが揃ってこちらを見ていた。
「女性にこういうことを言うと、さぞかしがっかりするだろうが」
そう前置きするとブルーノはこちらを見る。
「私はリーザを『そのような目』で見た事は一度も無い」
リーザ、とあえて王妃を呼んだのは、その方が彼の中でしっくりくるからなんだろう。それとわたしに対し「本音を伝えている」というメッセージだ。
「……残念、本当は相思相愛の仲だったら一本の小説でも書けそうなのに」
わざと面白がっている風に返す。本当はちょっと安心したけどね。
「壊れていく彼女を見るのが私への罰なら、それを達成した時にリーザに救いは待っているんだろうか」
これには答えられない。答えられないでいる内に、ブルーノは続ける。
「宮廷内に広まった私とリーザの噂のお陰で、私はリーザの護衛を離れることになった。その矢先に、レオン様はいなくなったのだ」
「あ……そうだったんだ……」
思わず声が暗くなってしまう。返事を聞いているのか、いないのか、ブルーノは更に続ける。
「離れることが決まった時、リーザはひどい混乱状態だった。それを見て、予測するべきだった」
幼い頃から一緒にいるブルーノがいなくなれば、誰が悪い魔法使いから守ってくれるというのだろう。そんな時、王弟からの申し出。それと悪夢のような女がやって来る。ずっと王妃は狂った歯車を一番近くで見続けてきたんだわ。
邂逅するブルーノの横顔を見ている時、ふと思いつくことがあった。
「あのさ、わたし一つ思ったんだけど」
ブルーノがわたしを見る。陶器のような綺麗な肌に美しいガーネット色の瞳。なんで黙っているだけでこんなに悲しそうな雰囲気なんだろう。
「レオンが消えてしまったことによって、エミールへの警護は厚くなったわけよね。そこまで王妃は予測してたとは思えない?」
わたし自信「だったらいいな」くらいの考えだったが、ブルーノは深く考える顔になる。そしてふっと笑った。
「私は誤解していたようだ。君達のような冒険者は、単なる好奇心で動くものだと。……他に何が君らを動かすのか、上手い言葉が見つからないが、もっといいもので動いているのだと分かった」
思いもよらない言葉をもらってしまった。わたしは「好奇心だけですよ」という軽口をなんとかしまい込んだ。
先に戻るわたし達を見送りに、浜まで王弟も一緒にやって来た。仲間が心配なので早く戻りたい気持ちもあるが、この美しい島を去るのも名残惜しい。
「じゃあ、兄によろしく」
またつかみ所のわからない雰囲気に戻った王弟シャルルは、笑顔でわたし達に手を差し出す。セリス、イリヤ、ヴェラと握手するとわたしの番になる。
「セレスタンによろしく」
わたしがそう言うと、王弟は思った通りきょとんとする。
「知って……ああ、そうか!君はソーサラーだものね。ギルドに行ったわけだ。またいつか来てくれると嬉しいなあ。同類と話す時間が欲しくて欲しくてしょうがない」
そう笑う王弟を見て思う。そうだ、この人こそエミールに似てるんだ。外見はともかく、大きくなったらこんな雰囲気になりそうだもの。アルフレートの話しじゃ違ったけど、とわたしは仲間の顔を見る。ちょうど王弟と握手するアルフレートはにこやかな顔だった。のだが、
「アンタ、『足』にされたな」
笑顔のままぽつりと言ったアルフレートを、王弟は驚愕の顔で見る。それを見て、わたしはぶるりと震えそうになる。
握手の手を解くわけでもなく、黙ったままになってしまった王弟は顔が少し青ざめてしまっている。ぎこちなく笑顔を戻すと口を開いた。
「エルフの君には私の稚拙なやり取りなど、意味の無いものか。何でもお見通しってわけだ」
皮肉にも聞こえる言葉を吐くと、王弟は一歩下がる。
「さようなら、友人達。私はそちらには行けないけど、ここに来る分にはいつでも歓迎するよ」
その言葉を背後に受けながら、わたし達は来た道を返す。洞窟内に入るとまたひんやりと寒い。まるで島の風景など幻だった、と目を覚まさせるようだ。
「……何?何だったの?」
わたしの質問にアルフレートは顔をしかめる。
「もうお忘れになったか、あんな大事件を。ラグディスで揉めた大本の話しだろうが。サイヴァの女王は儀式に何を集めるんだった?」
「自分の手足になる神官でしょ?」
会話に割り込んできたセリスが、自分で答えてはっとする。
「……そうだ、忘れてた。蜘蛛の『足』よ……」
セリスの忌々しげな声を聞きながらわたしは考える。
「ってことは、アルダが今回の女王?」
わたしの質問にアルフレートはすぐには答えない。しばらく間を置いた後、出口となる扉が見えてきたところでようやく口を開く。
「さあな。女王なのかもしれない。はたまた彼女も単に『足』なのかもしれない。はたまた……」
『もっと面倒なものかもしれない』、という台詞を、わたしは聞かなかったことにした。