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テーブルで野菜とチーズのサンドイッチを頬張るわたしに、横から不満げな声が降ってくる。
「もう、自宅じゃないんだから気をつけてよ」
わたしの部屋までサンドイッチを届けてくれたローザがぶちぶちとうるさい。起きたら昼前だった、というわたしへの小言だ。
「分かってるって、わたしだってしまったと思ってるわよ」
答えながら思う。なんだ、この母と駄目息子みたいな会話は。
「昨晩はお戻りになるのが随分遅かったですもの」
ファムさんの言葉はフォローなのか咎めているのか、どっちだろう。
まだ何か言いたそうなローザの背後で扉がノックされる。返事の前にセリスが顔を覗かせた。
「おはよ、魔術師協会に行くんだって?」
わたしと同じようにアルフレートから「行ってこい」と言われたのだろう。セリスは少々面倒臭そうな顔をしている。
「そう、ちょっと色々聞いてこようと思って」
「ふうん……なんで私も行かなきゃいけないの?」
「何でって、ソーサラーだからでしょ。この二人で行くのが一番自然じゃない」
わたしとセリスのやり取りを聞いていたローザが「大丈夫かしら」と言うように首を傾げる。わたしはサンドイッチの最後の一口を口に放り込んだ。
「……さ、行きましょう」
わたしが言うとセリスは「昼寝しようと思ってたのに」と欠伸する。出て行くわたし達を見送りながら、ローザとファムさんが溜息をついていた。
中庭に出ると見回りの時間なのか、ヤニックの姿を見つけた。彼の方も気付いたらしく軽く手を挙げている。ちょっと心が痛むのは昨日、彼の警護する部屋に忍び込ませていただいたせいだろう。
そのまま視線を合わせる彼に魔術師協会の場所を聞いてみることにする。
「魔術師協会?旧市街の手前だな。歩くとちょっと掛かるけど、話してりゃすぐだよ」
「そうなんだ、ありがとう。せっかくの機会だから行ってこようと思って」
「勉強熱心だねえ。俺には縁の無い建物だが、まあまあ立派なもんだぜ」
ヤニックはそう答えながらもちらちらとセリスを見ている。どうやら気になるらしい。それに応えるようにセリスがにこっと笑うと、こちらが恥ずかしくなるぐらい分かりやすく鼻の下を伸ばした。
ヤニックの姿が見えなくなるとセリスが口を開く。
「色仕掛けに弱そうな警備はいただけないんじゃないの?」
「……まあ平和だからね」
そう、町も、城の中も、至って平和な光景なのだ。毎日空は晴れ渡り、この国の何所にも澱みなど無い様に動いている。
城を出て協会の建物に向かう間に、セリスに昨日の話しを聞かせていくことにする。
「国王はわたし達が『鍵』を持ってる事を疑ってるわ」
「……マズイじゃない」
セリスの返事にわたしは頷く。フローラちゃんの中にある以上、発見はされないと思うが、バレたら色々面倒だ。
「王弟がエメラルダ島に渡った時の話しになったんだけどね、『何所から移動したのか』は結局最後まで言わなかったのよ」
わたしの言葉を聞きながら、セリスは水を撒かれた花から反射される光に目を細めた。
「何所からって……海からじゃないの?」
その疑問には首を軽く振る。少し頭の中を整理してから、わたしはセリスに昨晩の話しを語り始めた。
「じゃあ行くよ、『兄さん』」
久々に二人きりになったからなのか、王弟は昔の呼び方をあえて使ったようだった。フェリクス王は黙って頷く。全てを受け入れ、納得して構えているからではない。実際は弟シャルルの考え、王室の行く末が読めなく、戸惑っていたからだった。
扉が開かれ、シャルルは迷うことなく足を踏み入れる。口伝でしか残っていない島への入り口。広がる淡い光はシャルルを受け入れ、先へ招いているようだった。
「……すまない」
扉が閉まる直前、シャルルは呟いた。重い地鳴りの音に紛れていたが、フェリクスの耳には確かに聞こえた。瞬間、フェリクスは扉に手を伸ばす。が、こちらの空気までも遮断するようにぴったりと閉じる扉に手のひらが吸い付いただけだった。
じわりと湧く不安。心臓の音が徐々に早くなっていく。なぜ、なぜにシャルルは謝罪を口にしたのだ。エメラルダ島に渡るのは国内の混乱を防ぐ為ではなかったのか。それなら謝罪を口にするべきは自分だったはずだ。
フェリクスは小指一つ動かせずに、開く事は無い扉の隙間を視界に入れていた。
「扉、ね……」
セリスが呟く。人通りのまばらな裏通り。わたしは声の大きさに注意しながら答える。
「淡い光、ってところからしてテレポート系の魔法だと思うのよ。多分、この国のどこかに島に渡る事の出来るポイントがあるんだと思う」
わたしが言う言葉にセリスは何度か頷き、「扉があるんだから屋内よね」と付け加えた。
「それに『二人きり』って事は護衛もいない状況よ。かなり城から近いんだと思う」
わたしはそう言いながら「城の中っていうのも有り得る」と考える。
「王弟がエメラルダ島に行ったのは王の為みたいなものでしょ?何で謝ったの?」
セリスが協会の看板を探しながら聞いてくる。石畳を歩きながらわたしは答えた。
「それが分からないのよね。……まあそれが国王にとって負い目になってるらしいけど」
「負い目?」
その質問にわたしは再び、語りに入る事になった。
夜が訪れフェリクスは自室に篭る。が、浮かぶのはシャルルの後ろ姿と謝罪の言葉ばかりだった。
玉座にいる時は出さないようにしている癖、ひじ掛けを指で弾く行為をしながら思案する。
これからどうするか。何しろシャルルがいなくなった事を知るのは自分だけなのだ。母にさえ「言わないで欲しい」と別れの挨拶無しに行ってしまった。
気楽な根無し草のような性格には昔から冷や冷やしてばかりだった、とフェリクスは深い息をつく。突然いなくなった王弟の事を皆にどう説明すれば良いのか。フェリクスの頭はそれでいっぱいだった。
旅行?修学の旅?シャルルは「死んだことにしてくれ」と言っていたが、それはいくらなんでも無理がある。死ぬにしても理由がいる。老衰間際の老人ではないのだ。
答えが出せないまま過ごすこと一週間。玉座の前に現れた姿にフェリクスは息が止まった。
陰気とも思える無愛想な仕草で頭を下げる男。が、目を合わせて言葉を交わすと人懐こい笑顔が現れる。弟シャルルに間違いなかった。
普段通りの流れで臣下の者と言葉を交わす様子を見ながら、フェリクスは考える。
戻ってきたのか?しかし『鍵』はこちらにある。行けば戻れぬ一方通行ではなかったのか。いや、実際に足を踏み入れたことがあるわけではない。島の様子などこちらは知りもしないのだ。また戻ったのだとすれば何故?
フェリクスは目の前にいる弟に尋ねる事が出来なかった。その理由ははっきりしている。あの日から、後ろめたさが絡みついていた。シャルルが島に渡ると言った日、扉を潜った日、その後も自分には彼を追いかける事が出来たはずなのだ。それをしなかったのは自分自身、心のどこかで弟の存在を疎ましいと思っていたからではないか?彼は自分を試していたのではないか?
シャルルに尋ねる機会を無意識に避けていたのか、フェリクスは弟と二人きりになることが無かった。そして事件が起こる。
フェリクスとエリーザベトの子供、双子の王子がいなくなる。消えたのは片方だけだったが、残された大量の血痕から生きている可能性は極めて低い、との判断がされた。残ったエミール王子への警護は厳重を極める。そしてそれは同じ夜、エメラルダ島への鍵が何者かによって持ち去られたことへの警戒も含まれていた。
また更にイザベラの家族が馬の事故で亡くなるという不幸もあり、王室は暗い空気で満たされてしまった。
レオン王子を連れ去った犯人が捕まらないまま、また大きな事件が起きる。観劇に行く最中の馬車が襲われた。国王夫妻の乗る車体をピンポイントに狙った魔法攻撃だったが、フェリクス、エリーザベト共に無事だった。当日の御者が初めて番に当たる者だったり、ルートを決めた者、そもそもの観劇を決定した経緯などから国王暗殺を企てた者達が続々と捕まる。王弟を含む一派のあまりにも露骨なやり方に、フェリクスが「醜悪な」と呟く程だった。
全ての証拠が王弟の関与を示しているような惨状に、流石に「王弟も嵌められたのでは?」という声が出てくる。同じ意見だったフェリクスはシャルルを自らにひざまづかせ、「全てを話せ」と伝えた。兄から弟への慈悲だった。言い分によっては酌量を与えようという事だ。
しかし、最低限の臣下の集まる場でシャルルの吠えた言葉は、場にいる者を凍りつかせるものだった。
「全ては神のみ心なのだ」
呪いの言葉のようにシャルルが吐き捨てた言葉に、大臣の一人が真っ青になり「極刑を!陛下!」と叫ぶ。王弟はもはや邪神に魅入られた、との判断だ。曲がりなりにもサントリナでのフロー教最高位に当たる国王への言葉ではない。
しかしざわつく中、フェリクスは一人頭の中が妙に冷静になっていく感覚がした。
『これは誰だ?』目の前の男に思う。もちろん姿形、顔の細かな作りから表情まで弟シャルルのものだとは分かっている。だが純粋にこの者は誰なのか?そんな疑問が頭に回っていた。それは肉親への可愛さからの盲目でもなんでも無く、フェリクスを支配した。
「……この者をエメラルダ島へ」
国王フェリクスのこの命は実質『極刑』を言い渡したのと同じだ。王室の者だけが知るエメラルダ島への扉を使うのではなく、海を渡っての移動。エメラルダ島は全てを拒む島だ。海の藻屑となれ、と同意語だった。
翌月、フェリクスの元に報告が上がる。重罪人十余名を乗せた船がエメラルダ島沖にて何かの力により沈没。生存者無し、との報だった。
「何者、ねえ……」
セリスの呻きは昨晩、わたしがしたものと同じだった。
「本当に王弟じゃなかったんだとしたら、幻影の術の類いか『本当に変身する能力がある者』なのか。どっちにしろ只者じゃないわよ」
彼女の言う通り、幻術の類いだとすれば相当な使い手だ。何しろ城にいる人間全てを幻術に嵌めるような桁はずれのやり方。変身能力だとしても話し方、癖なども丸々生き写しになる、というものは聞いたことが無い。
「残る可能性はやっぱり『王弟その人でした』ってやつね。ま、これが一番現実的でしょうけど。……ここみたいね」
わたしはそう言って、頭上ある大きな看板を指差した。