宮廷サーガ1
『女帝』はわたしの顔をねっとりと眺めながら小声で囁く。
「間違いないんだろうね?」
気温が上がりきる前の午前、木枠にガラスが埋め込まれた華麗なテーブルを前に、香りの強いお茶を飲みながらわたしは頷いた。
「ええ、割と……いや、かなり自信あります」
「結構」
女帝——グレース王太后は優雅さを見せつけるように扇を振る。そして間を置かず、
「ブルーノをお呼び」
素早く侍女に命令するのだ。張り付いていたわけでもないのに、侍女はきっちり反応する。
「下っ端密偵が板についてるじゃないか」
なんて軽口を言うのはアルフレート。その隣でフロロが「うけけ」と笑っている。
わたしの横では事態の目まぐるしさについていけない、というようにローザちゃんが溜め息と共に顔を伏せていた。
「……イルヴァ、それ勝手に食べちゃいけないと思うんだ」
「んあ、またやっちゃいましたあ。ヘクターさんもどうです?」
フルーツ籠の前で漫才するファイターズは、話しを飲み込むのを放棄したように見える。わたしが彼らを含め、パ—ティーメンバー全員を連れてきたのは、やはり基本は「全員で動くこと」が望ましい、と思うのと、正直な気持ち「証人」が欲しかった、というのがある。デイビス達は人数の都合もあって、部屋でトマリの見張りと、フローラちゃんの警護に当たってもらっている。
昨晩のヴォイチェフと黒鼠の攻防の後、礼拝堂に転がる『鍵』をファムさんが拾ってきてくれていた。ヴォイチェフの最後の一撃の後に響いた、固い物が転がる音はこれだったらしい。故にまた、フローラちゃんの警護が必要なのだ。相手に扉を開けさせる、というのは、万が一出し抜かれる可能性を考えて中止になったのだ。
「ブルーノ様がおいでになりました」
侍女が頭を下げる。かなりの時間がかかったのは、ブルーノがこの場に来るのを嫌がったからに違いない。王太后の命だ。断りはしないものの、ささやかな抵抗という感じか。
「慣れぬ道ゆえ時間が掛かりました。申し訳ございません。それで、御用は?」
不機嫌である、というオーラに加え、ブルーノはわたし達への『なぜここに?』という視線を隠そうとしない。わたしも多少、申し訳ないとは思う。女帝を仲間に引き入れれば、ブルーノはわたしを無下に出来ないのを分かって、あえてこうしたのだから。
「そんな嫌みは結構よ。お前に聞きたいことがあるの」
「……私にはご報告する旨はありません」
不穏な、とまではいかないものの、ちくちくやり合う女帝とブルーノ。わたしは咳払いを一つ、響かせる。
「……ずっと気になっていたことがあって」
わたしの話しだしに、すっとブルーノの頬が引き締まる。が、この場の揃いを見た時点である程度、予測していたのであろう。「何かな?」と答えた。
「少し前の話しを蒸し返して悪いんだけど、ラグディスで会談した時、フェンズリーの『つちのこの家』へレオンを探しにいったのは、王妃に頼まれたからって言ってたわよね」
「そうだ」
ブルーノは短く答える。
「オッケー、そうよね。……その話を聞いた時も、時間が経ってあなたのことをもう少し知った今も、意外だな、と思ったの。なぜならあなたは『レオンは既にこの世にいない』と思っていたはずだったから」
あの会談の時、彼はそう主張していた。そしてイリヤが『嘘はついていない』と断言していたのだから間違いない。ブルーノは間違いなく、レオンがさらわれた現場を見て、レオンは亡くなったと思ったのだ。
「そうではなかったと分かったはずだが。レオン様はご存命だったと、君達が『証明』したのだ。それともあの彼は偽物だったというわけか?」
「違うって分かってるでしょうが。……話を元に戻すわよ?なんで意外に思ったか、っていうとあなたがとても合理主義な性格に見えたから。今そこにいるあなたからも、エミールに対しているあなたからもね」
無駄の無い動き、余計なおしゃべりは一切しない上に短い返答のみ……という普段からのブルーノを見れば、これは明らかだ。
ブルーノはわたしの話しに対し、何か都合の悪い部分があればあしらいたい、と思っている。が、全貌が掴めず、戸惑っている、といった感じだ。わたしは続ける。
「生きているはずは無い、と思っているはずなのに尚、『孤児を探していた』のは何故なのか。それこそつちのこの家に来ていたくらいだもの。ローラス中を回ったはず。もちろんサントリナもね」
「それはレオン様の偽物がいる、という話があったからだ。私にはそのような輩を捕まえる義務がある。ラグディスの会談で話したはずだろう」
「それはそうかもしれないけど、行動が納得いかないわね。だって『レオンの偽物』が孤児院に?見た目がそっくりだからと王子に成り代わろうとしている悪党が?違うわね。あなたは『レオン』を探してたのよ。王妃に頼まれたから。会談でそう答えたはずよ」
出来ればこの『ボロ』を出さないよう、王妃の存在は最後まで出さないでおきたかったに違いない。でも、イリヤがいたから嘘をつけなかったのだ。
ブルーノの顔が無表情になっていく。心を閉ざす一歩前。ということは真実は近いのだ。わたしは自分が嫌な人間だ、と思いつつ話を続ける。
「生きていないと思っているはずのあなたが、いるはずのないレオンを探して回るなんて……はっきり言って無駄をしてる。レオンの偽物を探すなら……、そうね、怪しい動きを見せてる反体制派集団の影を追う、とかじゃないかしら?サントリナには優秀な隠密部隊もあることだし。……そうじゃなくて、あなたは王妃が望む『レオンはどこかで生きていて、捨て子でも大切に扱ってくれる孤児院で幸せにしているに違いない』っていう妄想につき合ってあげてたのよ」
ブルーノの頬にさっと赤みが差す。が、本当に一瞬のことだった。再び鉄仮面を冠る彼の横、他人の不幸は蜜の味、というアルフレートが心底、嬉しそうな顔をしている。反論が無いのでわたしの独り舞台は続く。
「百歩譲って『王妃の命に従っていた、だけ』ってことにしておきましょうか?まあ、これもなんで王子のお付きである貴方がじきじきに、わざわざ、一人で?って疑問は尽きないんだけど」
「本当だあ、言われてみれば不思議だねえ」
と、わざとらしい間延びした間の手はフロロ。
「……続けるわよ?今度は逆に王妃殿下の側から考えましょう。わたしは貴方と妃殿下がすれ違う、っていう何とも気まずい場面に遭遇したわけだけど、声かけはもちろん、目線も合わせないような状況だった。『嫌われてる』なんて言ってたわよね」
ちらりと見た目線の先、ブルーノは「そうだ」と答える。腹を括った雰囲気にちくりと胸が痛む。
「……挨拶もしない、あの王妃が不機嫌をあらわにするほど憎む相手のはずよね。でも、王妃は貴方にレオンのことを頼んだ。じゃあなぜ憎んでいるのに頼んだのか、一番の隠し事を頼む程の仲なのに憎んでいるのはなぜか、……答えはこれしか浮かばなかったのよ」
「恋仲だと?」
場が静まり返る程の爆弾を投げた割には、女帝の声は楽しそうだ。嫁の弱みを握った……というよりは単純に面白そうな話題に食いついた感じだった。
ブルーノは一言「茶番だ」と言ったきり黙る。わたしはどうしようかな、と考えてしまう。なんせこちらこそ想像だけの話し。相手に否定されればそれまで。それにこういうものを突っ込むというのは自分が下品になった気がしてしょうがない。その時、
「一つ、昔話でもしようかね」
『女帝』がほほほ、と笑いつつ扇を振る。全員が吸い寄せられるように彼女を見た。
「……吸い込まれそうな深い青の海を越えた場所、緑豊かなデツェンにいるのは、馬で翔るのが大好きな少女。領主の娘というだけで、王室の歴史に組み込まれるなど露とも知らず、草原を翔る。少女には赤ん坊の時代から自分を守ってくれるナイトがいた」
今度は全員がブルーノを見る。真っすぐ前を見る異種族の顔を見ていると、ほほほ、とまた女帝の笑い声が響いた。
「いつもそばにいるのが当たり前。ある時には物を教わり、ある時にはやすらぎを貰い、ある時には過ちを叱ってもらう。いつも少女の背中にぬくもりを与えてくれる男。父であり兄であり、友人であり、無くてはならない片割れのような存在。やがて少女が年頃になると、当然のことのように男に恋をした」
女帝は大きく頷きながら続ける。
「赤ん坊の頃と変らない、永遠の美を持つ種族。少女を見る目はずっと変らず、美しく、儚い。……そりゃ何にもない方がおかしいわよ、こんな良い男が隣にいるんだもの」
ブルーノが反論しようとしたその勢いに、被せるよう「しかし」と、昔話は続く。
「少女の幸せの方は永遠じゃなかった。隣国、といっても海を隔てた遠い異国から、縁談の話しがやってきた。少女は男に思いを告げる。それはここから連れ去って欲しい、わたしを逃がして欲しい、この悲運から救って欲しいという願いも込めていた。……男の返事は非情なものだった。なんてことは無い。自分に寄り添っていると思ってた男は、自分の父、国についてただけなのよ」
「忠義が全ての騎士の国だからな。生きてて何が楽しいんだか」
忠義が皆無の男、アルフレートは嫌いな食べ物を語るかのようだ。その横で頷いているローザが口を開く。
「女ってねえ、振られた相手には愛情の振り幅分だけ、相手憎しになっちゃうのよお」
「あんたが女心語るなよ。しかもそんなの人によるだろ」
冷静な突っ込みはフロロ。わたしもそう思う。そこへグレースが扇を振り、お香の匂いが広がる。
「大方の予想はつくけどね、どんなことがあったのか。ブルーノ、あんたはどうせデツェンの田舎領主、あの男の命とあらば……なんて堅苦しいこと言いながらサントリナにのこのこ来たんだろうけど、エリーザベトは両国を結ぶ縁談で来たんじゃないよ。始めから、あんたの目の前で子供を産んで復讐してやろう、って心づもりだったんだろ」
「おお!!下衆!まさに下衆いけどありそうだわ!!」
そこまで考えていなかったわたしはグレースを絶賛した。王太后はふふん、と鼻を鳴らす。
「だてに長く生きてないよ」
それに対してブルーノは呻くように呟いた。
「そのような事を、見てきたかのように……」
「『見てきた』んだよ」
グレースの素早い反応に皆、再び黙る。グレースの声色は威嚇するかのように鋭かった。
「先代国王にも私にも、全てを見通す目があるの。あんた、サントリナ王室はどこの馬の骨とも分からない娘を迎えるとは思ってないだろうね?」
これにはさすがにブルーノも押し黙る。フロロが「全部、下調べ済みってことかよ、こわいね」と耳打ちしてきた。
お昼時だからか、窓の外が活気づいてきた気がする。それに反比例するように、室内は静まり返ってしまった。が、その中にイルヴァがのほほん、とした声を響かせる。
「で、ブルーノさんはお姫様のこと好きだったんですか?」
『お姫様』とはイルヴァが感覚でつけた王妃のあだ名だろう。わたしは、とても気になってはいたものの、聞けなかった質問に喉を鳴らす。
「恋に恋いこがれる年頃の娘の言葉をそのまま受け入れるほど、私も愚かではない」
ブルーノのその言葉を聞き、思わずわたしはムッとする。年頃の娘の恋心は偽物だと?そう言いたいみたいじゃないのよ。しかし問いつめることは出来なかった。ブルーノの雰囲気を見て、その気になれなかったのだ。
ブルーノは重く首を振る。全ての感情を無にするように。だがそれは失敗したようで、彼の暗く沈む顔が変わることはなかった。
それを打ち破ったのは意外な方向からだった。一人の重装備の兵士が部屋に入ってきたのだ。王太后の前、礼儀作法は守っているものの、ひどく慌てた様子だ。
「ブルーノ様にご報告が」
「何だ?」
尋ねるブルーノに兵士はもう一度敬礼する。
「は、首都より北西方面、所属不明の戦闘部隊が集結しているとのことです」
ブルーノはすっかり武人の顔に戻っている。わたし達を見て『なぜ兵士にこの場で問い返したのか』を舌打ちしたいような表情は見せたものの、
「失礼する」
と、きびきびした動作で部屋を出て行く。反対にぽかん、と間抜け面になったのはわたし達だ。
「な、何なに?」
肩を叩くローザの質問に、わたしは「知らないわよ」と乾いた声しか出なかった。