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「勤め始めた時はよく、母と喧嘩したんです。二人の話しが噛み合なくて」
ファムさんの話しが始まったところでバルコニーの方向から騒ぎ声がし、二人してぎくりとする。が、続けてアントンの馬鹿笑いが聴こえてきたので、わたしは思い切り舌打ちした。「お行儀悪い」とわたしを嗜めた後、ファムさんは続ける。
「母の話しは私が今言った通りですが、私の当時の感想はリジアと同じものでした。何しろ顔を合わせること自体が少ない親子ですから」
「それがさっき言ったように変ったのはなんで?」
「変ったというより……捉え方の変化でしょうか。仲が悪いわけではないな、と気づいたんです。エリーザベト様はご覧の通り、あの様子ですし、国王がエミール様とあの方をあえて遠ざけているように思ったんです。それにエリーザベト様はエミール様の話しもよくしますから」
確かにエミールからも「母の影」は薄いと思ったが、それでも母に対するマイナスのイメージは伝わってこなかったな。国王としても、あのエリーザベトの様子を見ちゃうと、しょうがないよねって思っちゃうし。
「泣いたご様子を見てしまってからは、レオン様の話しもよくしていました。……いなくなってしまった前の、赤ちゃんの時代の話しだけですが」
それを聞いて余計に頭がこんがらがってきたわたしは、その痛い頭を抱えて唸る。その様子を見ながら、少々申し訳なさそうな空気でファムさんは続けた。
「でも私を混乱させるのはあの方の人柄だけでは無いんです」
「何?」
わたしは見ていた手のひらから、ファムさんに視線を戻す。
「イザベラ様のご一家の事件です」
「……奇遇ね、わたしもイザベラ一家の事件は王妃の影がちらつく気がしてたのよ」
わたしだってアルフレートの話しがなければ微塵も浮かばなかったことだが、その受け答えにファムさんは意外にも首を振る。
「今、お城にいらっしゃる王族の中で、馬の扱いに一番長けているのは王妃で間違いはありません。でも、それが逆に不自然な気がしてしまうのです」
「あ、馬の関わった事件にして、王妃のせいにしようとしてるんじゃないかってことね?」
今度は頷くファムさん。確かにそのまんますぎて面白みは無いかも……というのは不謹慎ね。
「完全に私の感じとったものだけで導いた意見ですので、無視していただいてもかまいません。でも、イザベラ様一家の事件を起こしたのもあの方となると、あの方は完全なる狂人じゃありません?得も無く、周囲の人間を消すだけで動く人間となると、凶悪さが際立っています。あの方は壊れてしまっています。でも狂気に取り付かれてるようには思えないんです」
それを聞いてわたしは再び唸る。凶悪な連続殺人鬼が皆、後悔の念を抱かないか、と言われればそんなことは無いと思う。王妃の懺悔とも取れる夜泣きのような行動が、彼女を善人と判定するには弱い気もする。だが「二人もいらないから」という王妃の答えに嘘を感じたのは確かだったり。何故そう思ったか、と聞かれても「勘です」としか言いようのない曖昧なものなのだが。
ファムさんも似たような思いなのだろう。ここまで話したことがわたしに受け入れられているのか少し不安なように、指を動かしていた。
彼女がわたしに話してくれたことを、後悔させないようにしなくちゃいけない。わたしはその為に何をすればいいんたろう。頭をフル回転させて、考えなきゃ。
「レオンを捨てたのにも意味があるはずなのよ……。じゃなきゃ『悪いことをした』って感覚にもならないと思う。例えばレオンを犠牲にして、自分の身を守ったとか。んで、エリーザベトがレオンを捨てた、ってことを知った誰かさんがイザベラ一家の事件も王妃に罪着せるために状況証拠を揃えたんじゃないか、っていうのはどう?」
「それも私が出した答えの一つではあるのですが……」
「一つ?」
「はい、もう一つ、『イザベラ様の一家の事件をやったのがエリーザベト様だったのでは?』というのも考えたんです」
一瞬、よく理解出来ずにぽかん、とする。
「なんで?」
「……復讐の為に」
ファムさんの囁くような声に今度は飲み込める。
「レオンに手を出したのがイザベラで、それの復讐ってことね!?」
今まで考えもしなかったことだが十分あり得ることではある。息子が生きてる頃ならその息子の為、王位継承権を巡ってイザベラが甥である双子の王子を……なんてことも考えられる。その復讐にエリーザベトがイザベラの夫と息子を事故に誘導した、とか。
そうなると王妃が自分を「悪い子」だと言うのは、イザベラから息子を守れなかったことに対してかもしれない。
「あくまでも私が出した答えが、です」
「……うん、そうだよね。でも確かにレオンの件とイザベラの家族の件は別々に見た方がいいと思うんだ。無意識に同一犯だと思ってたんだけど」
そこで疲れたように大きく溜め息をついたファムさんに気づく。
「ごめんね、無理矢理に話しにくいことを聞き出して」
わたしの言葉にファムさんは小さく目を見開くと、頭を振った。
「いいえ、先程も言いましたがわたしこそ」
そう答え、目を伏せるファムさん。
「この日を待っていたようにも思うんです。正直、始めは少しあなた達が恐かった。知らず知らずに真実から目を背けていたんでしょうね。でも胸のつかえが取れた気分です。あとは……真実がどうあれ、私は満足かもしれません」
ファムさんはそう言うと、わたしを軽く抱きしめる。温かい心地になぜか胸が苦しくなった。
ふと思い出した疑問にわたしは慌ててファムさんの腕を取る。
「ごめん、もう一個気になることがあるんだ。王妃が『悪い子の所には魔法使いが来る』なんて話をしてたんだけど、誰がそんなこと言ったのか聞いたら『ブルーノが』って答えたのよ」
「ブルーノ様、ですか」
急に出てきた名前に対して、難しい顔のファムさんに「どう思う?」と言うが、眉間の皺は消えない。
「私もよく分からないんです。元々王妃のお付きとしてデツェン騎士団領から来た方というのは知ってますが、その話を聞かなければ長い付き合いにも見えない雰囲気でしたし。これもまた母に聞くと正反対なんですよね」
「あ、来た当時は仲良かったんだ」
わたしの間の手にファムさんは暫くの間、黙ってしまう。言いにくい話らしい。
「単なるお付きの関係じゃないんじゃないかって噂があったらしいんです。まあ、そんなような噂が出るくらいは仲良かったとも言えますし、そんなような噂は王族にはつきもの、とも言えます」
「またその手の話!?」
嫌気が差したわたしは露骨に顔をしかめる。全く、ファムさんの言う通り『つきもの』だとしても飽きないのかしら。が、気を取り直してわたしは身を乗り出す。
「でもやっぱりブルーノは鍵を握ってるわよ。彼が何かした、とは思わないけど、もっと問いつめなきゃ前に進まない」
わたしはそう言うと、椅子からゆっくり立ち上がった。
「ちょっと行ってみない?今ならどこにいる?」
ファムさんは片方の眉をく、と上げる。気持ちを表情に表さない彼女が、目一杯嫌がっているのが分かってしまった。……気持ちは分かる。あの不機嫌顔を見ると、何も言われなくても怒られている気分になるからだ。
しかし、わたしにも引けない理由がある。ファムさんの顔をまっすぐ見据えながら手を取り、わたしは言った。
「でも王妃がブルーノに頼んだはずなのよ、レオンを探せって」
「こっちでいいの?」
「ええ、おそらくこの時間は自室にいると思うので」
ファムさんの案内でブルーノの自室とやらに行ってみる。なぜか自然と小声になる二人。別に夜中、城内を出歩くだけでは誰からも怒られたりはしないが、訪ねるだけで怒りそうな相手だからだろうか。
ファムさんがわたしの腕を取る。
「で、さっきの話ですけど」
「うん、点と点がなかなか結ばれない話しだから、わたしもついつい忘れてたんだけど」
そう前置きしてわたしはファムさんにラグディスでのエミールとレオンの会談の時の事を話して聞かせる。
あの時、アルフレートはこう聞いたのだ。「レオンと思われる少年を探せ、との命を出したのは誰だ?」と。実際にはブルーノは『ニセモノ』と思って行動していたわけだけど、王妃はレオン本人を、という命のつもりだったのだろう。
そしてアルフレートの問いにブルーノは、すんなり答えるのは躊躇したものの、こう言った。「王妃だ」と。
あの時は「ふうん」程度にしか思わなかったけど、今は違う。仲の悪いはずの二人がなぜ?という大きな疑問が湧く。今、とにかくブルーノから話しを聞きたい理由も、『何を知っているのか』はもちろん、『なぜ隠したいのか』というものの方が大きい。
本殿の北部、そういえばこっちの方には足を踏み入れたことはないな、という方向にやってくる。「こっちの方に礼拝堂があるんじゃなかった?」という質問をしようとした時だった。半歩前をいたファムさんの足が止まる。
「……何か聴こえませんでした?」
小声の質問に首を振る。が、ファムさんと二人、目を合わせると忍び足になる。なぜなら見え始めていた礼拝堂の入り口の、ステンドグラスが埋め込まれた扉が、なぜか開いていたからだ。この時間、お祈りに来る人はいないだろう。
そろりそろりと扉に近づき、中をのぞき見る。ファムさんと顔をくっつけながら見た先、ぼうっと浮かび上がる一人の男の姿。いつもなら闇に同化しているような、体に密着した黒い装束姿が、ステンドグラスから入る月明かりに照らされてくっきりと浮かび上がっていた。まるで礼拝堂にふさわしくない存在だと、フローから言われるように。
たまたま、本当に偶然に男と鉢合わせてしまったわたし達と、こんな小娘二人にたまたま見られてしまった彼と、運が悪いのはどっちなのだろう。
男の方も相当びっくりしたと見え、驚愕に目を見開いている。その男の後ろ、我々を見下ろす形になったフローの像は、何かを包み込むような手をしているが、その中には何も無かった。
男から表情が消えて、地面を蹴る。咄嗟にファムさんの腕に手が伸びた。わたしに意識出来たのはここまでで、あとは『人生の終わり』を覚悟していたように思う。『仕事中』の彼らを邪魔してしまったわたし達に、救いの手など無いのだから。
が、何かがぶつかったような音とファムさんの肩がびくりとなるのに、意識が再び覚醒する。金属の軋む音がわたしの肌を泡立てさせた。こちらに飛んできた男の握る黒光りするナイフを、見慣れない細長い形状の刃物で受け止め、対峙するのは怪しい男ヴォイチェフだった。
にやっと笑うヴォイチェフとは対象的に黒装束の男は舌打ちを隠さない。二人の力関係、と見ていいのだろうか。耳に響く高音と同時に、ナイフが月明かりを反射し、幾つかの光の線が瞬く。不思議と足音は聴こえない。
ヴォイチェフの似合わない白いローブが舞う。それを見ながらわたしは喉を鳴らした。
ヴォイチェフってこんなに凄かったのか……。剣技のスキルが無いわたしでも、惚れ惚れしちゃうくらい見事な手さばきじゃない。何より黒装束の男相手に渡り合えてるっていうのが既にすごい。
「腕が落ちたんじゃないか?」
ヴォイチェフが男をあざ笑う。
「……老いを理由に一線を退いた人間に言われたく無い」
牙を剥くうなり声のような低音は、わたしも何度か聞いたあのリーダー男の声だった。
男が攻撃の手を出す度、腕が伸びているような錯覚を覚える。蜘蛛のような多段攻撃を、長い刃で滑らしながら避けるヴォイチェフ。上体からだけでなく、足下にヴォイチェフが蹴りを繰り出す。すると男はふわりと浮かび上がり避ける。が、着地した先にあったチャーチチェアを手に取るような素振りを一瞬した後、躊躇した。大きな音を立てることで、騒ぎにしたくない、と迷ったと見える。その一瞬にヴォイチェフのナイフが男の左胸を捉えた。
勝負あった、と思いきや、かつんという固い音が礼拝堂内にやけに大きく響いたのみで、軽く血飛沫が飛んだだけだった。男はもちろん怯む事なく、ナイフを構え直す。そこへ、
「退いたからといってやり方まで真っ当になると思うなよ?」
ヴォイチェフが低音を響かせる。それを聞いて男の目が見開かれた後、傷に動く。そして急によろけてしまうではないか。
男はヴォイチェフを見上げながら、震える体を無理矢理立たせるような不自然な動きを見せる。よく見ると体が小刻みに震えていた。わたしは反射的にヴォイチェフの手元に目がいく。青みを混ぜたような黒いナイフの刀身が、不気味な光を放っていた。
「お前は仕える人間を間違えた。主を裏切った者がただで済むと思うな」
ヴォイチェフの初めて聞く声は、恫喝と嘲笑を混ぜたようなものだった。本当に勝負がついたのは今この時だったのだ。
男は素早く表に面したステンドグラスに身を投げる。音のことなど構っていられなくなったのだろう。
懐にゆっくりと刃物を仕舞ってから、ヴォイチェフが振り返る。悪の親玉みたいなカエル顔はやっぱり油断出来ないが、彼のような人物に会えたこと自体が貴重な経験だったのだ、と不思議とわたしは考えていた。