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一陣の風が礼拝堂内を走り抜け、身震いした。ふと動く気配に目線を戻すと、ヴォイチェフが足元に飛んできたガラスの破片を爪先で払う素振りをしている。ざらりとした音が響いた。
「……これでアイツも引退しか道はないね」
そう言ってわたし達の顔を見るのは、いつもの小狡い盗賊のような笑みだった。ヴォイチェフと消えた彼とは知り合いだと思えるやり取りだったが、哀れみや悲嘆は無い。その顔に疑問をぶつけるタイミングを見計らっていると、
「姐さん方は運がいいのか悪いのか、とりあえず命あっての物種でさあね」
なんてことを言いながら、普通にサッサと言った去って行きそうになる。それに慌てるわたし。
「ちょ、ちょっと待ちなさいよ!」
「おぐうっ」
わたしのタックルが決まり、ヴォイチェフは顔から倒れる。我ながらよく、こんなガタイのいい男を止めたものだ。
鼻を押さえながら振り向くカエル顔の男にわたしは詰め寄る。
「そ、そ、そのナイフ何!?」
頭の中が状況整理と疑問でぐっちゃぐちゃになり過ぎて、ようやく出てきた言葉がこれだった。後ろでファムさんが溜め息をつくのに地味に傷つく。うん、確かに質問がずれている。
「え、えーと今、頭の中整理するからちょっと待ちなさいよ」
わたしはフンガーと鼻息を出した後、深呼吸する。
「あの男は何者!?話の感じからするとアンタの知り合いなんでしょ!?黒装束の軍団は元々、国王の命令で動いてたはずなんでしょ?だから……アイツは今、誰の命令で動いてるの!?」
それらを全て「まーまー」といなすと、ヴォイチェフの一言。
「鼻の穴膨らんでますぜ」
よ、余計なこと言うなよ……。わたしは自分の鼻を押さえる。
「あーのーねー!?あの男が誰の命令で動いてるのか、それが分かったら真相解明かもしれないのに!……わたし達は国王から『王弟のニセモノの正体をさぐれ』って頼まれてるのよ?そんな態度でいいわけ?」
「それは今の質問に関係があるんで?」
その返しは予想外。なかなか鋭い突っ込みをする奴だな、とわたしがたじろいでいると、ヴォイチェフはのっそり立ち上がる。
「まあ『あるかもしれない』ってことでお答えしやしょう。まず一つ目の質問、奴はあっしの元部下でさあ」
「元、部下?」
「……諜報部員といえば聞こえはいいが、多少の汚いことはさせられる裏方作業員でさあね。名は『黒鼠』。国王に指揮権があるものの、国民は存在すら知らないときた」
「へえ……サントリナにもそんな怪しい機関があったんだ。ってことはあなたも元『黒鼠』だったってことね?」
ヴォイチェフは深く頷く。
「ふうん……、軍の一部隊って考えていいかしら?」
「そんな勇ましさはありやせんがね」と言いながらも、再びヴォイチェフの頷きを貰い、わたしは質問を重ねる。
「奴らも始めは国王の命でトマリを追ってたはずよね?なんで裏切ったの?」
「現国王フェリクス様は、今回の仕事を最後に『黒鼠』を解体させるおつもりだ。あっしも同意した。今のサントリナに必要とは思えないんでね」
ヴォイチェフの含みを持たせた言い方に、ファムさんは眉を上げ、わたしは大きく頷く。彼の意見にわたしも同意だからだ。
それらを見ながらヴォイチェフは苦笑いといった顔をする。
「……まあ国王も正義だけで動いてるわけじゃあない。万が一『黒鼠』のような存在が明るみになったらまずい。そういうのがあいつらは気に食わないんでしょうな」
「元部下なんでしょ?随分他人事ね」
「……二つ目の質問の答えになるが、今や奴とあっしは対立関係にある。あっしは『黒鼠』だったからこそ、部隊を解体したい。奴は保守したい」
ふうん、彼らにそんな事情があったとはね。経緯までは聞く気はないけど、ヴォイチェフがわたし達を護衛するような動きをしてたのも頷けるかな。
でも黒装束——黒鼠の彼らの気持ちも分からないでもないな。散々汚い仕事をさせられてきた歴史があるのは想像出来るのに、いわば国王の尻拭いを最後に、解体になっちゃうんだもの。
ヴォイチェフの目を見て、わたしは改めて尋ねる。
「で、今の彼らの主は誰になってるわけ?」
「もう知ってるはずですぜ?」
その言葉を受けてのわたしの顔に、不満が表れていたらしく、ヴォイチェフは続ける。
「あの方にも王位継承権があるんだ。いわば『そういうお方』なんでさあ」
「オッケー、口に出したくないってことね。理解したわ」
わたしはもはや『太陽の男』というイメージは消え去ったレイモンの顔を思い浮かべる。そして目の前の男、ヴォイチェフをあらためて見た。つくづく見た目によらない男だ。いわばこの男は王家への敬意でいっぱいじゃないの。
しかし国王様も、わたし達にはしおらしく「王弟のニセモノを探せ」なんて言ってたけど、本当は黒鼠を自分から奪い取った形で動かしてる男の存在の方が気になってたんじゃないだろうか。それを無理矢理『王弟の偽物の正体』なんて話しを引っ張り出してきて、わたし達に調べさせてるんじゃないの?国王にも犯人が半ば分かってるだけに、身内に手出せないってな事情でわたし達にやらせてるような……。
「……ってことはやっぱりわたし達、いいように使われてる気がするんだけど」
「何をブツブツ仰ってるんです?」
澄ました顔で尋ねるファムさんに思う。お城にいると誰も彼もが図太く、ずる賢くなるもんなの?
質問が途切れると前にいる男が去っていきそうで、わたしは焦る。が、会話を繋いだのはヴォイチェフの方だった。
「ここまで来たら、『あの方』の見張り役は引き受けましょうや。ま、こんな男を信用するかどうかは姐さん次第ですがね」
わざとらしく値踏みする視線を向けて来るヴォイチェフに、わたしは戸惑いを見せることなく頷いた。
「信用するわ」
間を置かない切り返しは彼にとって不意打ちだったらしい。珍しく驚いた顔をする。「不思議なもんだ」と呟いた。
「性善説を信じてるお人好しにも見えないがね。いや、悪く言ったつもりはないんでさあ」
茶化すように手を振り、肩を揺らす男にわたしは答える。
「あなたがブルーノに従事してるからよ」
そう、ブルーノこそが何もかもを知っているような気配があり、でも決してわたし達とは敵対しないであろう相手。だから、だ。でもそえだけじゃない。ここまでのやり手を『タダで』利用出来るなんてそうそう無い経験だわ。自分達の力じゃ限界を感じていた今、レイモンを見張る、という申し出は単純にありがたい。
「ブルーノの旦那をそこまで信用するとはね。惚れたんで?」
カエル口から笑い声混じりの息を吐き出す男をわたしは睨む。
「……その手の話しは飽き飽きよ。あんたこそ、今までに比べると随分おしゃべりになってくれたわね。こっちは助かるけど」
「……ユベール殿が思った以上に芳しくないらしいんでね」
ほぼ独り言のようなヴォイチェフの台詞にわたしは首を傾げる。ユベールってレイモンのお父さんよね。また急に出てきた名前だわね。言っちゃ悪いが、完全に表舞台から消えた男の名前が今、出る事が奇妙に思えた。
「おっと、『最初の質問』にもお答えしやしょう。あっしの武器は特注のショートソード。想像通りの加工だと思いますがね、塗ってあるのは神経毒だ。手足の痺れと少々、呼吸器系に支障をきたす」
ざわわ、と顔に鳥肌が立つ。そんなわたしを気にもせず、ヴォイチェフは続ける。
「手足にくるのは足止めに有効だが、呼吸にくるのが一番、精神的ダメージが強い。姐さんは気管支の病気は?無い?じゃあ分からんだろうが、人間、呼吸が出来なくなることより恐怖を感じることは無いんですぜ?なに、死にはしやせん。ただ気管が潰れていく感触を二晩程味わってもらいましょうや」
確かに、死に直結するイメージがあるもんなあ……。元部下をそんな目に遭わせるとは、どんだけ鬼畜。って絶対こっちの反応見て楽しんでるな、コイツ。
そんなことを考えながら目の前の男の顔を見ようとするが、一体いつの間に?というタイミングでヴォイチェフの姿は音も無く消えているではないか。
唖然とするわたしの腕をファムさんが引っ張る。
「リジア、今夜のところは部屋に戻りましょう」
なぜ?これからなのに。と思うが、ファムさんは有無を言わせない雰囲気だ。反論しようと口を開くが、後ろから兵士の金属鎧の音がする。気づけば遅すぎる程、暢気な兵士の対応。音がそこまで大きくなかったのだろうか。
「今、このような場にいるのは得策ではないかと。まだ時間はあります」
冷静な彼女の声にわたしは仕方なく頷いた。
廊下に出ると、ファムさんの指示ですぐに別の部屋に滑り込む。何も無い小部屋で息をひそめて、外の動きを気配で伺う。礼拝堂に入った者が慌てて号令の声を上げるのが分かった。ほっと息吐く二人。
「後は騒ぎに紛れて部屋に戻りましょう」
そう言いながら部屋の外の様子を伺うファムさんに声を掛ける。
「……冷静になってみれば、いきなりブルーノの部屋に押し掛けたところで、追い返されるのが関の山なのよね」
何を今更、という顔の彼女にわたしは続ける。
「それにね、もっと効果的に……狡猾って言ってもいいわね。そういうやり方を思いついたから、明日はそっちを当たるわ」
廊下に十名弱の鎧姿がある。騒がしい彼らを横目にわたしはその場から抜け出した。
ファムさんは何やら追求したそうな顔だったが、このくらいの隠し事は許してもらおう。どうせ一晩だけの秘密なのだ。後は『ご報告』に向けて、ベッドの中であれこれ頭を働かせなきゃ。